どうして幼い頃はあんなに一日が短かったのだろう。いくら遊んでも足りなくて、またあした、の明日が来るのが待ち遠しくてたまらなかった。明日はあれをしよう、これをしよう。したいことはいくらでも思い付いた。
学年が上がるにつれて、したいことよりしなければいけないことが多くなって、したいことが思い付かなくなった一日は、だんだん淡白で長くなっていった。それでもしなければいけないことは、終わらない。
何が言いたいのかというと、つまりわたしは今、退屈なのである。

退屈といっても、やらなければいけないことはたっぷりある高校生の身なので、今は机に広げた日直日誌がそれなのだけれど、放課後まで白紙を保っていたせいで、朝のSHRの連絡事項だとか1限の授業概要なんかの欄がまるきり埋まらないのだ。わたしの記憶力が不安だ。
「えー…連絡事項……よし、今日は特になかった、うん」
「こーら嘘つかないでちゃんと書きなさい」
「ん?」
頭に乗る体重がわたしの怠惰を見抜いて、感情と抑揚のない声でたしなめた。この声の主は二人思い当たるけれど、弟はわたしとダメな方の思考が似ているのでこれは兄の方だ。
「なにしてんのゆーた」
「いやいや絢音こそ何してんの、何で放課後なのに日誌真っ白なの」
「ううるさいな、休み時間は祐希たちとジュースじゃんけんしてたんだよ」
「……負けたんだ」
「うー…祐希のやつ、リアルゴールドなんて高校の自販にあるわけないだろそんなおっさん飲料…!」
「はいはい…思い出し怒りしないの」
悠太の呆れた声が頭の上から落ちてくる。この間から悠太はわたしの肩や頭を枕かなんかと間違えているらしく、たびたび頭や顎を乗っけてはわたしをぐりぐりするのがお気に入りのようなのだ。妙に落ち着いた悠太の声が触れるくらいの距離から耳を掠めるのは少しくすぐったい。
が、ここは屋上ではなくて放課後の教室なのである。違うクラスな上ただでさえ目立つ悠太がそんな格好でうにゃうにゃと女子にくっついているのはあまりよろしくない。見なさい、ほら女の子たちのキラキラしたあの目。
「…で、悠太こそなにしにきたの、ていうか重い」
「ん?」
「ん?じゃなくて、頭」
「ああ…」
悠太さんはやっとのことで重い腰を上げなさって、わたしの前に回り込んで空いている椅子に座った。その腕に挟んでいる灰色の冊子はわたしが今奮闘しているのと同じものだ。
「俺今日日直で遅くなるからみんな先帰っててって言いに来たんだけど…」
悠太は未だほぼ白紙の日誌に目を落として、絢音も日直だったんだね、と呟いた。わたしはなんとなく可笑しくなってしまう。高校生にもなって約束なんかしなくても当たり前のようにわたしたちは毎日一緒に帰るのだ。大抵は悠太と春が支度の遅いわたしたちの教室まで迎えに来て、後ろのドアのところで4人分の名前を呼ぶ。ゆーき、絢音ー。要くん、千鶴くんっ。祐希がトテトテと悠太の元へ駆け寄って、要に怒られた千鶴とわたしは春に癒されにドアへ走る。それを毎日毎日。
「ん?なに?」
悠太が脈絡なくにやにやしているわたしを半眼で見た。そういうやる気のない顔をすると祐希みたいだ。逆に言うと、そういう表情じゃなければ例え彼らが前髪の形を変えていたって、わたしたちが悠太と祐希を間違えることはない。要も春もわたしも、今じゃ千鶴だって。一緒に居ればいるほど彼らの全部がその顔ほど似ていないことがきっと分かる。
双子たちはあまり気にしていないみたいだけれど、彼らがお互いと間違えられるたび、わたしたちみたいな人が少しでも増えたらなあと、わたしは勝手に思うのだ。
「んーんなんでもない」
「そういえば祐希たちは?」
悠太がきょろきょろと教室を見まわした。その横顔と同じ顔も、眩しいくらいの金髪も、その二つへのお説教も今は教室にいない。
「購買行ったよ、ノート買うんだって」
「じゃあメールでいいか…」
「メール?」
「先帰っててって言っとかないと」
「祐希たちの鞄置いてあるし帰ってきたらわたし言っとくよ?」
あとは職員室に提出するだけの悠太の日直日誌を指してわたしが言うと、悠太は無表情ながらも若干不機嫌な顔をした。前髪から覗く綺麗な形の眉毛をひそめたのだ。眉毛一本分くらい。
「何で?」
「なんでって、わたしまだ時間かかるし…」
「…そんなの待つでしょ普通」

