「なぁ、日曜の10時って俺言ったよな?」

本棚とベッド、そしてテーブル。シンプルな部屋に三郎のイライラとした声が響いた。カチカチと規則的に時を刻んでいる時計に目をやれば、もうすぐ11時を針は示そうとしている。三郎の言葉を受けて、竹谷と雷蔵は顔を見合わせると困り顔で窓の外を覗き込んだ。

「うーん…金曜日の時にはちゃんと10時って言ってたけど…」

「迷ってんじゃねぇのか?」

「いや、俺んち帰り道だからって言ってたからそれはない」

竹谷の言葉を受けて、ベッドに腰掛けてパラパラ本を捲りながら兵助がそれを否定する。そっか、と眉を下げながら雷蔵も床へと座り込んだ。

「おい、誰か携番知らねぇ?俺、そういえば番長の聞きそびれてたわ」

三郎の問い掛けにそれぞれ顔を見合わせると、携帯を手に取りながら誰もが首を横に振った。

「俺は知らないぞ」

「お前クラスメートなんだろうが!何で知らねぇんだよ」

「そういうハチも知らないだろ」

「おい、雷蔵は知らねぇのか?」

「うーん…実は僕も知らないんだよね…学校で一緒にいることが多いからうっかり聞いたもんだと思い込んでたけど…三郎は?仲良いのに」

「お前が知らねぇのに俺が知ってるわけねぇだろ」

はぁーっと溜息が全員の口から漏れる。このままじゃ埒が明かないとおもむろに雷蔵が立ち上がると部屋の外への扉へと向かって行く。それを視線だけで追いながら、三郎はダルそうに雷蔵へ声を掛けた。

「どこ行くんだ?」

「ちょっと、その辺探して来てみるよ。もしかしたら近くに来てるかもしれないし」

「じゃあ手分けして探した方が早いだろ、オラお前らも…」


ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!!

行くぞ、と三郎がハチと兵助を促したその時だった。けたたまいしいチャイムの連打が家の中に響き渡り、四人は顔を見合わせた後雷蔵を筆頭に部屋を飛び出し玄関へと向かった。その間もチャイムは鳴り響いていたが、やがてコンコン!と扉を忙しなく叩く音に変わり、くぐもった声が扉の向こうから響いていた。何やら慌てている訪問者の徒事でない様子に、階段を転がり落ちる勢いで下ると、鍵を開けて玄関の戸を開け放った。

「っうわ!!」

「うぎゃあ!!」

開けたと同時に飛び込んできたリョウが、真正面にいた雷蔵へと勢いよく突撃する。バランスを崩し掛けたリョウの身体を間一髪雷蔵は受け止めると、その背後でゆっくりと玄関の戸が閉まる音が響いた。唖然として静まり返る屋内に、リョウのぜーはーという荒い呼吸音だけが響き渡る。ぐったりと寄りかかったその身体を支えながら、雷蔵はゆっくりと顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「わ、悪い…急いで来たんだけど途中で奇襲に…、!?」

「奇襲!?リョウちゃん怪我は?怪我してない?!」

「ぎょわあああ!すいませんでしたあああ!!」

「え、ちょ…だ、大丈夫なの!?」

我に返って顔を上げた次の瞬間、雷蔵のアップを目の当たりにしたリョウはビターン!と玄関の戸に張り付きそうな勢いで雷蔵から離れる。そんな二人を遠巻きに見つめながら、やれやれと三人は肩を竦めた。

「まぁ何はともあれ無事そうだな…」

「心配して損した」

「そうだな」




「本当に悪かった…ちゃんと時間に間に合う予定だったのに来る途中で待ち伏せされて…でも今日はお前らに勉強を教えてもらう予定だったから喧嘩してる場合じゃねぇって死ぬ気で逃げて遠回りしながらここまでどうにか撒いて来たんだ…」

「休日まで待ち伏せか、相手も相当暇だな」

「番長、その手に持ってるのなんだ?」

リョウの手に握り締められてるビニール袋を指しながら竹谷が尋ねる。ああ、とリョウはその中へと手を突っ込むと、ガサゴソと中からプリンを取り出して、申し訳なさそうに眉を下げた。

「これ、手土産にプリン買って来たんだけど…走って逃げてる間にシェイクされてよく分からない代物になっちまった」

容器の中を覗き込めば、見事にカラメル部分とカスタードがシェイクされた妙な色合いの液体がふるりと揺れている。竹谷は口端を引きつらせながらリョウとそのプリンへ視線を送ると、同情的な哀愁を漂わせながらポンッとリョウの頭を撫でた。

