※ちょっと血・死表現あり 『忍者の三禁』 忍術学園で学生をしていた頃はそれはもう耳にタコが出来そうなくらい何度も繰り返し教え込まれたものだ。あの頃は俺らだって人間なんだ、いいじゃないかそれくらいとどこか内心で反発していたが、どうやらそれは自分自身の心を守るためにも必要なものだったらしい。そんなことを、今ふと思い出した。 「雷蔵達は元気?みんな変わりない?」 「……あぁ」 「そっか」 目の前でへらりと眉を下げて微笑んだ彼女。この笑い方が好き、だった。重なる過去の面影より、彼女は幾分かやつれたようにも見える。 「それにしても…あーあ、なんで一番会いたくなかった場所で鉢合うかなぁ…」 肩を竦めてため息を一つ零す姿は、ハチが虫を逃がした時に見せたものと同じだった。呆れたようにため息を吐いて、それでも最後には一緒に網を持って駆け回る彼女の姿が脳裏に横切る。 ただあの頃と違うのは、足元を這っているのが毒虫や蛇じゃなくて、俺が着ている忍装束とあいつの着ている忍装束、互いの所属する城のそれを着た人間だったモノが血まみれで倒れているということだけだ。俺が追う方で、あいつが逃げる方。彼女の懐に仕舞われているであろう巻物を追って、俺達はここへ来た。結果はご覧の通り、相討ちで残るは俺ら2人だけだ。 「…それを渡せば、見逃してやるよ」 「おお意外なとこで意外な優しさを見せるね、天才鉢屋三郎君」 「相変わらずお前は緊張感がない」 「そうなんだよね、組頭にもいっつもお前は緊張感が足りない!もっと鋭い殺気を見せろ!って怒られてばっかりで…だから今回はちょっと張り切って巻物を死守するって大役を貰ったんだよね」 懐をバシッと叩いて、場にそぐわないカラリとした笑みを向ける。釣られてこちらまでふと笑いそうになるが、口元が引きつって上手く笑えた気がしなかった。 馬鹿だろう、見逃してやるって言ってるのに。何でそんな風に笑うんだよ。 「もう一度言う、それを渡して早く逃げろ」 「…馬鹿だね三郎、敵に甘さなんて見せちゃダメっしょ」 「…頼むから」 「それは聞けない相談だなぁ」 困ったように笑う。あの時と同じままの表情なのに、今はそれを見るのがただ苦しいだけだ。するり、彼女は静かに苦無を構えた。無意識に俺も忍刀を構えていた。 「昔もよく手合わせしたよね」 「…そうだな」 「私三郎に負けてばっかだったけど、これでも結構強くなったんだよ」 軽口を叩く姿はあの頃と変わらない。けれどその手に握られている苦無だけが俺らを冷え切った現実に引き戻す。そしてこの状況を、夢でも嘘でも何でもないということを突きつけてくる。俺とあいつは今この場所で、敵同士のなんでもないのだ。 「ねぇ三郎、」 「なんだ」 そう返せば、彼女は悲しげに瞳を伏せた。悲しくて悲しくて堪らない時、お前はそうやって瞳を伏せるんだ。いくつも覚えてる彼女の表情が、浮かんで消えてまるで泡みたいだ。泣き出しそうな声で、あいつは言った。 「なんでこうなっちゃったんだろうね」 それからはまるで一瞬だった。 あいつから放たれた苦無を忍刀で弾き、その場から飛び退く。それを狙っていたかのように突き出された拳をいなして、足を掛けるためにしゃがむ。それを悟ってか、思い切り飛び上がって、宙返りをしながら距離をとる。頬を切るのは冷たい風とあいつの殺気。あいつの忍組頭に言ってやりたい。こいつはやればできるんだって。 苦無が再び構えられる。突っ込んできたあいつと鍔競り合いになり、ギリギリと互いの得物の金属音が響く。静かにこちらを睨み付けている瞳は、冷え切っていて思わず背筋が泡立つ。 ああ本気なんだな あいつも俺を殺す気だし、俺もあいつを殺す気でこうして対峙している。きっと、相手に自分の思いを伝えなかったことを悔やむことなんてこれが最初で最後だ。 