喧騒の中を、突っ切るように歩けば人ごみはザッと道を開ける。それまで楽しそうに喋ってた生徒が、こちらを見た瞬間に青くなって口を閉ざした。そんな反応は慣れたものだったから、別段空しいとか傷つくとかそんなもんはないけど。たまたま珍しく登校してみただけでこんな反応されるあたしって一体。もう深いところまで不良が根付いてきている、チクショー。いつもならこの空気の悪さに即効早退コースだったが、今日は違う。

『今度怪我するようなことがあったら、ちゃんとこうやって手当てに来てね』

膝に巻かれた包帯に目をやる。昨日風呂の際に巻き直してしまったが、この包帯はあの『不破』が巻いてくれたものだ。昨日のあの笑顔やら何やら思い出すだけであたしは相変わらず更年期なのである。心臓はバクバク言うし、体温は上がるし、動悸がするし、何とか平常心を保ちながら、あたしは大きく深呼吸をした。今日はそう、あの『不破』に一言礼をするために登校してきたのだ。

ガララ!!扉を開けて一拍、ざわざわと騒がしかった教室はあたしの登場に一気に静まり返る。クラスメートらしき全員の視線がこちらへ注がれた。それを一睨みしたあと、早足でさっさと自分の席(多分ここだった)へ乱暴に椅子を引きながら座った。相変わらず、あたしの居場所はここにない。





(……そういえば、何組かも何て名前かも知らねぇや)

雲行きの怪しい空をぼんやり見つめながら、退屈な教師の声を聞き流す。教師は既に指したところであたしが答えないことも分かりきっているので、授業中もほとんど関わってこない。まるで、そこにはないものであるかのように扱ってくる。それはそれで楽だ、授業中も当てられないし別に答えなくていいし、考えなくていい。けれどもだからこそ学校へ来る意味も分からないし、授業へ出席する意味も分からない。どうせいないものとして扱われるくらいなら、どうしてこんな居場所の無い所へ居続けなければいけない?

ぽつり、窓ガラスに水滴がぶつかる。厚く空を覆う灰色の雲が、ようやく泣き始めたらしい。傘は持っていない。まぁどうでもいいことだ。今日の目的は昨日の『不破』に礼を言うこと。その目的さえ済ませてしまえば、別にもうここにいる理由は無い。さっさと言って帰ろう、昨日の今日で喧嘩なんか売られたらたまったもんじゃない。

キーンコーンカーンコーン

「じゃあ、今日はここまで」

終わりのチャイムが鳴り響き、教師の号令に教室は再びざわざわと賑わい始める。購買へと走る生徒、机を寄せて弁当を持ち寄る生徒、弁当を持ってどこかへ行く生徒、昼休みへと突入した校内はそれだけで随分賑やかだ。自分もカバンから菓子パンを取り出して、さっさと済ませてしまう。しとしとと本降りになってきた雨が憂鬱だ。あたしの茶色い痛んだ髪もどこかへにゃりとして窓ガラスに映っている。そんな窓ガラス越し、ちらちらとこちらを伺う幾人かの生徒が映る。

(……っち、出てきゃいいんだろ出てきゃ)

ガタンと立ち上がれば、また一瞬シンとなる。何であたしの一挙一動にんな反応してくんだようざってぇ。大股で教室を出て、そのまま廊下を突っ切る。屋上は雨が降ってるから却下、自分から濡れるなんざ自虐ネタ誰がやるか。そうなれば空き教室だが、この学校に空き教室なんてものはない。そうなると残りは、

「……図書室行くか」

あそこなら机も椅子もあるし、何より静かだ。自分の柄じゃないが、なかなか居心地がいいことは知っている。そうと決まれば善は急げ、午後は図書室でひたすら時間を潰して、んで放課後あいつを校門あたりで探せばいい。そうしよう、それがいい、教室になんかいるよりよっぽど楽だ。さっきより、歩く足取りは軽かった。

ガララララ

案の定、開いた先には人っ子一人おらず、篭った雨と古本の匂いがふわりと香った。後ろでに扉を閉め、雨音の叩く窓際へ近寄る。どこか遠くの誰かの笑い声や大声で雑談する声が遠い。止む気配もなさそうな雨空を見上げていれば、背後で扉の開く音がした。

