最近、何故だろうか。
学校にもあたしの居場所ができたような気がする。

「またね、リョウちゃん」

「じゃあなー番長ー」

「お、おう!」

ざわめきに溢れかえる校内で、不破と鉢屋の声をあたしは捉える。手を振りながら去っていく二人の背中を見送りながら、あたしは何だかこうやっている今が嘘みたいに思えた。だって、そうだろう。数日前のあたしは放課後まで学校にいるなんてことも、ましてや誰かにまた明日なんて言葉を掛けられるようなこともなかったんだ。


本当はずっと、こんな些細なことにあたしは憧れていた。


少なくとも高校入学前までのあたしは、そうなるんだって信じていた。こんな、ここいら一帯の番長になんかなる予定は微塵もなかったんだ。

「よぉ、まさかお前が真面目に学校通ってるなんざ思わなかったぜ佐々木」

校門を抜け、いつもの帰り道を辿っているその途中だった。サッと行く手を阻むように数人の男が姿を現す。どいつもこいつも見た顔だ。それも当然、そいつらはあたしが数日前に喧嘩をふっかけられ返り討ちにした相手だからだ。どうせお礼参りってとこだろう。あたしみたいな女一人に、男がそろいも揃って数人掛かり。情けない話だ。どいつもこいつも、こうやっていつもあたしの平穏はかき乱される。


やっぱり、あたしはどうやってもここからは抜け出せない。自業自得だって分かってる。けれど、一瞬でも夢を見たあたしを誰が笑ってくれるだろう。


「またね、リョウちゃん」

「じゃあなー番長ー」



お前にはあの眩しい世界は似合わないと、誰かが囁いた気がした。







「あ」

「……っげ!?」

空はもう夕焼けに染め上げられ、どこか遠くで子どもが別れの挨拶を交わす声が微かに響く。満身創痍、とまではいかないまでもそれなりに頬を腫らして口の端を切ってしまったあたしは、人目に着かないようにこっそりこっそり住宅地を抜け、帰路を辿っていた。そんな帰り道、見つかりたくなかった相手にバタリと遭遇し、あたしの体は無意識に回れ右を向いていた。

「ちょっと待て」

逃亡も空しく、その場から駆け出そうとしたあたしの体はガシリと力強く肩を掴まれ踏鞴を踏むこととなる。錆びた玩具のように後ろを振り返れば、にやりと不敵な笑みを浮かべた鉢屋三郎がいた。

「よ、よぉ鉢屋…こんなところで奇遇だな」

「そう言う番長は随分ひどい有様だな」

「こ…これは、その」

「分かってるって、どうせまたタイマン張ってきたんだろ?ホント飽きないねお前」

「う、うるさいな!こっちだって好きでしてんじゃねぇよ!」

噛み付くようにそう返すが、本気に取ってるのか取っていないのか、興味もなさそうにふうんと呟いて終わる。この野郎…そっちから突っかかってきたくせに何て態度だよ。相手にするのもなんだか馬鹿らしくなって、諦めてさっさと鉢屋の脇を通り抜けようとする。

「だから待てって」

「いだだだだだ!!」

隣を横切ったその瞬間、びぃん!と容赦なく髪の毛を引っ張られあたしは何とも間抜けな叫び声を住宅地に響かせる。ギッと睨みつけるように振り返るが鉢屋は相変わらずどこ吹く風だ。

「お前なぁ…!ハゲたらどうしてくれんだ!!」

「待てって言うのに番長が帰ろうとするからだろ」

「〜〜〜〜っ!用は何だ!」

ああ言えばこう言うっていうのは鉢屋みたいなやつのことを言うのだろう。人を小馬鹿にするようにニヤニヤしていた鉢屋だが、何故か急にじいっと真剣な表情で顔を覗き込まれる。こうして見ると、鉢屋と不破は本当に瓜二つだ。勿論正確は180度違うが、さすが従兄弟というべきか顔だけは似てる。お陰で目の前にいる人物は鉢屋三郎だというのに、何だか不破にじっと見つめられているような錯覚を起こして、あたしはじわじわと顔が赤くなるのを感じた。ほ、発作が…更年期の発作が出てくるぞ…!

