私にとってまるで夢みたいだった、あの夏祭りの夜から数日が経った。

「………夢だったのかも」

ぽつりとそう零してみれば、何だか益々夢だったんじゃないかと思えてくる。ぼんやりと窓の外を眺めながら、あの夜のことを思い返す。花火の音に紛れて告げた私の告白は、加藤君の笑顔と掌の温もりで胸が一杯になってしまって、正直言うときっちりした返事があったわけではない。帰り道でも、加藤君は私の手を引きながら、珍しく終始無言だったし、あの日以来何度も顔を合わせて話す機会もあったけど、なんだか前とはそう変わらない関係が続いてるような気がする。あの日、少しでも加藤君に近付きたくて、加藤君との関係を変えたくて、私はちっぽけな勇気を振り絞って彼へと歩み寄った。友達以上恋人未満とかそんな曖昧なものでもいいって言っていたのは自分自身だ。でも、近付けば近付くほど、やっぱりそんなんじゃ我慢できなくて、もっともっと加藤君の特別になりたいと思う欲張りな自分がいる。ぐるぐる回るようなこの気持ち悪い感情を吐き出すように、深い溜息が零れる。

(本当に夢だったらどうしよう…)

そう考えれば、実はあれが都合のいい夢で、本当は前とちっとも変わっていない加藤君との関係が現実としてあるだけかもしれない。私も、はっきり加藤君に確かめないからいけないのだ。でも、もしも自分の勘違いだったらなんて考えると、怖くてそんなこと口に出せない。なんか、涙でそうだ。ごしごしと潤む視界を擦れば、後ろ頭にぽすりと掌の感触がした。

「なに落ち込んでんだよ?」

「金吾君…」

振り返れば、心配そうに眉を寄せている金吾君がいた。泣いてるところを見られまいと一生懸命目元を擦れば、ああ馬鹿赤くなるぞ!と腕を掴んで止められた。なんてこったい、とんだところを見られてしまった。

「…泣いてんのか?」

「べ、別に泣いてない…」

「……………」

「嘘です、ちょっと泣いてました」

じとっとした視線で見つめ返され、思わず咄嗟に切り返す。そう口にした瞬間、やっぱりとでも言いたげに金吾君の指先が目元をなぞった。少し荒れたその指先が肌に触れるのがくすぐったくて思わず目を閉じる。

「また何でこんなとこで泣いてんだよ、テストの成績でも悪かったのか?」

「ちょ、そんなことじゃ泣かないよ!」

「じゃあ腹減ったとか」

「福富君じゃないんだから…」

「金でも落とした?それともどっかでコケた?」

「あのねぇ、金吾君…」

「………、それとも」



団蔵か?



金吾君の言葉に、発しようと言葉が思わず引っ込む。返す言葉が見つからなくて、思わず金吾君を見返せば、真っ直ぐな視線でこちらを見下ろしていた。

「…団蔵と、何かあったとか」

「なんにも、ないよ」

「嘘付け」

「本当なんだってば、何にもないから…どうすればいいか分かんないの」

「…はぁ?」

素っ頓狂な声をあげた金吾に、苦々しく今までのことを話す。夏祭りに行ったこと、手を繋いだこと、好きと言ったのにそれが花火の音でかき消されてしまったこと、でも加藤君が私の掌を握り返して、笑ってくれたこと。そこまで全部を辿りながら話していたら、何だか情け無いようなでも諦めたくないような、どうしようもない感情がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてまた涙が零れそうになる。何とか泣くまいと堪えながら話し終えた私を、金吾君は何とも言えない瞳で見つめていた。なんかこう…同情に溢れたような、物凄く呆れたような、そんな視線だ。

「なにその目は…」

「いやぁ…お前らホント…馬鹿だよなぁ…」

「ば、馬鹿!?馬鹿って言った今!?」

「だってさぁ…」

大声を出した拍子に零れ落ちた涙を拭おうと、金吾君の指先が再び私の目元へ伸ばされる。呆れたような声と共に浮かんだその表情は苦笑だが、私を心配する兄のようなそんな様子を滲ませている。金吾君の指先が触れるその瞬間、駆けるような誰かの荒い足音が響いた。

「…っ金吾!」

その声に、姿に、私の全身の血がまるで逆流するかのような錯覚に見舞われる。息を切らせて、切羽詰ったような表情でこちらへと駆け寄る加藤君を思わず呆然と見つめる。妙に険しい表情でこちらへ近付いたかと思うと、きょとんとする金吾君の横を通り抜け、呆けて突っ立っている私の掌をそのまま掴む。ぐんと引かれる感触に、私の足が縺れながら加藤君と同じ方向を向く。え、と大混乱を来たした思考の端に、繋がれた私と加藤君の掌が写る。ああ、あの日と同じだ。夢なのだろうか。