「…あれ?」

聞き覚えのある声に、体がピクリと反応した。昨日見たばかりのあの瞳が、少し驚いたと言わんばかりに見開いている。

「……っ!?お、お前は…っ」

「もしかして昨日の怪我の子だよ、ね?」

くいっと首を傾げて、『不破』という名の男が緩やかに瞳を細める。そんな表情にぐっと言葉が出なくなり、ただ一度こくりと頷くだけで返した。

「怪我は大丈夫?」

「おおおおおう!き、昨日はその…悪かったな」

「気にしなくていいのに、僕が勝手にやったことだしさ」

苦笑して見せた『不破』に、そんなことないとぶんぶんと首を横に振る。大雑把な包帯の巻き方ではあったが、普段のあたしがやるよりは十分な手当てだ。お陰でばあちゃんをびっくりさせることもなく、無事家に帰ることが出来た。今日はただ、その礼を言いたくてここまで来たんだ。

「昨日はろくに礼もできなくて…本当に助かった、ありがとうな」

「お礼なら昨日言ってもらったので十分だよ、また何かあったらいつでも言って」

「……っ、か、借りは返す主義なんだ!お前も何かあったら言ってくれ!気に入らない奴とか!」

思いつかなくて、自分にできることを考えた結果がこんなことだった。言ってから気付く、そんなこと望むような奴じゃないんだって。案の定、少し咎めるような視線を向けながら『不破』が「もう!」と腰に手を当てた。

「ダメだよ、昨日怪我したばっかでしょう?」

「う………」

うるさいな、と返すつもりの唇が動かない。もごもごと言葉にはならず小さく打ち消されていく、何だってんだ一体。

「そういえば、まだ名前聞いてなかったっけ」

「名前……?」

「うん、僕は不破雷蔵」

「ふ、ふわらいぞう……」

「君は?」

「あ、あたしは…、…佐々木リョウ、」

噛み締めたように繰り返した『ふわらいぞう』という名前。この穏やかに目の前で笑ってる男にはぴったりだ。不破、ふわ、ふわふわ。

「よろしくね、リョウちゃん」

「リョウちゃん…!?」

「あれ、駄目だった?」

くいっと首を傾げられるが、『ちゃん』付けられて呼ばれたのなんか随分昔だからつい固まった。この学校であたしのことを呼ぶとしたら、『佐々木』か『佐々木さん』か『番長』だ。番長っておいふざけんなとか思ったけど、意外に浸透性が良いらしく未だに囁かれる言葉で一番よく聞かれる呼び名。そんなあたしを『リョウちゃん』………ムズムズするし恥ずかしいし、正直やめて欲しい気もするけど。

「じゃあ、佐々木さんかな…」

「…………でいい」

「ん?」

「リョウちゃんでも何でもいいから、ななな、な名前で呼んでくれ…!」

なぜだろうか、こいつにはあたしを名前で呼んで欲しいんだ。顔が熱くなってる、多分あたしは今、更年期真っ最中だ。ダラダラと冷や汗を流すあたしに向かって、不破はまたふわりと瞳を緩める。ああ、こいつは本当に優しく笑う奴なんだな。ぼんやりと眺めるあたしの思考を、ガラリと開いた扉の音が打ち消した。

「おーい雷蔵〜………ん?」

「じゃ、じゃあな!礼は済んだからあたしは帰るな!」

「え?帰るの?まだ授業あるよ、午後に」

「う…えと…も、もちろん教室に戻るんだ!」

しどろもどろになりながらも、不破に返したあたしの口は勝手に何かを口走ってる。何でちっとも言うこと聞いてくれなくなるんだあたしの体の癖に!あたしは、これが終わったらもう即刻帰ろうと思っていたのに何であいつの言うことにあたしは言い返せないんだ。何で、なんでなんでなんでなんで、何でだ!!?

「じゃ、じゃあな!」

図書室の入り口辺りにいた人物を押しのけるように、さっさと図書室を抜け出す。不破以外を見る余裕が無くて、逃げ出すように去ってきてしまったが。さっき入ってきた『誰か』は、もしかしなくても不破の友達だったりしたのかもしれない。

(ふわ、不破雷蔵………)

名前を知った、
この学校で会えた、
お礼も言えた、
笑顔も見れた、
そんなくだらないようなことが、いちいち頭から離れなくなる。


『よろしくね、リョウちゃん』


リョウちゃん、なんて言われたの本当に久しぶりだ。手の甲で口元を隠す。勝手に口元が綻んでしまう、どうしてかは分からない。この学校に来て、あいつだけだ。あたしを名前で呼んでくれたのなんて。

その後、教室に戻ってからも緩む口元を隠しきれなかったあたしは。クラスメートに「誰かシバいてきたから機嫌いいんだ…!」と全力で勘違いされる羽目になるわけだけれど。まぁ、そんなのあたしも知るはずないことで。雨の降りしきる空を見上げながら、また一つ笑みを浮かべるのであった。



Rainy Library

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -