「佐々木さん」

ガシャンと苦無の敷き詰まった箱を用具倉庫へと押し込んで一息吐いた時である。乾いた音の合間に聞こえた自分の名前にふと顔を上げる。声の主を視線で辿れば、背後で見知った同学年の忍たまが立っていた。

「?…私?」

「うん」

人の良さそうな表情の彼は、そう一つ頷くと懐から一枚の布を取り出す。見覚えのあるそれは私が先日彼に傷の手当と称して巻いたものだ。

「これ、実習のときに借りたから返そうと思って」

「捨ててくれてもよかったのに」

「そうもいかないだろ、ありがとうな」

ニコニコと笑顔を浮かべながら、綺麗に洗濯されたその手拭を私へと差し出す。律儀な人だ。几帳面にもきちっと折りたたまれたそれに一瞬笑みを零して、ありがとうと礼を返して受け取る。それに照れたように微笑み返され、純情な男もいたものだと思わず感心してしまう。なんて爽やかなことか。

「そ、それじゃ…!用事はそれだけだから…えと、ありがとな!」

「うん、どういたしまして」

「ま、また…実習一緒になったら…その、」

「ふふっ、もしまた一緒だったらよろしくね」

「!!…あ、あぁ!」

コロコロと変わる表情に思わず笑えば、頬をさっと朱に染め上げて彼はそそくさとその場を後にする。何だか随分新鮮な反応に面白くなって、軽いノリで返しちゃったけれど、彼は果たして知っているのだろうか。

「そんなとこで恨みがましそうに三郎が覗いてるなんてこと…知るわけないか」

「…………………」

「何か用?無言で見つめられてると怖いんだけど」

ふぅと溜息を零しながら三郎の潜んでいる岩陰へ声を掛ける。こちらをじいっとしかめっ面で見つめながら、子どものように口をへの字に曲げてる様子に何だか数日前が嘘のように思えてしまう。鉢屋三郎、親同士の決めた私の許婚である彼は、数日前まで本人曰く『私の気を引くために』色んな女の子で遊びまくっていたが、いよいよ私が愛想を尽く瀬戸際になってそれまでの様子から一変させてまるで別人かのようにすっぱりとそれまでの女の子達との関係を切り捨ててみせた。その潔さはいっそ清々するほどだったが、未だに心のどこかが凍り付いて感覚の麻痺してしまっている私は、彼にどう接するべきかをいまいち決めれないままでいる。私が受けた苦しみは簡単に許せるようなものでもないし、けれど三郎の話を聞く限りではそうなったのも結局は捻くれた彼の愛情表現だとも考えられる。けれど、私もいつまでも弱弱しいままではいられないのだ。

「あの男、リョウに気があるぞ」

「そうかもね、くのいち相手に随分新鮮な反応するから面白くなっちゃったけど」

「………………」

面白くないという表情を全面に露にしているが、そんな三郎を視界の端で捉えながら私は誰にも分からないくらいに薄く笑みを浮かべた。三郎がフラフラしていた頃、私も一番初めはこうやってむくれてみたり独占欲みたいなものを剥き出しにしていたような気がする。そうやって反応を見せていた私に三郎は気をよくして今回の結果を招いたわけだけども、今三郎の立場に立ってみると、これは確かに好いてる相手に嫉妬されるというのは存外気分のいいものだった。それが行き過ぎるとああなるわけだけども。


けれど、私は三郎とは違う


「ねぇ、三郎」

「…なんだ?」

男というのは馬鹿な生き物。本能のままに行動するからそういう結果になるのだ。私はその境界線をきちんと理解している。どこまでは許容範囲でどこまでが上限なのかを心得ている。だから、私は同じ轍は決して踏まない。

「まさかあの忍たまに、妬いてるの?」

にんまりと笑ってそう告げれば、バツが悪そうに顔を歪める。僅かに逸らした視線を逃がさないように、すっと頬に手を当ててこちらへ視線を向け直させる。三郎の鳶色の瞳に私が写り込んでいた。くすくすと笑う私の声が響く。

「妬いちゃ悪いか、リョウは俺の許婚だ」

「そう、私は三郎の許婚」

「………………」

「その許婚を放ったらかしにして花から花へ飛び回ってたのはどこの虫?」

「…む、虫…」

「このぐらいでいちいち妬かないでくれる?」

「仕方ないだろ…!」

尚も食い下がった三郎の頬を一度軽く叩き、その瞳を見据える。

「三郎は、私の許婚なんでしょ。だったらもっと堂々としてなさいよ女々しい」

「……………リョウ…」

「大体私は三郎みたいに悪趣味じゃないから、気を引かせたくて他の男のとこに靡いたりしないしそんなこと考えない」

「う…」

言い返せなくなった三郎を見下ろしながら、頬を緩ませる。まるで逆転したかのような私と三郎。私の心を凍らせたのも三郎。凍りついた私の心を、もう一度だけ蘇らせたのも三郎。けれど、私の思いだけは初めから最後まで何も変わらない。


「私が最初から最後まで好きなのは、鉢屋三郎だけだから」


どんなに傷付けられても結局私は三郎だけしか見えなかった。私も大概馬鹿な女だけれども、それでいいと思ってる。

「俺だってお前以外は初めから欲しくない」

「嘘ばっかり、私が三郎に興味失せ始めてようやく焦ってたくせに」

「なっ…!きょ、興味失せてたのか!」

「今更!?あーもう…本当男って馬鹿…呆れた」

「ちょ、待て!待てって、リョウ!」

後ろから喚く様な声と慌てて追いかけてくる気配が近づく。どんなに辛かったとしても、三郎の隣にいられるのならきっと私は幸せなのだと思う。馬鹿な許婚を留めておくためには、他の男といて妬かせる必要も、駆け引きのようなことをする必要も、相手を翻弄する必要もない。答えはもっと単純で簡単だ。


追いついた三郎の胸倉をぐっと引き寄せ、その身体を屈ませる。背伸びをして、唇を寄せて、見開いた瞳を見つめ返して一瞬微笑む。吐息がぶつかる直前で、囁くように零す。



「今度は余所見させないから、覚悟しなさい」



ハンサムな彼女


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