何事も、積み木と同じようなものだと思う。高く積み上げるのに時間は掛かるけれど、崩れるのは一瞬で。そう考えると幼稚園の積み木遊びというのは何てシビアなお遊戯だったんだろう。あれのせいでわたしは4、5歳にして幾度となく浅羽兄弟に人生の厳しさを教えられたのだ。作っては壊され積み上げては崩され。高く積み上がったものほど、次の積み木を乗せる手が強張ってしまう。それが、10年以上変わらず積み上げられた関係ならば、なおさら。これ以上積まなければ崩れることもないけれど、それ以上高くなることも無い。
だから四角と三角の積み木を両手に持って、わたしは考える。三角の積み木を積んでここを天辺にするか、四角を積んで半ばとするか。後先を考えずに積み上げてきた土台は脆い。

掠れた笛とボールの跳ねる音。歓声と応援。
わたしのローテンションに茶々を入れる様なタイミングでの体育である。日直の日の、悠太の呪詛を受信してさらには印刷して大事にラミネート加工してしまったのかあの先生は本当に風邪をこじらせて、休みはこれで5日目を数えた。そして、その間自習ばかりだった生徒を慮ったらしい余計な気の回る担任のおかげで、振り替え授業は隣のクラスとの合同体育になってしまったわけだ。
種目はクラス対抗バレー。運動が苦手なわけじゃないが、今のテンションに逆らって跳んだり跳ねたりしようものなら、何か大事なものが口から出そうなわたしである。早々と出家して俗世間との交わりを断つ道を選ぶこととした。観戦と言う名のサボりとも言う。
「おー浅羽ナイスアタックー」
「悠太くんすごいです!」
「ゆっきー要っち!やばいよゆうたん何かスイッチ入っちゃった!」
「まあ、お前が前線にいる時点で既に俺らの負けは決まってんだけどな」
「んだとお!スポーツは身長じゃねえ、頭で戦うものなんだよ!」
「なおのこと惨敗じゃねえか」
隣のコートでは幼馴染たちがいつもどおり喧しい。何でいちいちあいつらは一同に会すんだか。悠太に挑発された祐希が覚醒して、男子コートは凄まじいラリーの応酬になっている。女の子たちの目が揃ってハートマークになっていることに気付いているんだろうかあの双子は。悠太あたりは気付いた上で知らんふりしていそうだけれど。
…そう、悠太なのだ。あの三日月の夜からわたしはおかしい。悠太にだけおかしい。会話は普通にできる。だけどこうやって、遠くからその姿を見ていると、わたしはおかしくなる。これが普通の恋愛だったらいいのに。隣のクラスのちょっと格好いい男の子を好きになって、喋ったことはないけど見てるだけで幸せ、なんていう恋だったらどんなにお手軽で楽しいだろう。今わたしの前にそびえ立つのは、十何年に渡って自分が積み上げてきた幼馴染という巨大な塔である。塔を目指して積み上げてきた積み木の山は、今さらお城になんかなれっこないのに。

「おねーさん今は体育の時間ですよ」
抑揚と感情の無い声。わたしのサボタージュを見咎める慇懃無礼な口調。
「…悠太。何してんの」
「何って…試合終わったから休憩」
「じゃなくて、ここ、女子コート」
「うん」
それが?みたいな顔で、悠太は女子コートと男子コートを隔てている緑色のネットの隙間を掻い潜ってこちらにやってくる。クラス対抗試合の功労者を咎立てる者はいない。悠太はそのまま、悶々と隠居生活を送るわたしの隣に座りこんだ。しばらく居座るつもりらしい。
「絢音ずっとそこに座ってて試合は?」
「うん、現場は若いもんに任せることにしたのだよ」
「どこのベテラン刑事ですか…」
わたしの言い草に悠太は呆れたように返して壁にもたれ掛かった。こうしていれば普通なのだ。目の前の会話だけ拾っていれば今までどおりなのに、周りの背景と一緒に悠太を見ると途端に上手くいかなくなる。悠太は何も、わたしの幼馴染の悠太だけではないのだと思い知る。
「絢音ー!ちょっとヘルプ!」
悠太と一緒にぼうっと老夫婦みたいな空気を纏っていると、味方コートから救援要請がやってきた。何でわたしが切り札みたいな扱いされてんだ。運動神経人並みのわたしは永遠に体力温存係で大丈夫です。
「他人に頼らずまずは自分で解決しなさいってお母さんいつも言っているでしょうー」
「誰がお母さんだ、たまにはクラスに貢献しなさい!」
「えー疲れるーバレーとか…跳ぶじゃんー」
「花の女子高生が何を言うか」
「女子高生関係なーいー…」
ずるずると半べそで引きずられて行くわたしに悠太が手を振っている。薄情な奴め。
「ここで見てるから。行っておいで」
「う……ん」
悠太は気づいたのだろうか、わたしの嫌なのがバレーではなく、悠太のそばを離れることだということ。離れている間に悠太が居なくなってしまうことだということ。
こうして単純なわたしは、試合中悠太をチラ見しながらクラスの勝利に貢献し、謀らずも切り札の役割を律儀に果たしたのでした。





