「俺は多分絢音が好きなんだと思う」

あっさりと、まるで今晩の夕食はお魚だよとでも言うように悠太が言うから、わたしはいよいよ自分の耳が悠太の言葉を都合良く補正するように壊れてしまったのではないかと思った。だって、今の流れのどこにそんな言葉が出て来ると普通思うだろう。おまけに多分、だの だと思う、だのがくっついていてますますわたしはその言葉をどう受け止めたらいいのか分からない。
「俺は、」
何か言わなければと口を開いて結局言葉が見つからずに閉じるのを繰り返して口をパクパクさせているわたしを余所に悠太はわたしが離した距離を詰めてもう一度わたしの肩をそっと掴んだ。
「俺は、目の前で転びそうな子がいたら絢音が言う通り、何も考えずにこういうことをするかもしれないけど」
「……」
「でも俺が、こういうことしたいって思うのは絢音だけだよ」
わがままを言わない悠太が、いつも目の前の他人を優先する悠太が、自分の主張をする。俺はこうしたいって言ってくれている。
ああ、この悠太はわたしだけの悠太なんだと思ったら、それがたまらなく大切でたまらなく愛しい。
「悠太」
「うん」
「悠太の言う通りだ、わたし悠太の気持ちちゃんとわかってなかった」
悠太はまた真っ直ぐにわたしを見下ろした。緩く吹いた風にその前髪が揺れる。
「わたしも悠太と、同じだ」
やみくもに悠太の心が欲しいと思っていたときはわからなかった。だけど今ならわかる。求めたのは、好きとか嫌いとか幼馴染とか恋人とかそんな言葉や括りではなくて。

わたしは、わたしと同じ気持ちの悠太の体温が欲しかったのだ。





それからわたしたちは階段裏に二人して体育座りで腰を下ろしていろんなことを話した。
人通りのないひんやりとした日陰の空気は、幼い日のないしょ話を思い出させて背中の辺りがくすぐったい。大人に内緒の話をするとき、わたしたちは決まって幼稚園の隅っこにある筒型の遊具の中に集まった。議題は、近所に捨てられていた猫や壊してしまったおもちゃ、浅羽兄弟がどこからか仕入れてくる怪しげな噂。ことあるごとにひんやりとした薄暗いそこに集まったのは、きっとそこにある秘密めいた空気が好きだったから。世界にはわたしたちだけでそこにいる五人が互いに互いの全てのようで。
かおり先生がお迎えの時間になっても戻ってこないわたしたちを一生懸命に呼ぶ声が何だかとても心地良かった。

「ねえ悠太、わたしたちやっぱり付き合うのかな」
わたしたちの始まりはそんな所から。悠太もやっぱり首を捻っている。
「絢音が相手だとわからないよね、付き合うとか」
「ね、今までと何が違えばいいんだろう」
毎日一緒にいてたまに手を繋いだりもして、お互いのことをよく知っていて。そんな昨日までとこれからと。わたしと悠太の関係はどう変わるのだろう。
「この間までただの幼馴染だと思ってたのに…難しい」
「ね」
詰まるところ、自分たちの気持ちにいちばん付いてゆけていないのはわたしたち自身で、いくら自分と互いの気持ちがわかったからと言ってそれで二人の関係が直ちに大きく変わるなんて、とても想像できないのだ。
友達というカテゴリとは違って、幼馴染はその関係の歴史の称号なのであって、そこにわたしたちの13年間があるかぎりその称号を返還することなんてできやしないのである。今わたしたちは、幼馴染で好き同士。称号がひとつ、増えただけ。

