「で、お前ら何が変わったんだ」
お昼休みいつもの面子で屋上のランチタイムを済ませて教室に戻る道すがら、悠太と春が隣の教室に消えて行くのを見届けて要が言った。うん?と振り向くと要はさっさとわたしを追い越してわたしたちの教室に入っていく。質問が宙ぶらりんになったのでその背中を追いかけると、廊下側の要の席ではなくて、窓際に祐希たちとくっついて並んでいるわたしの席にたどり着いた。要はどかっとわたしの席に腰を下ろしてわたしの机に書かれた千鶴の落書きを見て顔をしかめている。仕方がないのでわたしはその後ろの千鶴の席を拝借して、横向きに座った要の横顔と眼鏡を見て少し考えた。
「要?もしかして気にしてくれてるの」
「…ばか、ちげえよ」

わたしと悠太のことを要たちに話したのはあの階段裏でのないしょ話の帰り道だ。彼らの反応は三者三様で、ちょこちょこ事情が漏えいしていた要と祐希の反応は薄かったし、全く気付いていなかったらしい春と千鶴はそれはもう良いリアクションをしてくれた。茉咲はちょこんとわたしの制服の袖を引っ張っておめでとう、と笑ってその最高級のデレにわたしが卒倒しそうになった。

「うわー要のツンデレとか見たくなかったわー」
「祐希、」
いつの間にか祐希が自分の席に戻ってきていて、カーディガンの袖を口元に当てて顔をしかめた。要のこめかみがピクリと動く。
「だあああれがツンデレだコラああ!」
「聞いてよ祐希、要がわたしのこと心配して」
「うわー聞いただけで鳥肌だね」
「してねえよ!」
要は大きな溜息をつくと今度は少し意地悪な色を眼鏡の奥に宿してわたしを見た。祐希ほど要の制裁に慣れていないわたしは思わず怯んでしまう。
「つうか絢音、お前余裕こいてっけどあれだぞ、いちばん気い付けなきゃなんねえのはそこのアホな弟だぞ」
「うん?」
「お前に悠太取られてこいつが黙ってるわけねえだろ」
「…うそー祐希くん…?」
その要の言葉がとても説得力があったので思わずわたしが半眼で祐希を見ると、祐希は阿呆らしいと言いたげな顔で手のひらをヒラヒラさせた。流石に祐希のブラコン具合も限度をわきまえたものだったらしくわたしはほっと息をつく。
悠太の方もあれでなかなかのブラコンだから祐希に本気を出されてはわたしと言えど困ったことになると、浅羽兄弟に関してはわたしはわりと本気で思っているのだ。
「いや…大体取られてないし、悠太」
「…はい?」
「絢音に取られるわけないじゃん、俺が悠太とどれだけ一緒にいると思ってるの」
なにやら雲行きが怪しくなってきた。要がそれ見たことかと半笑いでわたしを見る。
「強敵だ…」
「だから言っただろ。…大体お前ら、らしいことしてんのか?」
「らしい?」
「だから、彼氏とか彼女とか、そういうのらしいこと」
「例えば?」
「…あるだろ色々」
「色々じゃわかんないよ」
「絢音絢音、要が言いたいのはセッ」
「そこまで言ってねえよ!」
「いったいなあ…俺だってまだ何も言ってないよ、要が勝手に…」
「なーんの話してんのっ」
またひとつ要が重たい溜め息をつくと、目下のところ要に溜め息をつかせたら堂々一位の千鶴さんが小走りの勢いそのままでわたしの背中に飛び付いてきた。僅差で二位に付けている祐希がそのパーカーのフードを引っ張って下ろしてくれる。
「千鶴、どこ行ってたの」
「んー?メリーがいたから喋ってた」
「茉咲か…ねえ千鶴だったら好きな人と何する?」
祐希の言葉に千鶴はピクリと肩を揺らして何やらあからさまに動揺した。どうせ茉咲のことを考えたんだろう。祐希も意地悪な脈絡で話をするものだ。
「そりゃあまあアレでしょう、まずはデートでしょう」
「え、そこから?」
「じゃあお前らしたのかよ、デート」
「……」
「ほら、やっぱデートでしょう、全てはそこからよ!」
「デートですなあ」
「デートデート!」





「なるほどね…それでこんなことに」
「…はい」
悠太が人もまばらな放課後の教室内をぐるりと見回した。ホームルームが終わったとたんに、今日は用事があるから先に帰るという内容のことを口々に残して祐希たちはさっさと帰ってしまったのだ。いつもどおりわたしたちを教室まで迎えにきた悠太いわく、春も同じような具合だったらしい。そこでわたしが思い出したのが昼休みの会話だったのだ。
「まあとりあえず帰ろうか」
「うん、…あ…」
悠太がわたしの手をとって歩き出したので、わたしはその半歩後ろを付いていく。何も変わっていないようなわたしたちだけれど、こういうところから少しずつ変化している。例えば急な階段や細道を走り抜けるトラックがなくても悠太がわたしの手を繋ぐこと。
他から見ればほんの小さなことかもしれないけれど、今まで一番近くで背中合わせに前と後ろを向いて歩いてきたわたしたちには、その小さな歩幅すら変化なのだ。