…あれまあ。男の子は成長が早いっていうけれど、いつのまにそんな男前なことを言えるようになったんだか。
悠太はそしらぬ顔で携帯をポチポチやっている。俯き加減のその前髪の分け目あたりを見ていると、机の上の携帯が震えた。
「…なんでわたしにまで」
悠太の一斉送信メールはご丁寧にわたしにも先に帰るように要請していた。
なんだこれは。さっきの男前な台詞はわたしの幻想だったか。
「あ…間違えた、なんか癖でつい」
悠太は言われて気づいたみたいで自分のミステイクに少しびっくりしているらしかった。
その気持ちもわからないではない。個々人に宛てる場合はともかく、一斉に送信する宛先は誰かが抜けることなど無くて(茉咲が追加されることはあるにしろ)指がアドレス帳を繰る道筋を覚えてしまっているくらいなのだから。
「あー…春にも送っちゃった…もう言ったのに」
「春は?」
「茉咲に数学教えてから帰るって」
「放課後デートとはやりますねえ春ちゃん」
「いやむしろ茉咲がでしょ」





男前の悠太が終わりを待っていてくれるらしいのでわたしはとりあえず目の前の空欄に集中することにした。相手が悠太とはいえ、あまり待たせるのは気が進まない。
のだが、わたしの脳みそからは朝のSHRの記憶がごっそり抜け落ちてしまっていたのでここぞとばかりに幼馴染の特権を使わせてもらおうと、机に並べられた日誌のうち隣のクラスのものを指してぼけっとしている悠太を呼ぶ。連絡事項ならどこのクラスも似たようなものに違いない。
「ねえ、ゆう」
「あの、浅羽くん…!」
わたしが呼んだその名前は宙ぶらりんに千切れて悠太には届かなかった。代わりに、きっとすごく勇気を振り絞ったんだろう少し震えた声が悠太を呼んだ。
その時きゅっと締め付けられるような痛みを感じたのは、わたしの体のどの臓器だろう。
「なに?」
「あの、机の中にノート、忘れちゃって…取ってもらっても、いいかな…?」
「えーっと…これ?」
「あっ…ありがとう、ごめんね」
「いや…俺こそ席、ごめん」
「ううんいいの!えっと…じゃあバイバイ」
「うん」
バイバイの返事に片手を挙げただけの悠太に、それでもすごく嬉しそうな顔をして彼女は集団の中へ帰っていった。見て見てノート取ってもらっちゃった!浅羽くんてかっこいいのに優しいよねー。あの浅羽くんは悠太くんの方だよね?ブレザー着てたからたぶん!ちょ、たぶんってあんた!だってあの二人顔そっくりなんだもん。

「…い…あ……習」
耳だけが彼女たちの元へ出張していたわたしは、悠太がなにか言ったのを見事に聞き逃してしまった。
「え、なに?」
「だから3限。自習いいなあって。なにどうかした?」
「…ああ自習ね、そうそう先生風邪引いたらしくてさー」
「へえ…長引けばいいのに」
「ちょ、なに怖いこと言ってんの」
「だってうちのクラス明日授業あるし」
「ああ、自習狙いですか悠太くん」
「そうですとも」
例えば、何か思うところがあってもこうやって普通に会話が続くのはひとえに、共有した時間の長さだと思うのだ。
たぶん悠太はわたしがさっきの会話で何かを感じたことに気付いているし、気付いていることをわたしも知っている。それでも悠太はわたしが自分から切り出そうとするまでは聞かないでいるし、それを知っているわたしは何も言わない。必要ないからだ。そして、必要なことなら言ってくれると、悠太が思っていることを知っているから。
一から十まで包み隠さず話したり聞くのが友情ってわけじゃないのだ。少なくともわたしたちの場合。

「悠太くん、SHRのとこ見せてください」
「…次からはちゃんと毎時間書くんだよ」
「はーい」
目下のところ、わたしにいちばん必要なのはこの会話なのである。


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