人生には、正解も不正解もたぶんきっと確かにあって、俺たちがそれを自分では判断できないだけなのだ。だって、そうでなければ、いつだって正しくあろうと生きているやつらがまるで馬鹿みたいじゃないか。


ポラリスの魔女 act.05


俺が地図と睨み合いをしながらようやくたどり着いた喫茶店までの細い細い路地を、絢音サンがすっかり慣れたようにすたすた歩いていくのを追いかける。隣に並ぶとそれだけで路地の横幅はいっぱいになったけれど、この人と歩くのにはその後でも前でもなく隣がよくて、俺と絢音サンは時折肩をぶつからせながら並んで歩いた。太陽は高度を保ちつつ、それでもすこしずつ傾いているようだった。春は終わったけれど夏本番にはまだすこし遠い。季節の隙間のような時間。

「ほんと言うと、何で駄目になったのか、わたしもよくわかってないんだ」
また唐突に、話が戻る。隣を見れば、思っていたよりもずっと小さな肩がぴんと伸びている。そしてやはり絢音サンは仄かに笑っていた。
「ヤマケンくんはさ、終わったあともずっと特別な恋愛って、したことある?」
自分にとってはあの店長との恋愛がそうなのだと、この後に及んでそんなことを言いたいのかと隣の彼女を見れば、それはむしろ真逆なのだとわかった。弱々しい光を湛えた瞳が、細くゆがんでいる。それでも彼女はやっぱり笑っていたけれど。
「わたしは無いんだ。駄目なんだよね、どんなに大好きでもさ、さよならしたら忘れちゃうんだよ。相手のこと、どのくらい、どんな風に好きだったのか、全部忘れちゃうの」
「…なら、別れなければいいんだろ。俺ならそうする」
遠い目をする絢音サンがなんだかそのまま消えてしまう気がしてとっさに口をついた子供みたいな理屈も、けれど彼女の哀しげな笑みを消すことはできなかった。彼女について、俺はいつだって無力だ。
「はは、若いなあヤマケンくんは。素敵だね」
「…だったら」
「うん」
「だったら、やっぱり絢音サンには年下の方がいーよ」
出会ったばかりのあの頃は、ハルや店長への対抗心ばかりだった。本気なんか欠片もなくて、だから彼女にあっさり流されたってべつに何ともなかった。
「『もしかしてわたし、口説かれてる?』」
だけど今は、それがすこし怖い。だったら、そんなわけないだろうって、あの時みたいに自分から誤魔化してしまえばいい。なのに。
「……アンタがそう思うなら、そうなんじゃねーの」
俺は無力だ、彼女についてはいつだって。

「ヤマケンくん」
絢音サンが俺を呼ぶ。中途半端なあだ名みたいな呼び方。
「…なに」
二人ともいつの間にか立ち止まっていた。せまい路地の真ん中で、俺は絢音サンと向かい合う。彼女の手が伸びてきて、か細い指が俺の耳を這ってそこにぶら下がっているピアスに触れた。そう、今日は休日だ。学校帰りに偶然会ったのでもなければ、バッティングセンターで鉢合わせたでもない。俺が、休みの日に、わざわざ絢音サンに会いに来た。水谷サンにはああ言ったけれど、実際その行動の意味を、俺自身がまだ理解できていなかった。だから、ここで絢音サンが俺を肯定すれば、

「だめだよ、ヤマケンくん」

だけどやっぱり、彼女は笑っていた。


「わたしはきっとヤマケンくんを好きだけど、だけど君はそうじゃないでしょう。だから、だめだよ」
絢音サンの指が、手が、温度が、震えながら俺から離れていく。鼻の頭を真っ赤にして、絢音サンは言う。
「ヤマケンくんは、今、恋をしてる」
なにを馬鹿な・と言いかけて、なぜだかおさげ髪の鉄仮面が頭をよぎる。ありえないだろう、だって彼女はあいつの ハルの。
「だから、楽な方に逃げちゃだめだよ まだ君は、ずっと、若いんだから」

そうやって大人ぶる、むかつく大人だ。絢音サンは。アンタだって、そうやってすべて諦めたみたいに笑うことが許されているほど、まだ生きてはいないだろう。

「さっきの。やっぱり素敵だとおもうよ」
「……」
「ヤマケンくんに愛される子は幸せだね」
「……あたりまえだろ」
「…うん」

俺の閉じたココロを掬いあげて絢音サンの想いが季節の隙間に落ちてゆく。それでもこの大人は何でもないように笑うのだろう。だから俺は、淡く淡く、淡すぎるほどに淡いこの恋心から逃げられない。真正面から立ち向かって、そうしていつかこの恋が「終わったあともずっと特別な恋」になれば、そうしたら、

「俺がアンタに教えてやるよ」
「…うん、待ってる」

そうやって笑う彼女の瞳には、またいつものように強い強い意思が戻っていた。この人なら、きっと本当に待っていてくれるのだろう。絢音サンの笑顔に背中を押されて、俺は踏み出す。きっと今までの俺じゃあ知りもしなかった気持ちや、想いや、言葉や、そういうもの全部が、息もつけないほどに俺の心臓に染みついてかき回す、そんな恋へ。
大丈夫だ、俺には、笑顔で待っていてくれる人が、ここにいる。

「がんばれ、ヤマケンくん」

涙の筋を残して笑う絢音サンの背中を見送る。それは、まっすぐでしゃんとしていて、けれどやっぱりすこし小さな女の背中だった。彼女の想いをのみこんで、季節はもうじき夏になる。

〆ポラリスの魔女(14.01.12)
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