喧嘩という名の一仕事を終えて、商店街のこの道を歩く頃にはもう夕暮れだった。

今日は思い切り顔面ストレートを入れた時に手の甲を少し痛めたのか、何だか赤くなっている。最近怪我してばっかりだ。プラプラと手を揺らしながら、ふとこの間の光景が甦る。ああ、そういえばここはこの間他校の奴らに鉢合いそうになって、近くにあった古本屋へ逃げ込んだ場所だ。



「今度怪我するようなことがあったら、ちゃんとこうやって手当てに来てね」



不破の言葉を思い出して、何ともむず痒い気持ちになる。怪我、してしまったが、て…手当てに行っていいのだろうか。いやでも社交辞令ってやつかもしれない。行ってみて本当に来やがったみたいな反応されたらちょっと恥ずかしい。いやでも不破はそんな奴じゃない、と思いたい。

ぐるぐると古本屋の入り口を睨み付けながら、思考の渦に溺れる。ああもういっそのこと、

(不破が出てきてくれればいいのに)

ガラッ

「…あれ?リョウちゃん?」

心の中で呟いた瞬間だった。じいっと見つめていた古本屋の扉が開いて、何と不破が出てきたのだ。箒片手に。あたしは一言も口に出してはいないハズだ。まさかのタイミングで姿を現した不破に、目を白黒させながら狼狽える。

「こんにちわ」

「こ…こここんにちわ」

「今帰り?随分遅いんだね」

「あ、いやまぁ、帰りと言えば帰りで…」

「あ!!」

「!?」

しどろもどろなあたしの言葉に被るように、不破が突然声を上げたものだから思わず体をビクつかせてしまう。い…いつからあたしはこんなノミの心臓みたいになったんだ…、

「っ痛い!」

「あ、ごめんね!やっぱりここ、怪我してる」

突然痛めた方の手を取られ、無意識に顔をしかめていた。何というか…顔に似合わず意外に大ざっぱな奴だ。かと思えば、今度は腫れ物にでも触れるかのようにそっと手の甲を見られる。あたしの掌に不破の掌が触れる感触、まるで掌が心臓にでもなったかのように熱い。ドキドキドキと速すぎて死にそうなあたしに構わず、不破は掌を見つめながら「うわぁ痛そう」なんて呟いていた。ぶっちゃけ心臓の方が痛すぎて手の痛みは最早分からない。

「はい、じゃあ行こうか」

「どこへだ?」

「言ったでしょ、怪我したらおいでって。手当てするから、入って」

にこりと柔らかい笑みを浮かべながら手を引かれる。速すぎる心臓とぼんやりとする思考に、あたしはフラフラと誘われるがままに店内へ足を踏み入れた。






「…今日は何でまた喧嘩したの?」

古本の匂いが満ちる小さな空間に、ポツリと不破の声が落ちた。責めるとかそういう響きじゃなくて、どことなく優しい声音にあたしの心も苛立つことはなかった。手に包帯をくるくると巻きつけられながら、何と言うべきか若干言葉を選びながらようやく口を開いた。

「……昔の因縁というか…」

「昔の因縁?」

「うんまぁ…」

喧嘩に理由なんて求めない。だからこれと言った何かがあるわけじゃないのだが、曖昧に誤魔化したあたしに不破は「そっか」と一言返しただけで口を噤んだ。

な、なんだ…あたし何か言っちゃいけないことでも言っちまったのか?!ち、沈黙が重い。嫌われただろうか、幻滅されただろうか、ぞわりと焦燥感が胸を焼く。何か言わなきゃ、何か何か、

たくさんの本が目に入った。

「ほ…本が好きなのか!?」

「え?」

「いやあの…学校でも図書室にいたし、バイト先も古本屋だから、本が好きなのかと…」

だんだん勢いを失って尻すぼみになる自分の声に何だかとても情けない気持ちになった。いつからあたしはこんなヘタレになったんだ…、穴があったら潜りたい。肩を落としたあたしの向かいで、微かな笑い声が響いた。

「……?」

「ふふ、ごめんごめん余りにも百面相してるから」

「……ええっ!?」

くすくす笑う不破を咎めるように見つめるがどこ吹く風。本当にコイツは今までのあたしが何も通用しない。睨み付けて笑われたのなんか初めてだ。一頻り笑って満足したのか、再び包帯を巻き始めた。

「僕、この本屋でバイトを初めてから本に興味を持って、それで図書委員に立候補したんだ」

「図書委員なのか…」

「うん、本って読めば読むほど色んなこと知れるし、開くだけでどんな世界でもいける。すごくお得だと思わない?」

「お、お得かどうかはあたしにはよく分からんけども…不破は本が好きなんだな」



「うん、好きだよ」



差し込む夕日に照らされた柔らかい笑みが、あたしの目に映る。目を丸くして固まったあたしの頭の中には不破の声が響いていた。主語にもちろん「本が」と付くんだろうが、その時のあたしの頭にそんな主語はまるで浮かばなくて。柔らかな響きで繰り返されるその言葉に、何故かあたしの顔はひどく熱を帯びた。心臓うるさい。顔が熱い。何だこれはあたし病気なんだろうか。息が苦しい、胸が痛い。病気だヤバい。

「できたっと、ん?どうしたの?」

「ななな何でもない!目眩と動悸と呼吸困難に襲われてるだけだ!」

「ええ!?ちょっとそれ絶対大丈夫じゃないでしょ!」

「平気だ!いつものことだ!」

「救急車呼ぶべきか?いやでもちゃんと返事してくれてるし意識がないわけでもないし、でも…」

頭を抱えて何やらとんでもないことを口走り始めた不破に、これはマズいと慌てて立ち上がる。救急車なんか呼んでくれるなよ頼むから。

「か…帰る!手当てありがとう!また迷惑かけて悪かった!じゃあな!」

すぐさま立ち上がり、店の戸をガラリと開けて店を飛び出す。そんなあたしの背中を追いかけるように、不破の声が響いた。


「リョウちゃん、また明日ね!」


ジュブナイル



掌の不格好な包帯に、笑みが零れた。
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