ふ、とあいつが場違いな微笑みを浮かべる。俺の好きだったあの笑い方だ。それに目を奪われた、ほんの一瞬だった。全力で競り合っていたあいつの苦無の力が突然緩められた。 「……っ!」 次の瞬間に感じた感覚は、忍刀があいつを斬りつける感覚。競り合っていた勢いのまま、鋭い刃があいつの肩から胸を鋭く抉る。噴き出すように散った赤色が刀身に鈍く輝く。スローモーションのようにゆっくりと傾いでいくその体。冷え切った指先から、するりと忍刀が零れ落ちた。 「っ…馬鹿野郎!」 倒れる彼女の体を抱き止めたのはほとんど無意識だった。ぐにゃりと力なく寄りかかって、斬りつけた傷からはダラダラと真っ赤な鮮血が止まらない。焦点の定まらない彼女の瞳が俺を見上げた。そして、また笑う。馬鹿だろう。今は、笑う時じゃないだろう。 「…っ何で」 「あはは…三郎のこと、甘いとか…私言ったけど…私も人のこと言えないね」 「すまない、痛いだろう、こんな中途半端に斬りつけたんだ」 「ばぁか、三郎は、何も悪くない…でしょ」 力なく笑って、彼女は俺の頬にゆっくり手を伸ばした。当てられた冷たい手に自分の手を重ねた。冷たい、冷たい、握り締めてもどんどん体温が逃げるように冷えていく。逃げる体温にどうしようもなく焦っている。可笑しいだろう、さっきまで殺し合っていたのに、だ。 「三郎に、一個だけ謝らないと」 はぁ、と苦しげに呼吸をしながら彼女は紡いだ。怪訝な俺に向かって、悪戯を仕掛けた時の表情を浮かべた。 「私、囮なんだ、…だから、巻物は偽物。今頃、組頭達が本物…ッ持っていってるか、な」 「…そんなこと、今は…っ!」 「へへ、最後の最後、に出し抜いて、やったよ」 斬りつけただけの傷はなかなか致命傷にいたらない。ただ止まらない血だけがハラハラと流れて、ゆっくり彼女から体温を奪う。苦しいだろう辛いだろう、なのに何でそんな時に笑えるんだお前は。 本当に、 「、馬鹿だよ…お前」 「ごめ…」 「なんでこんな…」 「私、やっぱ…三郎は、殺せな…よ」 声がだんだん聞こえなくなる。もうほとんど目も見えないのだろう。ゆっくりとその瞳が閉じられていく。まるで眠るようだ。握り締めた指先は冷たい。 最後にあいつは笑った。 閉じ掛かった瞳から、ハラリと涙が流れ落ちて、泣きながら笑う顔は今まで見たことがなかった。そしてゆっくりと、色のなくなった唇が動いた。 「 」 最後にそう言った彼女の頬に涙がひとひら、零れ落ちた。 「ささささ三郎!?」 夢を見た。 いい夢かと聞かれたらそうとも言えないし、だからといって悪い夢ではない。 ただ、酷く残酷で優しい夢だった。 目の前で固まって硬直するリョウの体温に安堵する。ぎゅっとさらにきつく抱き締めれば、苦しい!とリョウが声を上げた。それでも、離せない。 「ちょ…いきなり何なの三郎…」 「リョウ」 「はいはい?」 「好きだ」 「…はい?!」 言えなかったことを悔やむくらいなら、俺は何回だって伝えよう。この体温が失われることが、あんなに恐ろしいと知ったから、俺は一分一秒も惜しめない。 「、あ…あれ」 戸惑ったようなリョウの声に、少し体を離して顔を覗き込んでみる。 「私…何で泣いてるんだろ…」 ぼろぼろとリョウの瞳から止めどなく涙が零れる。呆然と涙を流すその姿は、まるで自分でない誰かが泣いているかのようだ。笑顔も呆れた顔も悲しそうに瞳を伏せる癖も、困ったように微笑む顔も、全部全部愛おしい。 リョウは、最後に言ったあの約束を覚えてくれているだろうか。 もう一度、涙を流すリョウを抱き締めて、髪に頬を寄せる。腕の中の暖かい体温が、冷え切った指先に温もりを与えた。そっと、俺の背中に彼女の腕が回される。ぎゅっと服を握り締める感覚。 耳の奥で彼女の最後の言葉が響いた。 「もしもまた出逢えたら、次はもう離さないからね」 |