「俺はね、絢音」
悠太が持って回った言い方で前置きをするので、わたしは軽くうなずくだけにして悠太の言葉を待った。こういう言い方をするときは決まって悠太が自分のことを話す時なのだ。
「俺はいつも、俺はどうしたいのかを持ってないんだと思う。みんながいいなら俺もそれでいいと思うし…我慢してるとかそういうのじゃ、全然無いんだけど」
わたしはゆっくりと傾いてその面積を広げてゆく階段の影を見ながらひとつ頷いた。
「あんまりこういうのは良くないんだろうなあとは思うけど、そもそも俺はどうしても通したい意見とか別に無かったから」
そこで悠太はわたしの方へ体ごと向き直って少しだけ俯いた。
「だけど、絢音に好きな人がいるって言われた時、絢音の隣に俺じゃない誰かがいるのを想像したらすごく、嫌だった」
「…悠太無反応だったから興味ないんだと思ってたよ」
「むしろ逆、です」
膝小僧に声を埋める悠太の顔を見たくて、わたしは悠太の方を向こうと体育座りを崩そうとしたのだけれど、手を伸ばしてそれを阻止する悠太はどうやら照れているらしかった。いやいやちょっと今さらすぎやしませんか、悠太くん。
「…知らなかったよ悠太がそんな風に思ってたなんて」
「俺も絢音がヤキモチ妬いてたなんて知らなかったよ」
「ヤキモチじゃな…くはないけど、も」
「ふふ」
悠太が膝から顔をあげて緩く笑った。和服姿の悠太のその胸元も手伝って今度はわたしが照れてしまう番だった。膝を抱えた手の先で上履きの爪先をちょんちょんと弄ぶ。
「…ねえ悠太」
「うん」
「悠太いわくわたしはヤキモチ妬きみたいだから、ひとつお願い…が、あるんだけど」
「ん…なに?」
悠太が座り直してすっと背筋を伸ばす。そういえば悠太が選ぶ部活はいつも、どこかに凛とした空気を纏うものだ。それは悠太を、何と言うかとても悠太らしく見せるので、わたしは悠太の部活姿を見るのが昔から好きだった。中学の頃はよく部員でもないのに武道場に上がり込んでいて、顧問の先生にお前もやってみろと竹刀を渡されては悠太に文字通り一刀両断されたものだ。
けれど高校で悠太が選んだ茶道部の茶室は、剣道部の武道場と違って部外者がそう頻繁に立ち入れる場所ではなくて、わたしは悠太がいつもどんな風に部活に励んでいるかをあまり知らない。祐希にくっついて悠太を迎えに行くことはあるけれど、それは大抵いつも部活の時間が終わってからだ。
例えば悠太がどんな表情でお茶を点てるのかとか、どんな風に後輩と過ごしているのかとか。そういうことを、わたしは知らない。
別に知らなくたっていいのだ。悠太のことは全部知ってなきゃいけないなんて、そんなことは無いし、そんな気も無い。だからこれは、ただの、うん、やっぱりわたしのヤキモチなのだ。
「あの、ね、服」
「ふく?」
悠太は訳がわかっていないながらも何だかすこし楽しそうだった。もごもごと口ごもるわたしが可笑しくて仕方ないといった感じだ。悪戯っ子のいたずらに気付いてしまったお母さんみたいな目が視線を下げているわたしを覗き込んできて、わたしはいよいよ悪戯っ子然としてむくれてしまう。
「悠太部活のとき、それ、着てるでしょ」
「まあ、ユニフォーム的な?」
「茶道部、女の子の部員もいるでしょ」
「ん?うん」
「…襟、もうちょっと詰めてほしい、です」
「……」
悠太はぱちぱちと細かいまばたきを繰り返してからおもむろに口元を押さえて、祐希みたいなこと言うね、と小さな声で呟いた。
なんと。こんなにこっ恥ずかしい思いをしたのに。わたしの本当のライバルは学校中の女の子でなくて、あのブラコン気味の浅羽弟だったのかもしれない。
「いや…違うよ、嬉しいなあと思ってさ」
「…フォローありがとう」
「違うって。ほんとに。絢音あんまりそういうこと言わないから」
「今まではね、言っちゃいけないと思ってたし」
「これからは言う?」
「う……ん」
往生際の悪いわたしの返事に頑張れ、と無責任に悠太は笑って脈絡なくわたしの手を取った。このひとは、本当にいつも突然でわたしの心臓がついてゆかれないから困る。今だって、もう何回も繋いだはずの体温に、こんなにも拍動は忙しない。
「そうやってさ、これから俺たちの何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれないけど、俺は、こうやって絢音と堂々と手を繋げることが、大事だよ」
「うん…わたしたちは、それでいいね」
元より幼馴染というイレギュラーな関係だったわたしたちには、定型なんてきっと意味がなくて。ふたりらしくあればそれがきっと正解で。
わたしらしくでも、悠太らしくでもなく、わたしたちはわたしたちらしく。


わたしと悠太の携帯がそれぞれ祐希と春からのメールを知らせた。下校時間はすぐそこだ。携帯を閉じた悠太が立ち上がる。
「帰ろうか」
「うん」
一瞬だけ後ろを向いた悠太が振り返って、いつもより狭くなった面積の首元で緩やかに笑った。

120701 「ふたりらしく」
 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -