私にとって、今日はようやく掴み取ったチャンスだった。

見てるだけだった赤の他人な私と加藤君との関係。それが友人の協力もあり、いつの間にやら名前を覚えてもらい、挨拶を交わすようになり、他愛のない話で盛り上がるようになり、世間一般から見て"友達"と呼べるまでに発展していった。そして私は暴れる心臓をどうにか押さえつけながら、顔はあくまで冷静さを保ちながら彼にこう持ち掛けた。

"一緒に花火へ行きませんか"

私の蟻みたいに小さな勇気を振り絞りながら告げた言葉に、加藤君はきょとんと顔を上げた後に太陽みたいにニカッと笑いながらこう返した。

"リョウが浴衣着るならな!"

本当にキュン死ぬかと思った。


この為に買った黒地に銀色の花が浮かぶ浴衣とえんじ色の帯を着付け、髪も綺麗に結い上げてもらってシンプルに薄紫の花が飾られた簪を挿す。気合いも十分。家を出る前に何度もイメトレもした。だって、今日こそ"友達"の枠から少しでも出たかった。友達以上恋人未満とかそんな曖昧なものでもいい。とにかくどうにかして発展させたかったのだ。


「か…加藤君!」


緋色と薄紫のグラデーションが夕暮れの空に広がり、日中よりも幾分か暑さの抜けた風が頬を撫でた。カラコロと下駄が鳴る。その音と私の声に気が付いてくれたのか、紺色の浴衣を着た加藤君が振り返った。私も浴衣を着るから加藤君も着てね!そうお願いをしたのは自分だけど、それにしてもなんてこったい。加藤君の浴衣姿は私には兵器並みの威力だった。カッコ良すぎる。それなのに満面の笑みで手を振るものだから、もう色々死にそうになってた。なんなのコレおかしくない?普通逆じゃない?


「お、ちゃんと浴衣着て来たんだな」

「か、加藤君こそ…」

「やっぱ夏は浴衣だな!似合う似合う」

「………!」


そう言って私の頭を優しくポンポンと撫でられる。似合うのは加藤君あなたですよ…!そう言い返したくとも口はパクパクと虚しく開閉するだけだった。


「行こうぜ、リョウ」

「う、うん!」




出店の灯りが徐々に増え、それに伴って人混みも増えていく。加藤君は背が高い。だから何とか見失わずに済んでるけど、どうしても前に進みづらくてちょっと距離が空く。まさか手を繋ぐなんて選択肢は私の蟻んこな勇気ではすぐさま却下された。だから見失わないように追い掛ける。なんだか私と加藤君の関係みたいだ。私が必死で追い掛ける。加藤君は先を行く。それじゃあ、これ以上離れたりするわけにはいかないの。


「リョウ!」


人波に呑まれていた私を、加藤君は少し先で立ち止まって待っている。人の流れと提灯の灯りの中で、加藤君だけが色鮮やかに浮かび上がる。ああ、やっぱり私は加藤君が好きなんだ。胸がきゅうっと痛くなる。


「ごめん!俺さっさと進んじゃって!」

「私もごめんね…!ちゃんと付いて行ければ良かったんだけど…」

「よし、じゃあ手繋ぐか!」

「…え!?」

「嘘、リョウ真っ赤だぞ」


思わず真っ赤になりながら素っ頓狂な声をあげた私に、歯を見せながら加藤君は笑う。うああ反則だよそれは…!

脳内で叫んだその瞬間、轟く爆発音と星のように明るい火花が空に散る。あっと2人揃って空を見上げる。漆黒の夜空に炎の花が咲いた


「始まったな」

「わぁー…綺麗だねぇ…」

「リョウ、こっち」

「え?え?わ、待って、」


自然に加藤君が私の手を握って、そのまま引かれるがままに歩き出す。加藤君がわわわわ私の手!え、手繋いでる!頭の中が大パニックを起こす。繋いでる手がそこに全神経が集まってるかのようだ。加藤君の手が熱い。きっと私の手も。


「やっぱりな!ここ空いてるぞリョウ」

「本当だ…花火もよく見えるね」


腕を引かれてたどり着いたのは神社の境内だった。人も先程よりは多くないし、何より花火がよく見えた。特等席だと加藤君は笑う。手はここに着いたと同時に離れた。加藤君に繋がれてた左手が未だに熱を孕むけれど、どこか寂しい。

手、もう一度繋げたらいいのに


「……リョウは、何で今日俺誘ってくれたの?」

「え?」

「いや、リョウ割と金吾とか三ちゃんとかとも仲良いだろ?だから、何で俺を誘ってくれたのかなって」

「い……嫌だった…?」

「そうじゃなくて!単なる疑問だからな!嫌とかそんなんじゃないから!」


一瞬不安がよぎったが、必死で否定してくれる姿に思わず安堵した。頭上で赤色と青色の光が瞬く。淡く照らされた加藤君の顔がこちらに向けられていた。私も加藤君の瞳を見つめ返す。何て言えばいいんだろう、答えはただ一つしかなくて、好きだからに決まってるのに、私の口からは好きのすの字も出てこない。何て言えば伝わる?どうすればいいの。ピクリと身を捩った私の指先に加藤君の指先が触れ、熱が伝わる。

今日は、ようやく手にしたチャンス。友人の枠から飛び出すために、小さな勇気が起こしたたった一度の奇跡。

無意識に、私は加藤君の指先を探って小さく握りしめた。指先が触れるか触れないか、そんな僅かな距離。加藤君に触れる指先が熱い。私の顔もきっと真っ赤だ。最早顔すら見れなくて俯く。

しかし次の瞬間手のひらを包んだ熱に私は顔を勢いよく上げた。


「?!あ、えと…ッ」

「…………なぁ、」

「?」



「俺、勘違いしそうなんだけど…したままでいてもいい?」



ドォンと轟音が空気を揺らす。じわりと火花が散る。呼吸が止まった。交わる私と加藤君の視線。気が付けば私の口が勝手に動いていた。自分が絶対に口になんかできないと言ってたあの一言。するりと零れ落ちた言葉は花火の弾ける音に掻き消される。神様は意地悪だ。



真夏の夜の夢




けれど、その後加藤君が私の大好きなあの笑顔を浮かべて手をぎゅっと強く握りしめてくれたから、私の気持ちはこの指先からきっと伝わったのだろう。
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