青いブレザーとベージュのセーターの背中が並んで朝の通学路を歩いている。いつものわたしならどうしただろうと考えて、ほんの少し息を吸ってから2つの背中を追う。今日からいつも通り、は昨日のわたしとの約束だ。
「悠太、祐希、おはよ」
2人の間から顔を出すように2つの肩をそれぞれ叩く。まもなく振り返った双子は揃って少し驚いたような顔をしていて、先にいつもの無表情に戻った弟がセーターの袖で口元を隠しながらおはようございます、と挨拶を返した。
兄の方は珍しく表情を崩したままで、すたすたと歩いて行ってしまう祐希とその間でうろうろしているわたしを見てようやく我に返ったらしい。それでも少し驚きの残った表情で、早足でわたしの隣まで歩いてきた。
「おはよう、絢音」
「うん、おはよう悠太」





その日の放課後は、悠太と春は部活で要も生徒会だったので帰宅部の主力のわたしと千鶴は、3分の2帰宅部もとい漫研の祐希を入れてどうやって暇を潰そうか考えるのに忙しくしていた。暇人による暇人のための暇潰しの会議は、けれどこの面子で真っ当に結論が出るはずもなく。議題は進展しないまま、自販機へ行こうと立ち上がったわたしに祐希が、自販機行くなら漫研の部室にこれ持ってって、とお使いを押しつけてきて今に至る。いつもならにべもなく断ってやるところだけれど、悠太のことで祐希には気を使わせたようだからお使いくらい行ってやろうと、寛大な心で重たい漫画やら雑誌やらを受け取ってしまったのだ。
「わたしが祐希のパシリに甘んじるとは不覚…」
時代劇でお奉行様に悪行のしっぽをつかまれた悪大名のような台詞を吐いているのはしかし紛れもなく女子高生である。自販機でジュースを買うより先にこの重たい荷物をどうにかしてしまおうと文化系の部室がずらりと並ぶ部室棟の2階へ続く階段を上る。セキュリティも何もない半開きのドアの向こうの漫研部は今日も何事もなく休みだった。小さい女の子がウェルカムしている机の上に、祐希に見られたら怒られそうな雑さで漫画をドサドサ積んでおく。