「おかえり」
「久しぶりにあんな動いた…」
「ね。すごかったよ絢音のフェイント」
「あんだけ頑張ったのに誉めるとこそこ?」
ぐったりとわたしが言うと、悠太は冗談です、と本気なのか冗談なのかわからない顔で言った。近頃の若者の体力は無尽蔵で、コートでは早くも次の試合が始まっている。
「絢音飲み物持ってきてる?」
「あー…忘れた」
相変わらずぐったり答えると、悠太はひとつ頷いてすくっと立ち上がった。悠太のを取ってきてくれるのかと視線だけでそれを追っかけると、おもむろに手を差し出される。反射的にそれを取れば、思いの外強い力で引っ張られ、つられてわたしは立ち上がった。
「悠太?」
「…今のうち」
対抗試合に夢中な体育館を確認すると、めずらしく悪戯っ子のような顔をして悠太はわたしの手を引き走り出した。

「んーいい天気!きもちいー」
「こんな日に体育館で体育なんて、空気読めないにも程があるね」
「ね!…まあちょっと良かったけど」
「ん?」
「なんでもなーい」
屋上の柵にもたれ掛かってさっき自販機で買った紙パックのミックスジュースをずずっと吸うと、隣の悠太がりんごジュースでずずっと返事をした。柵に背中を付けて空を仰いでいるわたしと逆向きに、悠太は柵に両腕を掛けて校庭を見下ろしている。
真っ青な空をその部分だけ切り取ったような雲を見上げるふりでその横顔をチラリと盗み見る。悠太はいつも通りだ。わたしたちの優しいお兄ちゃん。
「ん…なに?」
やにわにわたしの盗人視線に気付いた悠太が柵から身体を起こしてこっちを見た。なんでもないと、もごもご言い訳をして今度は本当に空を見る。
悠太の目がこちらを向くだけで、こんな気持ちになる日が来るなんて、この間までちっとも思いやしなかったのに。今わたしは悠太の視線から逃げるように青い空を黒目いっぱいに映している。
怖いのは、長い間積み上げてきたものが音を立てて崩れてしまうこと。
怖いのは、それがもう二度と元には戻らないこと。

「ねえゆうた」
「うん」
「この間はありがと」
「…夜?」
「うん。送ってくれて」
「どういたしまして」
「…うん」
「ねえ絢音」
「うん」
「ずっとこのままでなくちゃいけないなんてこと、全然ないよ」
「そ…うかな」
「たぶんね」
「そっか」
「変わることは壊れることじゃないんだから」
「…悠太はすごいね」
「まあ、お兄ちゃんですから」
「…うん」

ずきりと痛んだ心臓の音を、前みたいに抑えつけてしまうのは止めた。これは証だ。わたしが悠太を好きだという証。いつかこの気持ちに決着がつくまで、きっとわたしは何度も心臓を削って確かめるのだ。悠太を好きになって、嬉しくて楽しくて苦しくて悲しい思いをしたわたしが確かにここに居ることを。迷わないように、逃げ出さないように。

小さな決意の心臓は、抜け出した授業が終わるチャイムを屋上の青空に溶かして聞いた。


120503 ルージュと空想
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