家も畑も家族さえも戦火に焼かれて失ってしまった私は、いわゆる孤児というものだった。ほぼ行き倒れ同然で村からかなり離れた道端に転がっていたらしい。そこを偶然通りかかった、一組の夫婦がいた。商いをしており、それなりに裕福な家だった。転がっていた私を目敏く見つけると、何の気まぐれやら連れ帰ってしばらく養生させられた。初めは何て親切なのだろうと人の暖かさに感激したものだが、世の中そこまで甘くはない。体力を取り戻すや否や、すぐさま朝から晩まで働かされて酷使される日々が始まる。休む間もなくただひたすらに馬車馬の如く。最初は恩人だもの、これぐらいは当然と思ってひたすらに働いた。何かが違うと気付いたのは、やれることの限界を越える仕事量を与えられた時だった。私の体はちなみに1つしかない。しかし明らかに2〜3人分の仕事量である。おかしいとは思いつつも、私はそれを口にできなかった。そしてもちろん間に合う筈のない仕事に、私はいつも愚図だ愚図だと奥方に罵られ叩かれ物を投げつけられる。口答えなんてしたが最後、私は遊郭に売り飛ばされてしまう。文句の1つも口にできない私は、いつも唇を噛み締めてひたすらに耐える。いつか、今はまだ無理でも、いつかきっと。この地獄からきっと抜け出してみせる。自分の足で一歩を踏み出す勇気を、私が持てるその時まで。痛くても辛くても苦しくても、きっと耐えて耐えて耐え抜いたら幸せがやってくる。今は私一人で生きてはいけない。十にも満たない子供が、一人で生きていけるほどに世の中は優しくない。そんなの子供の私だってわかってる。だから、今は受け入れるのだ。現実を。今を。


「俺たちは子供だ。何もできない何も言えない。助けてすら満足に言えないんだ」


1人の男の子がいた。彼の名前は久々知兵助。近所に住む友人だった。同い年ということで、たまたま店の表を掃除していた時に知り合った。たまに掃除を手伝ってくれたり、一緒に薪を運んでくれたり、青あざだらけの私を手当てしてくれる優しい男の子だ。今日も投げつけられた器の破片で切れた頬と指を彼は熱心に手当てをしてくれる。痛いよ辛いよと涙を流せば、何も言わずに傍にいてくれる。兵助は、本当にいつだって私のたった1人の味方だった。


「…兵助が、こうやって手当てしてくれるから、私また頑張れる」

「…これしかできないんだよ」

「十分だよ」


兵助の悔しそうな表情に思わず私は苦笑してしまう。ありがとう優しい人。でも君とは今日でお別れ。


「明日行っちゃうんだよね」

「うん…」

「今まで本当にありがとう」

「………」

「私は兵助のこと忘れないよ、ありがとう今まで私の味方でいてくれて」


そこまで口にして、ぽろりと頬を伝った涙に唇が戦慄く。泣くな泣くな泣くな、最後くらい心配掛けちゃいけない。兵助は十になるこの年の春、遠くの学園とやらに入学することになったらしい。住み込みだから、長い休みくらいしか帰って来ない。もう、私を優しく手当てする、この優しい指はなくなるのだ。そう改めて実感すると、最早涙は止まらない。ぐしゃぐしゃの泣き顔を最後に覚えられたくなくて、慌てて俯いた。行かないで、なんて言えるわけがない。彼の道なのだ、私がそれを邪魔する権利なんてどこにもない。だから最後は笑おうと思った。見せ掛けだけでも大丈夫だと思って欲しいという一心で、彼の前にいる。涙を拭って拭って、ようやっと顔を上げたその時だった。目の前の兵助の着物が目前にあった。


「わっ…?!」


はっと気が付けば、ぎゅっと彼のまだまだ頼りない腕が私を抱き締めていた。小さい子がまるで人形か何かを抱き締めるような幼い包容、けれど暖かくて幸せだった。


「………へ、すけ…」

「リョウ、必ず迎えに来るよ。必ず助ける。だから待ってて」

「…………」

「俺にはまだリョウを助けられるだけの力がないから。だから…大人になったら、絶対にリョウを迎えに来るよ」


ささやかな、約束だった。子供と子供の幼い約束。とても不確定で不安定な口約束。けれど、私にとっては何よりの希望。




あれから、何年もの月日が経った。私は未だにこの場所で変わらない毎日を送っている。相変わらず殴られたり罵られたり物を投げつけられたりするけれど、耐え忍んでどうにか今日までこの場所に踏みとどまっている。『いつか大人になったら迎えに来るから』そう兵助が私に別れを告げたあの日から、その約束だけが私を今日まで支えていた。もしかしたら、そんな小さい頃の約束なんて兵助は覚えてないかもしれない。こうやって約束に縋って生きてる私はひどく滑稽なのかもしれない。それでも、未だに希望を捨てきれないでいる。



「リョウ、明日からこの人のとこへ行きな」


奥方の言葉に、一瞬私は何も考えられずにいた。こちらを見もしないで投げつけられた言葉が突き刺さる。彼女の横には妙に愛想の良い男が立っている。さぁっと血の気が引いた。この様な男を、私は一度見たことがある。近所のとても貧しい家の娘が、こんな風に妙に愛想の良い男に連れられてこの町を出て行ったことがあった。風の噂で、彼女は遊郭へ借金のかたに売られたのだと知った。ついに、ついに私もこの日が来てしまった。ここを離れたら、もう兵助に逢えない。もしかしたらこの先来ることなんてないのかもしれないけど、それでも…もう約束にすら縋ることができなくなる。


「……い、いや…」

「………なんだって?」

「いや…嫌です、」


初めての、反論だった。
私の言葉にみるみるうちに目をつり上げた奥方に、怯みそうになる。それでも震える手を握り締め、彼女の瞳を見つめた。


「まだ、ここを離れたくありません」

「馬鹿を言うじゃないよ、雇う側がいらないって言ってるんだから大人しく付いていきな、最後の最後に金にならないなんてそんな馬鹿みたいなことあってたまるかい」

「わ…私行かない…!」

「うるさいね!いいから早く行きな!!」


いつもの如く、怒声と共に腕が振り上げられる。大丈夫、痛いのは慣れてる。殴られるのもこうして目を閉じていれば終わる。心だけここに置いていくなんて、その方が身を切られるより辛いのだから。だから早く嵐が過ぎ去ればいい。私は意地でも動かないから。


ぱんっと熱い痛みが頬にはしり、震える体に力を込めながら必死に耐える。涙が滲む。迎えにくると兵助と約束したの。だから私は、絶対どこにも行かない。今度はぐいっと腕を引かれた。妙に愛想の良かった男が面倒臭そうに私の腕を掴み引きずり始めた。大の大人の男に勝てるはずもなく、嫌だ嫌だと逃げ出そうとする私を無理矢理に引っ張り歩き始める。

絶望が胸に湧いたその一瞬だった。


「っうわ!?」


何かに驚くような男の声がして、一瞬腕の力が緩む。急いで腕を振りほどき、男から逃げる。するとまたもや強く腕を引かれた。


「……!?」

「リョウ、迎えに来たよ」


懐かしい、声がした。


私を引っ張る腕は、随分とたくましくなったのに、どこか優しいままだ。揺れる黒髪に、思わず涙が溢れる。遠い日の約束を口にしたあの日が蘇る。私を導く手は力強く暖かい。駆け出した彼の背中を追い掛けながら、私はようやく微笑んだ。






繋がれた手のひらは暖かい。


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