部室の外は、こんな暇な放課後を過ごしているわたしとは正反対の活気に満ちた空気で溢れ返っていた。その見えない圧迫感に踏み出す足が止まってしまう。


「…絢音、」
少し下の方から名前を呼ばれて外廊下の手すりの上に顔を出すと、部室棟の階段の踊り場に和服姿の悠太がすっと背筋を伸ばして立っていた。悠太は和服が似合う。凛とした佇まいと制服のときより少しだけ大きく開いた胸元に、滲み出る色香を感じてしまうのは何もわたしと祐希だけではないだろう。
「悠太。どうしたの?こんなところで」
「それはこっちの台詞です」
「わたしは祐希にお使い頼まれて」
「…パシリ?」
「もうちょっとオブラートに包んでお願い」
文句を言いながらわたしが踊り場まで降りると悠太は、昨日、と呟いて、けれどそのまま黙ってしまった。何も知らない振りをして続きを促す。
「…昨日…なに?」
「昨日、絢音放課後屋上にいなかった?」
「……」
わたしの無言を、肯定を含んで何故知っているのかを問うていると捉えた悠太は、携帯、と言ってわたしの制服のポケットからはみ出ている携帯のストラップを指差した。
「あの着信音、絢音が俺たちに設定してるのだよね」
…幼馴染みとはそこまで把握できるものだったのか。現に悠太はわたしの姿を見ずともその着信音でわたしの存在を看破したのだ。
「…いたよ、数Uサボったから」
「俺も行ったよ、放課後」
「……」
「絢音気づいてたよね、何で声かけないで帰ったの」
「…声…?」
めずらしく悠太が少し苛々しているのがわかったけれど、わたしはわたしで悠太のその言葉に、それまで我慢していたものたちが決壊するのを感じながらどうすることもできなかった。あの状況で、明らかに悠太のことが好きな女の子が一生懸命悠太を追いかけてきたあの状況で、その悠太に声を掛けることをわたしに望むの。女の子に何か言われても、幼馴染みだから何でもないよって、そう言えば済むから?わたしとの関係に言い訳は必要ないから?
「絢音」
「わたしは!」
わたしが突然大きな声を出したので、悠太は少し目を見開いて何か言いたげに口を半開きにしたままわたしを見た。
悠太はいつもそうだ。自分のことは全部後回しにして目の前の他人を優先する。わたしが今何より知りたいのは、後回しにされたその悠太の気持ちなのに。相手が誰であれ、悠太は絶対にわがままを言わない。
だからわたしは悔しい。悠太があの状況でわたしに声を掛けろと言うのは、わがままでも何でもなくて、それが幼馴染として当たり前のことだと思っているからだ。けれどわたしをそんな幼馴染だというわりに、悠太はやっぱりわたしにわがままを言わない。悠太にとって自分が中途半端な立場でしかないことが、わたしは悔しい。
「わたしはもう、悠太がわたしを見るのと同じ気持ちで悠太を見れないの!」
わたしがどんなにその中途半端な立場から抜け出そうとしても、悠太は幼馴染の枠に引っ張り戻してしまう。三日月の夜の問いかけも夕焼けの宣戦布告も結局、わたしの役柄を昇格させてはくれなかった。
「俺と、同じ気持ち…?」
悠太がわたしの言葉を、なんだか棘のある言い方で繰り返した。言外にわたしが何を言おうとしているのか、それがわからないほど悠太は馬鹿ではないし優しくもない。なのにそれに対する反応がこれでは、いよいよわたしは悠太に片想いすることすら許されなくなったのだろうか。
「俺と同じじゃないって、絢音俺の気持ちちゃんと知ってるの」
「そんなの決まって…!」
わたしの口から、悠太はわたしを幼馴染だとしか思ってないとでも言わせたいのだろうか。思わず上目に悠太を睨むと、脈絡なく悠太がわたしの両肩を掴んで後ろのコンクリート壁にわたしを体ごと押し付けた。急に近づいた悠太の頭のそのすぐ後ろを白黒のボールが、緩やかとは言えない速度で通りすぎていく。さっきまでわたしの体があった場所だ。踊り場を越えて階段の中腹で跳ね返ったボールがそのまま階段下へ帰っていくのが視界の隅に映る。すいませーん、と言う謝罪の声が下の方から聞こえた。

ああ、また、だ。目の前の悠太の向こうに昨日の屋上の景色が見える。

重力に従って落ちていく球体を目線で追っている悠太を体ごと押しやると、悠太は非難がましい目を向けた。きっとわたしも同じような顔をしてるだろう。今わたしは悠太が分からないし、悠太もわたしを分からない。
「悠太。こういうこと、女の子にしない方がいい」
「………」
「…勘違いするよ、自分のこと好きなんじゃないかって」
聞いているのかいないのか、悠太は嫌に押し黙ったあと、真っ直ぐわたしを見た。さっきまでのわたしを責めるような顔ではなく、いつもの無表情。だけどわたしと悠太の13年間を信じるなら、それは少しだけ笑みを含んで穏やかな無表情だったように思う。
「絢音もするの、勘違い」
「……」
「答えて」
「……しそうになる、わたしはそんな勘違いだって、しちゃいけないのに」
そこで悠太は大きく息をついた。呆れた溜息かとも思ったのだけれど、顔をあげてわたしの視界いっぱいに映った悠太は今度は大きく息を吸って、何故だかわからないけどわたしは悠太が泣くんじゃないかとすら思った。
けれど勿論、悠太が泣くことはなくて。
「俺は多分絢音が好きなんだと思う」
代わりにわたしはその無表情が今までに見たこともないくらい優しい顔で笑うのを、ぼんやりとした視界の中で見た。

120701 さよならとおかえり
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