「あー…その…が、頑張ったな…」

「うん、お前よく頑張ったよ…偉いぞちゃんと逃げ切って」

「人様の家にまで迷惑掛けるわけにはいかねぇだろ」

「悪いな、俺の家のために。まぁ、そんなとこで正座してないでこっち座れば」

扉付近で正座をしていたリョウを手招きながら、兵助がポンポンッとクッションの上へと促す。渋々立ち上がりそのクッションへと腰を下ろすが、その瞬間ガシッと三郎がリョウの耳を引き寄せて小声で呟いた。

「いだだ鉢屋てめなにす…」

「おい、初の雷蔵の私服…お前ちゃんと見とけよ?」

「!?」

三郎の言葉に無意識にリョウの目が雷蔵へと向けられる。次の瞬間、音を立てたように真っ赤になったリョウの顔色に竹谷や兵助は首を傾げるが、三郎だけが意地悪そうに笑ってみせる。

「お前…からかうのも大概に…っ!」

「それなのにお前ときたらなんだよその格好…やる気あんのか」

三郎の言葉にリョウは思わず自分自身の服装を見下ろす。ジーパンにパーカー、自分の私服といえばこんなものぐらいしか持っていない。何言ってんだという視線で三郎を見返せば、何故だかダメだこりゃと呆れ顔で返され、頭上に疑問符が飛び交った。

「何がダメなんだ?今日みたいに奇襲された日はこういう格好じゃないと身動きが取れないからあたしは気に入ってるんだけど…」

「はぁ…まぁいい…お前にはまだレベルが高いから…まぁいずれな」

三郎の言葉にますます首を傾げるリョウに三郎は言葉を濁すと、机の上に放って置かれた教科書を徐に手に取り掲げた。

「それより、今日はこれやるんだろ」

「そ、そうだな!悪い、それなのに遅くなって…」

「そんなのいいよ、頑張って追試合格しようね」

「お…おう!」

ニコリと微笑む雷蔵に内心ドギマギしつつも、大きく首を縦に振るとさっそく自分自身の教科書を取り出し、背筋をピンと張ってみせた。





「そうそう、だからそこの活用形がこれに変わって…」

「な、なるほど…」

不破が指し示す古文の教科書の活用形の表へと視線を滑らせながら、時々触れる肩越しの体温に全力でこの場所から駆け出して町内一周を全速力で走り回りたい衝動に駆られるがぐっと堪える。真剣に教えてくれる相手に対して真剣な態度で臨まないのは申し訳が立たない。況してやこれはあたしのためにみんなが開いてくれたもので、あたしはみんなのその協力を無駄にしないように全力で取り組む必要がある。ぐっとペンを握る指先に力を込めて、不破の言葉を一言も聞き漏らさないように耳を澄ませる。視界の端で何やらにやにやしている鉢屋の姿が見えるが、全力で無視だ。無視無視!

「だからこの場合、けりがこの活用に変わって、こっちの意味になるってこと。分かったかな?」

「おほー、雷蔵は相変わらず教えるのうめぇなー」

「あ…あたしでも分かった…」

「そっか、じゃあここの問題やってみようか」

「よし…!」

問1と示された問題へと目を通し、四苦八苦しつつもどうにかこうにか解答を記す。何故だかあたしの隣では竹谷もさっきから一緒に勉強しており、ガシガシと頭を抱えながら同じように問題を解いている。竹谷も古文が苦手らしい。妙な仲間意識が芽生えつつ、書き上げた自分の解答を不破に見てもらおうと恐る恐る顔を上げる。ん?と微笑みながら私を見つめる不破に、手元の解答を見せつつ頭を下げた。

「で、できた…見てくれ!いや、見てください!」

「うん、じゃあちょっと貸してね」

不破の瞳がゆっくりと上下している様を見ながら、あたしは祈るような気持ちでその視線の先を探る。どうか間違っていなければいい。せっかく丁寧に根気強く教えてくれる不破のためにも、どうか正解して欲しい。ぐぐぐと眉間に皺が寄っていることも忘れて、穴が開くほどに不破とノートを見ていれば、やがて不破の指先が動いてあたしのノートへと大きく赤ペンで丸印を描いた。

「あ、」

「はい、正解!すごいねリョウちゃん」

満面の笑みで○印の付いたそのノートを返され、手元に色づいた大きな○に思わずあたしからも笑みが零れる。

「や、やった!」

「リョウちゃん、覚えが早いからきっと大丈夫だよ。自信持って」

穏やかな表情でそうあたしへと言葉を掛けてくれる不破に思わずじんと目頭が熱くなる。手元のノートに咲いた大きな丸印があたしに自信を湧き立たせるように色鮮やかに目に焼きついた。不破がくれた丸印だ。100点を取るよりも何よりも、あたしには何よりも嬉しくてたまらない。あたしだってやればできる、不破がそう教えてくれた気がした。

「よーっし!絶対追試合格して教師の鼻っ柱粉々にしてみせるぞ!」

「…なんでお前はそう言動が猟奇的なんだ…」

「何か言ったか鉢屋!」

「何でもないでーす」




「うあああ…もうダメだぁ…あたしの頭の容量が限界だと叫んでる…」

ゴン!と鈍い音を響かせながら、テーブルへと突っ伏す。気が付けば室内に差し込む光はとっくに夕日に染まって、オレンジ色に輝いていた。どこか遠くで暮れの鐘が鳴っている。

「もうこんな時間か…随分根詰めてやってたからな」

「三郎、古文の方は僕はもう大丈夫だと思うけど…追試の範囲も一通り押さえたし」

「生物はまぁ、気合だ!気合で何とかなるだろ!」

「それはハチの場合だけだ。俺も大体は大丈夫だと思う。要は合格点取れればいい話なんだろ」

「うう…本当に助かった…みんなのお陰だありがとうな…!」

「おう頑張れよ!」

「お前は自分ちの犬がいかに可愛いかを延々話してただけだろうが」

半泣きで礼を言ったあたしの頭をガシガシ掻き撫でる竹谷に、鉢屋が半目で突っ込む。まぁ確かに竹谷の話は大半が自分の家で飼ってる動物の話だったけども、何となく自分と似たような思考回路なのか割りとシンプルな覚え方で分かりやすかったのは事実だ。ははは、と乱れまくった髪を直しながら、苦笑を返せばふと鉢屋が思い立ったかのようにこちらを振り返った。

「それはいいとして、おいリョウ!」

「な…なんだ…」

「お前!携帯の番号ぐらい誰かに教えとけよ!今日みたいに連絡取れねぇと困るだろうが!」

ぶちぶちと文句を言いながら、鉢屋は徐にポケットから黒い折りたたみの携帯電話を取り出す。ん、とそれを突きつけられるものの、携帯と鉢屋を見比べつつ、目を瞬かせた。

「…なにしてんだ?」

「なにって…赤外線。まさかお前の携帯付いてない機種じゃねぇだろうな」

「いや、そうじゃなくて…」

「あぁ?」


「あたし、携帯持ってないから」


あたしの言葉に、その場にいた全員が言葉を失ったかのように固まる。言ってなかったのだろうか。キョトンと携帯を片手にしたまま口元を引き攣らせた鉢屋の顔を見返しながら、首を傾げた。

「はぁ!!?このご時世携帯持ってない奴いんのかよ!!」

「いるだろうが今お前の目の前に」

「お前それでどうやって生きていけんの!?」

「生きてるだろうが今現在進行形で」

「ありえねぇぇぇ!!!現代人じゃねぇー!!」

頭を抱えて絶叫する鉢屋を唖然とした様子で見ていると、不破がやれやれと苦笑を浮かべながら鉢屋を片手で黙らせていた。

「ごめんね、三郎携帯依存症っぽいとこあるから」

「ああ…あれが噂の…現代人若者に多いという…」

「っておい!人を珍獣かなんかみたいに…大体なんでリョウは携帯持ってないんだ!買えよ!不便だろ!俺が!」

「お前がかかよ!」

「ハチ、突っ込んだら負けだぞ」

「なんでって…別に今まで連絡取るような相手もいなかったし、持ってたら持ってたで番号回されて呼び出されるから面倒くさくて…」

正直、不破に出会う前までなんて携帯電話なんて合ったって登録するような相手も友人も自分にはいなかった。誰かと連絡が取れなくて困るだとかすぐに連絡しなきゃいけない相手がいるだとか、そんなことは考え付きもしなかったし、思ったこともなかった。けれど、今日こうやって、あたしと連絡が取れないことで心配を掛けてしまった友人達がいる。あたしを心配してくれる友人たちがいる。あたしにも、登録できるような友人がいる。ふと視線を移せば、不破の手にも鉢屋と同じように携帯が握られている。ブルーの鮮やかなそれを見つめながら、なんだか心が温かくなるようなそんな気がした。

「でも、今は…欲しいかもしれない」

照れくさくてそっぽを向きながらそうポロリと零せば、ふふっと不破が柔らかく笑った声が耳に届く。肩越しに振り返ったその表情は、す
ごく温かく穏やかな微笑だった。

「買ったら、絶対教えてね」

「………う、うん…」

あたしは再度町内一周の衝動に駆られるのだが、鉢屋を始めとする三人のニヤニヤとした表情を見て、思い切り拳を握り締めた。

「見てんじゃねぇぇぇぇ!!!!」

「あっはっはっは!番長顔が真っ赤だぞー!」

「うるせぇ夕日のせいだ馬鹿!ばーか!」

「ガキの喧嘩か」




カラフル






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