穏やかにみえた春も、どうやらちかく終わるらしい。相変わらず俺の周りのバカ3人は騒がしいが、ひとりでもやもやとしているよりはマシな分、俺もいつもより邪険に扱うことをしないでやった。ハルは学校へ通い始め、その代わりに妙な女を連れて歩くようになった。やけに強い意志をもって人の目を見る女だ。見た目は芋くさくてまったく好みじゃないが、その瞳はどこか彼女に似ていて、俺の心中はこのところ輪をかけて穏やかではなくなった。けれども。俺の心持ちなど知ったことではないとでも言うように、ガリ勉女はいつも参考書を手放さないし、絢音さんは時折おもいだしたようにバッティングセンターに現れて、店長が帰ってくるまでの時間を受付台でぼんやりと過ごす。そうやって今年の春も終わろうとしていた。


ポラリスの魔女 act.03


トミオたちに連れて行かれたバッティングセンターに、きょうは彼女の姿はなかった。代わりにサングラスの店長が暇そうに受付台で煙草をふかしていて、ハルへのたかりめいた挙動に半分脅されたような形で釘をさされて以降あのおっさんにトラウマを負ったバカ3人は、バカ騒ぎもそこそこにさっさと店を出ていった。そして俺はといえば、バカにつられて、店に携帯を忘れるというバカをやったのでひとりバッティングセンターの入り口でやけに動作の遅い自動ドアの前が開ききるのを待っている。
「おーヤマケン!なんだ、ひとりか?」
迎え入れたのはやたら機嫌の良いハルだった。ガリ勉女を連れ回しはじめてから、こいつはずっとこうだ。あのニコリともしない女がどうしてハルをここまで変えられたのか、気にならないこともないが、俺には関係のないことなのだと言い聞かせる。ハルの向こうでガリ勉女が分厚い参考書越しにチラリとこちらを見た。
「ケータイ取りにきたんだよ」
「忘れもんか?ははーヤマケンはうっかりさんだなー!」
「…うるせえよ」
機嫌の良いハルはいつにもましてうっとうしい。適当にあしらって、菓子やらノートやらが散らばる机の上を一瞥してみたが、さっきまで俺たちが座っていたそこに探し物は見当たらなかった。
「ここにあったケータイなら、さっきみっちゃんさんに届けておいたけど」
無感情な声がそう言ったかとおもうと、まばたきをしない瞳がテキストから離れてまっすぐ俺の方を向いていた。つよい意志と淡白な執着を秘めたその目は、見れば見るほど彼女に似ている。
「…どーも」
「いいえ」
短いやり取りにはこちらの機嫌をうかがおうというつもりがすこしも感じられない。やっぱりこの女も、絢音サンと同じ、俺にとっては貴重種なのだ。
「…ハル。店長は」
受付台は空だった。サングラスで煙草をふかす強面も、分厚い本に肘をつく冷たい横顔もそこにはない。ハルは相変わらず上機嫌に頷いて外につながっているバッティングケージの方を指差した。
「みっちゃんなら外だぞ、絢音がバッティングするって言うから見てる」
あいつ意外とどんくさいからなー、と暢気にハルは笑った。運動神経がないのではないだろうが、確かに彼女がバットを振り回す姿を想像するのは難しい。ニコニコしているハルに適当に手を振って、ケージに面している窓に近づいた。そうして、こちらに向いている背の高いニット帽の背中と、それを見上げる柔らかい笑顔を見て、俺は絢音さんと店長が一緒にいるのをここにきて初めて目にしたことに気づく。それからすぐに、見なきゃよかったとそうおもったのはきっと、彼女の、店長の、ふたりの纏う空気がやさしすぎたから。そしてそれを見た自分が、少なからず落胆していることに、気付いてしまったから。

「あれ?ヤマケンくん?」
「…どうも」
ややこしいことになる前に、ケータイを諦めて撤退しようとおもったのに、絢音サンはそれを許してくれなかった。店長の背中越しに俺を見つけて、手に持っていたバットをぷらぷら振っている。仕方なく軽く頭を下げると、今度は店長が首だけで振り返って濃い色のサングラスに情けない顔の俺を映した。
「ん?どうしたの」
「ケータイ、忘れて」
「ああ、シズクちゃんが届けてくれたやつ。ちょっと待ってて、持ってくる」
そう言ってケージを出ていく店長はなんだかひどく優しい顔をしていた。俺の執心も葛藤もぜんぶ知っていると言われたようで、むかつく。絢音さんを見ると、知らんふりでバットをコツコツ地面に当てて遊んでいた。ここの大人たちは、揃いも揃って腹の立つ大人ばかりだ。
「絢音サン、バット似合わないね」
「そう?うーん、まあ似合っても困るけど」
わりと上手いのよ、と言って絢音サンはバットを振り回す。野球に詳しいわけじゃないが、そのフォームはたぶん綺麗なのだとおもう。それが店長のおかげなのかとか、ずっと昔に別れたという元恋人をどう思っているのかだとか、とうてい聞けやしない質問で俺の頭はいっぱいになる。
「絢音サン運動得意なの」
「どうだろう、苦手ではないかな」
「ふうん、意外」
「そう?」
「ハルもアンタのことどんくさいって言ってたし」
「ええ、ひどいなあハルは」
口をつくのは当たり障りのない会話ばかり。彼女との共通の話題なんてハルくらいで、けれどそのハルについてですら、俺は語る話題をまともに持ち合わせない。それでも、俺の軽口にふわりとわらう彼女を、すこしでも長く見ていたくて喉が震える。頭が会話を探す。女のためになにかをしてやりたいと思ったのはきっとこれが初めてだった。与えられるだけの恋愛ごっことはまるでちがうその感覚に頭がくらくらする。
絢音サン、と口をつきかけた名前は背後から流れてきた煙草の匂いに途切れた。振り返ると、いつからそこにいたのか、サングラスで表情のわからない店長がドアの上枠に手をかけて立っている。
「はいこれ、携帯」
「どうも」
「ほら、絢音は水分補給しとけよ」
「うん、ありがと」
店長の手から渡ったペットボトルのスポーツドリンクが、絢音サンの喉を鳴らしてその体に染みていく。まるでそれは店長の存在そのものみたいだ。与えられるだけの俺にはできないこと。それに甘んじていた俺がやらなかったこと。俺は黙ってふたりに背を向けることしかできなかった。
「ヤマケンくん、帰るの」
「またね、絢音サン」
「うん、もう携帯忘れないでね」
絢音サンの軽口に手を振って、隣の店長をチラリと見ると、相変わらずの見えない表情と軽く挙げられた大きな手に見送られた。ため息がでる。ここの大人はやっぱり腹の立つ大人ばかりだ。そして俺は、彼らにほんのちいさな反抗しかできない、ただの子ども。

#03.ながい夜はまだ明けない
 
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