「か、加藤君…どこ行くの?」

「……………」

問い掛けに、加藤君の背中は何も答えない。困惑しながら後ろの金吾君を振り返れば、苦笑を浮かべたままヒラヒラと手を振っていた。ちょ、ちょ、ちょ、どういうことですかこれ誰かこの状況説明してください。

「……………」

足早に進む加藤君の背中を恐る恐る見つめていれば、やがてピタリとその歩みは止まる。それでも加藤君は振り返らない。繋がったままの掌だけが、熱を持つように熱い。ぎゅうといつかのようにその指先を握り返せば、ようやく加藤君が振り返った。

「……ごめん」

ぽつりとそう零した加藤君は、バツが悪そうに表情を曇らせてこちらを向いてはくれない。あの日と、同じなのに同じじゃない。ぎゅうと苦しくなる胸が、私の喉を詰まらせる。言いたい言葉が出てこない。加藤君のごめんという声が、脳に響く。それは、何に対しての謝罪なのだろう。

「…俺、あの日リョウは…俺のこと好きだから俺のこと誘ってくれたんだと思ってた」

「…え、?」

「ごめん、勘違いしてて…リョウ、金吾のこと好きだったんだな…」



「は?」



漏れた声は、間抜けなほどに素のままで。ポカンとして加藤君を見つめ返す。私の声にパッと顔を上げた加藤君の表情は、悲しそうに笑ってて…ってちょっと待て。

「…どういうこと?」

「リョウ元々、金吾とは仲良かったもんな…俺も、金吾通じてリョウと喋るようになったし」

「え、あ…あのね…?」

「でも、ごめん…俺、花火の音でよく聞こえなくて、あの時リョウが何か言ったの、自分の良いように解釈してて…勘違いしてた」

「か、加藤君?」

「でも、俺は…」

「加藤君!!」

その先の言葉を、何となく悟って、思わず繋いでない方の手で加藤君の口を塞ぐ。言葉を遮られた加藤君は一瞬驚いたように瞳を見開いて、その後怪訝そうにパチパチとこちらを見つめ返した。はぁ、と私の口から溜息が零れる。加藤君は、何一つ勘違いしてなかったのに、たった今ものすごい勘違いをしている。

すうっと息を吸い込んで、加藤君の瞳を見つめ返す。ぎゅうと繋がった指先に力を込めて、ゆっくりと加藤君の口から手を離す。心臓が五月蝿い。自分の心音しか、耳に響かなかった。私の世界を染める人、私の世界に輝きをくれる人。だから、ねぇ神様。お願いだからもう、意地悪しないで。




「加藤君が好き」




あの時掻き消された言葉を、もう一度この唇が奏でる。まるで無音なこの空間に、私の精一杯の感情だけが響いて、残響を伴って消えていく。私の言葉に、加藤君の両目が見開く。ぐわっと火が吹きそうなくらい顔が熱くなるけど、必死で逸らさないように見つめ返す。ヤバイ、泣きそうだ。嬉しいのと不安なのと色んな感情がない混ぜになって、ボロボロと瞳から零れ落ちる。途端に、ぎょっとした様子で加藤君が表情を変えた。

「え、リョウ…?!」

「わ、私…あの時ちゃんと…好きって言ったのにぃぃ…」

「え、?!」

「花火で聞こえなかったから、まさかと思ったけど…か、勘違いじゃないのに…物凄く違う勘違いしやがって加藤君の馬鹿ぁぁぁ」

「ご、ごめん」

「金吾君は友達なのに…私が好きなのは、加藤君なのに…っ」

「リョウ、」

子どものように喚きながら、溢れるままの感情を漏らす。加藤君がゆっくりと指先を解く。繋がっていた熱がするりと逃げて、重力に従って私の掌が落ちていく。それが物凄く悲しくなって唇を噛めば、次の瞬間にぐんと熱い手のひらが手首を掴んで、ぎゅうと私の体全体を加藤君の匂いが包んだ。

「……………っ」

一瞬理解できなくて吹っ飛んだ思考を手繰り寄せ、目の前のシャツを握り締める。くっついた加藤君の胸に耳を当てれば、物凄い速さで心臓の音が響いていた。ぎゅっとさっきよりも加藤君の腕の力が強くなる。

「はっきり言わなくて、ごめん」

「俺も、」

「リョウが好き」

色付くみたいに、世界が輝いて、夢じゃないかと瞳を瞬かせる。体を包むこの熱と、大好きな匂いが、私に現実だと教えてくれる。ああ、嘘みたいだ。追いかけっこみたいだったこの感情が、ようやく届いた。



真昼の月




「さっき、金吾と何話してたんだ?」

「あれは…うーん…」

「なに?」

「…か、加藤君が…」

「俺が?」

「……………大好きですって話です」

そう呟けば、一瞬キョトンと目を丸くして、その後照れたように笑顔を浮かべる。ゆっくりと細めた瞳を私へ向けながら、加藤君は言う。



「それは金吾じゃなくて、俺に聞かせて」



ああもうキュン死にしちゃうよ、加藤君!


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