一番始めにその光景を見たとき、私はその場に凍りついた。逃げ出したいのにピクリとも動かない体と背筋を走った冷や水のような感覚、そして一気に停止する思考。三郎と見ず知らずのくのたまの仲睦まじい光景が、私の体を氷漬けにした。一見したら、それは本当に微笑ましくて平穏な、とても温かな光景だったのかもしれない。けれど、私にとっては何よりも残酷な2人で。姿が見えなくなってようやく動き出した体に伴い、働きだした思考。融解した氷が溶けて、やがてそれは私の頬を緩やかに伝った。裏切りと絶望と嫉妬を一気に味わい、込み上げる嗚咽と吐き気。

私は鉢屋三郎の許嫁だ。

元は親同士の勝手に決めた婚姻で、そこに私達の意志なんかこれっぽっちも入っていない。ただ、それが当たり前だとそう言い聞かされて生きてきた私には、まさしく今までの人生をひっくり返されたも同然の出来事だったのだ。けれど文句の一つも言えない臆病な私は、ただそんな2人の仲睦まじい様子を遠くから見てるだけだった。所詮親同士の決めごと。三郎だって学生の間くらい好きに過ごしたいに決まってる。だって否が応でも将来は私みたいな女とくっつかなければならないのだから。頭では理解していた。そう言い聞かせた。けれど心だけは付いて来なかった。泣いて泣いて、それで終わりなら良かった。けれどそうもいかなくて、三郎の隣に次々と日替わりかのように知らないくのたまが並んでるのを見るたびに、胸が張り裂けそうになって、私の涙が止まることはなかった。やがて涙が枯れた頃、私は体と思考を凍り付かせる代わりに、心を凍らせた。何も感じない、何も動じない、何を見ても心を揺らさない。そうなれば、三郎がくのたまの女の子と歩いてようが何だろうが、もう気にすることもなくなった。

ついには涙すら私は凍らせた。

「佐々木さんが、好きなんだ」

見覚えのある男だった。藍色の装束から見て五年生…同い年なのだろう。顔色をやや朱に染めながら、そわそわと私と向かい合っていた。私を好きだと、彼は言っている。そんなこと言われたこともなかった私は、思わず唖然としてしまった。それに不安を覚えたのだろう、目の前の彼は困ったように眉を下げた。

「やっぱり…ダメ、かな…?」

「えと…ダメっていうか…」

何て返したらいいだろうか。それにしても私が三郎の許嫁だということは本当に一部にしか伝わっていないらしい。優しそうな彼がそんな恋愛に足を突っ込むとも思えない。知らなかったのだろう。……まぁ、最早形だけみたいなものだから…仕方ないと言えばそうだけど。

「佐々木さんとあんまり話したことないから、俺のことあんまり知らないとは思うんだ」

「ああ、まぁ…そうだね」

「でもそれはこれからだって知ってけるし、俺は絶対佐々木さんを幸せにする」

強い瞳だった。そして紡がれる言葉も自信に溢れてて、私は久方ぶりに凍り付いていた心を揺さぶられそうになっていた。私を絶対に幸せにしてくれると、彼は言う。私だって、たった一度だけでもいい。誰かに愛されてみたい。三郎だって、好きにしてる。だったら私だって好きにしたっていいじゃないか。こんな私を好きだと言ってくれる彼と、もう一度凍り付かせた心を取り戻したい。目の前の彼の手のひらを、ギュッと握りしめた。

「…私なんかで……っんむ!?」



「だめ」



突然私の口を覆った手のひらと耳元で囁かれた声に紡いだ言葉が途切れる。ハッと気が付けば、後ろからまるで抱え込むかのように伸びてきた腕に身動きが取れなくなる。私も目の前の彼も、目を丸くしてただただ驚く。だって、この声も、この腕も。全部、

「鉢屋…?!」

唖然とする彼の口から零れた予想通りの名前に、私の体は凍り付く。どうして、何でこんなとこに。

「悪いが、リョウは私の許嫁だ」

「い…許嫁!?」

「人のものに手を出すほど馬鹿じゃないだろ?」

「…………………」

三郎の一言に押し黙ると、そのまま背を向けて歩き去っていく。私を必ず幸せにすると言った人。どんどん遠ざかっていく背中に、私はもう何度目か分からないほどに脱力感を味わった。ふつふつと怒りが込み上げる。どうして私が幸せになろうとするのを邪魔するの?自分は好き勝手ばかりしてるくせに、苦しいのはいつも私ばかり。もう嫌だ。もう離して。私を、自由にして。

「…はなっ…離して!」

「嫌だ」

「何で…自分勝手なことばかり…っ、どうして私ばっかりこんな思いしなくちゃいけないの!?」

ぼろりと零れたのはいつからか枯れ果てた涙だった。決壊した涙腺は止まることを知らない。それと同時に、私の今までの凍らせていた思いもどんどん溶け出した。

「私がいつもどんな思いで、三郎と他の女の子の仲良い姿なんか見てたと思ってるの?一番始めに見たときから、私は私の今までを全部否定された気分を味わった。それがどんだけ惨めか…三郎なんかには絶対分かんない!!」

三郎の腕から逃れようともがいてるのに、腕の拘束はちっとも緩まない。それどころか、ぎゅっと加減も知らずに抱き締めるから、少し苦しい。三郎の鼻先が私の耳元に寄せられて、吐息が首筋に当たっているのがくすぐったい。

「お願…っ、離して三郎ぉ…」

「……離したら、リョウはあいつのとこへ行くんだろ?」

だから、離せない。そう囁いて、私の項に唇を落とす。背筋を電気が走ったみたいな感覚がした。

「!?…やめっ、」

「なぁ、リョウ……お願いだ、私が悪かった…だから私以外のものになんかならないでくれ」

縋るようなか細い声だった。三郎にしては何て覇気のない、弱々しい声だろう。

「何があっても、リョウは私とお前の父親が交わした約束があるから、離れていかないと思ってたんだ。約束で縛れてると思ってた。一番始めに他のくのいちと居た時、リョウが私達のこと見てたのは分かってた。分かってて試してた。そしたら…いつのまにかリョウは私に見向きもしなくなってた」

ポツポツと私の耳元で言葉がこぼされる。これは、私と三郎のすれ違いが招いた歪みだった。

「リョウ、好きだ…好きだ好きだ…好きなんだ…誰にも渡さない触れさせない、何度だって謝る、何だってする。だから、私の側から離れて行かないでくれ…私以外を好きだと、どうか言わないでくれ」

縋り付く両腕と声音が、溶かしていく。ああ、私は必要とされてるのか。じゃあ私にはまだ、存在価値があるのだろうか。好きだと言ってもらえるなんて、夢以外の何物でもないのだ。馬鹿みたいに涙が止まらない。それなら私は、まだ少し希望を捨てなくてもいいのだろうか。凍った心がゆっくり融解していく。

終わりを告げるはずの唇は、最後にさよならを凍り付かせた。



氷点

(絶対零度すら超えて)





本当は許嫁ヒロインのことが大好きな癖に気を惹きたくて色んな女の子といたら許嫁ヒロインに愛想尽かされて他の男のところに行かれそうになり、必死で阻止する格好悪い鉢屋の話(笑)
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