「なぁ、番長」

「な…なんだよ…」

「なんで番長は、そんなに喧嘩に巻き込まれるんだ?」

思いも寄らなかった疑問に、あたしの目はキョトンと丸くなる。

「俺もつるむ様になってから知ったが、番長は自分から喧嘩を吹っ掛けるタイプじゃないだろう」

「……………」

「いつも、仕方なく巻き込まれて、んで仕方なく叩きのめしてたら番長になってたんじゃねぇの?違う?」

「な…なんで分かるんだ?」

私の言葉に、鉢屋はやっぱりなと肩を竦めていた。こ、こいつこの間から思ってたんだが本当にエスパーか何かじゃないのだろうか。ピタリと当てた鉢屋に僅かばかり恐怖しつつ、あたしもあたしで何て言えばいいか分からず視線を泳がせた。それは本当にその通りであるとも言えるし、しかし自業自得だと言わざるを得ない部分も多少はある。相手が100%悪いとは、この場合には言えない。ゆっくりと溜息を吐き出して、苦笑を浮かべる。

「まぁ…こうなったのはあたしも悪いんだ」

「自分から吹っ掛けたのか?」

「いや、そういうのじゃないんだけど…まぁ話すと長いんだよ」

夜も近付いてきたこんな住宅地で話すような内容でもないし。そうあたしは適当に誤魔化せば、どこか訝しげに片眉を寄せた鉢屋は何も言わなかった。鉢屋は意地悪だが、頭もいいし空気の読めるやつだと思う。だから、こんな意地悪でもあの性格の良い不破と気が合うのだろう。

ふとその時、不破のあの優しげな微笑を思い出して、ゆっくりと自分自身の腫れた頬に手を当てる。なんかあたし、頬にカウンター喰らってばっかりだよな。一番初めに手当てしてもらったのも、頬と膝だ。不破の少し不器用だけども優しい手つきを思い出して、ほわりと心が温かくなった。

「あたし、あんなに優しく手当てしてもらったの…本当に初めてだったんだ」

「…?」

「不破に会ったのもな、タイマンの帰り道だったんだよ」

その日も、こんな風に空を夕焼けが染めていて。あたしは他校の奴らから逃げようと近くにあった古本屋へ逃げ込んで。そこで不破に出会った。突然押しかけたにも関わらず、怪しさ満載なあたしを追い出すでも怪しむでもなく、匿って手当てまで施してくれた。そんなこと、今までしてくれるような奴はいなかったから、あたしは心底驚いたのを今でも思い出せる。

「不破は、あたしが喧嘩をしたことに対して理由も聞かずに理不尽に怒らない。ただ、怪我を放っておいたりすると心配で怒ってくれる。それは…鉢屋も一緒だな。ほんの短い時間しかまだ関わっちゃいないが、不破も鉢屋もちゃんと『あたし』を見てくれるんだな」

それはきっと、あたしにとっては今までになかったくらい幸せなことなのだろう。そんな人間に二人も巡り合えた。他人の優しさに慣れていないあたしは、こうしてゆっくりだけどもようやく自分を知って、他人を知る。思わず鉢屋に笑って見せると、同時にピリッと切れた口端が痛む。ああ、忘れていた。既に血が固まりかけていた唇へ手を当ててひいひい呻いていると、唐突に鉢屋の掌が頭上へ伸びてきてぐしゃぐしゃとあたしの髪を掻き混ぜるように撫でまわした。

「ちょ、なんだ!?なんなんだ!?」

「番長、いやリョウ!…お前ってやつは…!」

「な…、何泣いてんだお前…怖いぞ突然…」

「お前がそんな健気な奴だとは思いも寄らなかった…よしキューピッドは俺に任せろ!この鉢屋三郎様が全力でプロデュースしてやる!」

「何の話だ!」

うぜぇ!と頭をぐしゃぐしゃまるで人を犬か何かのように撫でまわす鉢屋の手を振り払い難を逃れれば、例の如く不敵な笑みを浮かべた鉢屋が腕を組んで仁王立ちしていた。あたし、時々鉢屋がよく分からないんだ…全くついていけない…。