「じゃあ…どこ行く?」
下駄箱から取り出したスニーカーをぽん、と放って悠太が言った。隣の列から同じようにローファーを取り出そうとその踵に指を引っ掛けていたわたしは下駄箱に手を突っ込んだまま振り返る。
「どこって?」
悠太は上履きを仕舞いながら首だけ捻ってこっちを見ると、いつもの無表情に呆れたふうを織り込んだ顔をした。
「だから、デート」
「え、ほんとにするんだったの」
「…したくないの、俺と、デート」
悠太はゆっくりと首を傾げて口元だけで笑った。悠太は基本的にまともだから、片割れを見ていると忘れがちだけれど、この人もこれで割と口攻撃が得意ないじめっ子体質なのだ。その計算高いいじめっ子はわたしのお返事を黙って待っている。
「…したくない、わけ、ない」
まるで可愛くない答えだったけれど、それでも悠太は よくできました をくれる様にすっとこちらに手を差し出した。急いでローファーに履き替えて、上を向いているその手のひらに自分の手のひらを重ねる。程なくぎゅっと絡みついた五指の体温に、わたしは中てられたように熱の集まった顔をそっと俯けた。

悠太と手をつないで歩く通学路はいつもとまるで違う顔をしていた。そうして、時折吹く緩やかな風に乗って薫る悠太の匂いも、ぶつかっては離れてを繰り返すわたしより少し高い位置にある肩も、盗み見上げた悠太の横顔がふいにこちらを向いてその両の眼がわたしだけを映すのも、全部ぜんぶがわたしに実感させる。
本当に、わたしは悠太が好きだ。
何やらにやついているわたしを悠太は呆れたように穏やかな無表情で見ていたけれど、ふいに一瞬半眼になったかと思うとすぐに立ち止まった。
「…絢音」
「あ、気付いた?」
「まあ…こんなことだとは思ったけど」
「暇人だなあほんと」
わたしの容赦ない講評に、うんうんと首肯しながら悠太はくるりと体をこちらに向けた。やけに真面目な顔をしているので、わたしはおやと思いながらヘラリとした笑いを浮かべる。けれどその真面目くさった悠太の顔がゆっくりとわたしの方へ下りてきて、わたしはいよいよ変な笑顔のまま固まってしまった。その間にも悠太は距離を詰めることをやめなくて、とうとうわたしの眼が悠太の眼しか映せなくなった頃、後方でさっきまでは一応潜める努力をしていた5つの気配がにわかに喧しく浮足立つのが聞こえた。
「ちょ、ちょ!公道のど真ん中で何してんのあの人ら!」
「…悠太って意外とアレだよな肝が据わってると言うか」
「だ、だだだめですよ悠太くんこんなところでキキキ、キ」
「あー、春が限界」
「あ、こらメリー!お前は見んでいい!お前にはまだ早い!」
そうしてひとしきり騒いだ後、ようやく彼らは自らの尾行対象が揃ってこちらを向いているのに気付いて、ゆるゆると沈黙した。悠太が眼を細めて詰問体勢をとる。
「…全員揃って何してんですか」
「それはこっちの台詞だゆうたんー!こんなとこで絢音とチューなんかしやがって!」
「そそそうですよ!悠太くん!いくらなんでもキ、キスは」
「してないけど」
「コラー!そんな開き直った態度、で…え?何て?」
「だからしてません」
「え、ええ、そうなの絢音?」
「え…うん」
「でも絢音顔真っ赤なんだけど」
「こ!これは、違う!」
「君たちの前でするわけないでしょう…そんな、勿体ない」
「も…?」
千鶴たちが耳を疑うのも無理はない。わたしだって到底悠太のものとは思えない台詞に言葉が出ずに悠太を見上げる。涼しい顔をした当の真ん中分けは、ほら帰るよ、と茉咲と千鶴のちびっこ組の背中を押して歩きだした。春が慌てて追いかけて、要と祐希がだらだらとそれに続く。未だ放心状態のわたしは悠太が大写しになった視界が延々と再生される脳内に目の前をちかちかさせながらその最後尾をとろとろと歩いた。
「…絢音」
いつの間に列のしっぽに下ってきたのか悠太が向かい合ってわたしを呼ぶ。顔を上げたそこにさっきと同じくらいの距離の悠太が居て、あ、と思う暇もなくふたつの唇がくっついた。悠太の背中の向こうで千鶴と茉咲がいつも通りじゃれている。春はおろおろと仲裁に入り、祐希は引っ掻き回して、結局千鶴と祐希が要に怒られる。そんないつも通りの光景が、今はとても遠い。
ぼうっと離れたばかりの悠太の唇を見ていると、悠太が照れ隠しのように伏し目がちにそういえば、と呟いた。

「そういえば俺、絢音とするの初めてじゃないんだよね」
「うん……え?ええ?いつ!どこで!」
「それは自分で思い出してください」
「ええ、ちょ!悠太!」

悠太がわたしの手を取る。当たり前のように触れられるこの体温が、今はただ、とても愛おしい。



『絢音、かおりせんせいがおふとんでねないとかぜひくって』
『んー…ゆーた…』
『ほら絢音ってば、』
『ふふー…ゆーたすきー…』
『ちょっ………』


120712 炭酸水とリアリスト
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