「はぁ、全く…鉢屋は行動が突飛過ぎてよく分からん…」

「まぁそう心配するな、俺はリョウの味方だからな」

「……………」

「なんだその疑わしげな目」

「まぁいい…そんなことよりだな、鉢屋!」

ビシッと鉢屋の鼻先へ指を突きつけて真剣に相手へ眼差しを向ける。すっかりニヤニヤ顔の定着していた鉢屋は一瞬目を丸くすると、何なんだと首を傾げた。

「きょ、今日のこと不破には言うなよ…!」

「?今日のこと?」

「あたしがまた喧嘩して怪我したってこと!」

「何でだよ、雷蔵は喧嘩を理不尽に怒る奴じゃないんだろ?」

鉢屋にそう問い掛けられるが、そんなことはあたしだって百も承知だ。そうじゃなくて!とあたしは再びじわじわと火照る顔面の熱を振り払うようにぶんぶんと首を振った。あああ赤くなってる場合じゃないだろうが!

「不破に、怪我したらちゃんと手当てに来いって言われてたんだけど、さ…最近頻度が多いからさすがにそろそろ怒られるから、」

「ふむ」

「ケンカして怪我したことは、た…頼むから黙っててくれ…!」

必死にそう紡いでそろそろと鉢屋の顔を見上げる。が、そこに鉢屋の顔はなく、数メートル先の壁に手を当てて肩を震わせていた。

「な、何笑ってんだ!?」

「い…いや、リョウがあまりに必死すぎて…くくっ!」

「お前なぁ!」

「わかったわかった、悪かった!黙ってるよ、それでいいんだろ?」

「ほ、本当か!」

ぱぁっと顔を明るくしたあたしを見て、失礼にもぶはっと噴き出して鉢屋は再び地面に崩れ落ちる。笑い声の合間に「犬みてぇー!」という声が聞こえたのはあたしの気のせいだろうか。

「鉢屋…お前…」

「うぉっと、百戦錬磨のリョウ番長、いいのかなぁそんなことしちゃって」

「うぐぐ…っ」

握り締めていた拳は行き場を失い、あたしは悔しげに鉢屋を睨み付けるがにやーっとした嫌な笑みを返されるばかりで全く効果がない。鉢屋、あいついつか沈めてやる。

「それにしても、あの時リョウを手当てした雷蔵に感謝だな」

「は?」

唐突な鉢屋の言葉に思わず率直な声が吐き出される。吹いた風は少し涼しくて、火照ったあたしの腫れた頬をゆるりと撫でていく。随分前のようにも思える、あたしの思い出の中と同じように、鉢屋はその不破とそっくりな顔を緩めて、珍しいくらいに穏やかに笑って見せた。伸びた影が、徐々に迫る夜に溶けて混ざっていく。

「リョウみたいに面白い友人は、そうそう会えるもんじゃないからな」

鉢屋の言葉の中の、『友人』と言う言葉が、妙にあたしには輝いて聞こえて。今まで、友達なんていなかったあたしにとっては、何よりも憧れて、そして何よりも縁遠かった存在だった。

「と、友達か!?」

「ん?違うのか」

「ち、違う!あたしなんかと友達でいいのかって…!」

あたしは、自分で認めちゃいなくてもこの地区の番長なんて呼ばれているような人間だ。知りもしない相手から怖がられるのも最早慣れっこだし、不良のレッテルを貼られて疎まれるのも日常だ。そんなあたしを友人と呼んでくれる、本当にいいのだろうか。そんな、今までの世界がまるで色を変えるようなことを味わって、いいのだろうか。こんなあたしを友達だと言って、鉢屋たちは後悔しないのだろうか。

そんなあたしの不安を吹き飛ばすかのように、鉢屋は笑った。



「友達ってのは気付いたらもうなってるもんだろうが」



あれ?ちょっとこれ名言じゃね?と呟いている鉢屋を他所に、あたしはせり上がるような感情に口の端が切れてることも忘れて思い切り笑った。嬉しくて嬉しくて堪らない子どものように、最早隠せない表情のまま鉢屋へ詰め寄った。

「本当だな!絶対だぞ鉢屋!やっぱりやーめた!今のなし!とか言うなよ!そういうの無しだからな!言うなよ!」

「やっぱりやーめた、今の無しな!番長!」

「言うなっつっただろうがああああ!!!!」


宵の明星が、キラリと空に輝いた。



ダブルラリアット




いつの日か回り疲れた時は側にいてください。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -