店番をするようになってからわかったことなのだけれど、うちの店は本当に来客が少ない。午前中にお客さんがやってくることは滅多になくて、他の季節では書き入れ時らしいお昼休みの時間帯ですら、こう暑いとわざわざ甘い物を買いに出るひともほとんどいないので実に閑散としているのだ。なのでわたしはいちにちのほとんどを、ぼうっとショーケースに頬をくっつけているか、大学の課題を持ち込んで書き物をしているかして過ごしているのである。

「…お前、基本姿勢はそれなのか」
平和島さんが店にやって来る時はたいてい前者なので、彼はいい加減呆れたようにわたしを見下ろしてそう呟いた。
「さっきまでは勉強してたんですよ」
「それもどうかと思うけどな」
「そうですか?」
「バイトだったら即クビだ」
「あはは確かに」




平和島さんがうちに来るのはこれでもう五日連続だった。毎日違う種類を二つずつ、それを二人分で計四つ。あまり品目に富まないうちの商品はもうすぐ二周目に入りそうな頻度だ。それはとても有り難いのだけれど、いかんせん彼の身体と財布の中身が心配になってしまう。
わたしの心配をよそに長身を屈めてショーケースを覗きこむ平和島さんを目で追いながら、今日の注文の予想をする。彼が毎日違う種類のケーキを選ぶことに気づいてから、これはなかなかわたしの楽しみになりつつあるのだった。
今日の予想はモンブランと苺のタルト。
「何にしますか」
「モンブランと、レアチーズケーキ」
「…惜しい」
「お前、俺で遊んでるだろ」
「いえいえ、とんでもない」
平和島さんのじとっとした目線をかわして、モンブランとレアチーズケーキを二つずつ箱に詰めていく。洋菓子屋の娘が言えることでもないけれど、こう毎日甘いものばかりで飽きないのだろうか。

「ん、前からあんなもんあったか?」
どうやらわたしに尋ねているようなので(当たり前だ、店にはわたしと平和島さんしかいない)、相変わらずせめて見映えだけはと悪あがきしていた手を止めて顔をあげると、平和島さんはさっきまでわたしが書き物をしていたガラス製のテーブルを指さしていた。
衝動買い癖のある母が一目で気に入って買ってきたものだ。家の中には置き場がなかったのでそれならばと店の隅に置いてみたのだけれど、特にこれといった使い道も見つからずただのインテリアとしてぽつんと持て余されている。

「今のところ、わたしの書き物机になってしまってますけど」
「なまえ」
「はい?」
唐突に平和島さんがわたしの名前を呼んだ。なぜだか少し嬉しそうな顔をしている。
「モンブラン、ひとつ箱から出してくれ」
「え、はい。どうするんですか?」
「ここで食う」
なるほど。
確かに母の買ってきたそのテーブルはカフェテリア風のそれだった。親子揃って気付かないなんて。まったくもって、うちの血筋は商売に向いていないらしい。

「…ありがとうございます平和島さん」
「ん?なんの礼だ?」
「いえ、もうなんか色々と」
「はは何だそりゃ」
なんだかとてもお礼を言いたい気分になって、案の定平和島さんはよく意味がわかっていない顔をしたけれど、わたしの曖昧な返事にちゃんと笑ってくれた。
相変わらず綺麗な顔だ。
「飲み物、紅茶でいいですか?」
「紅茶なんかあるのかここ」
「わたしが淹れた只の紅茶でよければ」
「へえそりゃ…楽しみだな」
そして相変わらず、わたしは彼の笑顔に弱かった。
少しの間の店番をお願いして(平和島さんは渋っていたけれど、この時間帯はお客さん滅多に来ませんから、というとどうにか頷いてくれた)紅茶を淹れに調理場へ引っ込む。ああ、モンブランを乗せるお皿とフォークも持っていかないと。
丁寧に茶葉を濾したりカップを温めたりしているうちにだいぶ時間が過ぎてしまって、今頃お店で平和島さんは、お客さんが来ないだろうかとドキドキしているかもしれないと考えて、店番を押し付けた身で申し訳ないけれど少し可笑しくなった。ああ見えて平和島さんは人見知りの気があるらしいのだ。

「…遅い」
だから、紅茶を手に店の方へ戻ったわたしに、平和島さんがテーブルの上に置かれたモンブランを前に肘をついて文句を言ってきた時も少しだけ笑ってしまった。
おあずけを命じられて不満げな子犬。
「あの、今更ですけど時間大丈夫ですか?」
「そりゃ本当に今更だな」
平和島さんは呆れたように笑うと、今日は残り夜だけだから平気だ、と言ってモンブランのてっぺんでふんぞり返っているマロングラッセをつついた。王様を気取っていた鮮やかな黄色の栗は敢えなくその玉座から転がり落ちてしまう。けれど、平和島さんがその元王様を無視して螺旋状のマロンクリームをフォークで突き崩し始めたので、おやと思って尋ねてみる。
「ひょっとして平和島さんは長男ですか?」
「ん?ああ、弟がひとりいる。言ったことあったか?」
「いえ…兄と食べ方が同じだったので、長男というのはそういうものなのかと」
兄もモンブランの栗は最後に食べる人だった。嫌いなのかと兄が残したそれを横から拝借してよく怒られたものだ。
「そりゃまた斬新な統計だな」
「でも当たってましたよ」
ぐいと胸を張ってみると、平和島さんは「あーすごいすごい」なんてちっともすごいと思っていない顔で言ってモンブランを口に運んだ。
ここ数日毎日顔を合わせているせいか、平和島さんはなんだかわたしに対してどんどん気兼ねがなくなっていっている気がする。そしてそれはわたしもまた、同じで。家族とも大学の友達や先輩とも違う、不思議な距離感が日に日に縮まっていくのが分かる。それはなんだかとても、心地良いのだ。

「食いたいのか?」
わたしがじっと見ているのを、モンブラン欲しさの視線だと勘違いしたらしい平和島さんがフォークを咥えたまま聞いてくる。煙草を咥えて喋ることが多いからか、その滑舌はとても流暢だ。わたしはモンブランではなくて平和島さんを見ていたのだけれど、彼はそんなこと少しも思わなかったようで何の疑いも無い目でわたしを見ていた。まるで少年みたいにきらきらの星屑をたくさん詰めたような目。大人と呼ばれる人たちの中で、こんな目をしている人を、わたしは平和島さん以外に知らない。
「くれるんですか?」
「ひとくちな」
「平和島さん、平和島さん」
「ん?」
「じゃあわたし、栗がいいです」
わたしが言うと、きらきらを詰めた両方の目がすうっと細められて凄く嫌そうな顔を作った。わたしは思わず噴き出してしまう。
「冗談ですよ」
「言っていい冗談と悪い冗談がある」
「え、これ駄目な冗談ですか?」
「当たり前だ」
むすっと拗ねた顔で平和島さんは栗を綺麗にふたつに割ると、マロンクリームを掬ったフォークの上に乗せてこちらに突き出してきた。
「え、いいですよほんとに」
「食え」
「ええと…じゃあ、いただきます」
この歳になって手ずから食べさせてもらうのはなんだか恥ずかしくて懐かしい。わたしに食べさせると、平和島さんも最後のひと掬いに栗を乗せて自分の口に放り込んだ。モンブラン半分こ。くすぐったくてあったかい。

すっかり冷めてしまった紅茶を飲みほして、平和島さんが立ちあがった。壁にかかっている時計を見れば、そろそろおやつの時間だ。早めのおやつを済ませてしまったわたしたちだけれど、うちの店にしてみればようやく稼ぎ時の到来である。それを知ってか、どんなに長話をしていようと、平和島さんはこの時間になるといつも見計らったように腰をあげてしまうのだ。

「もう行くんですか?まだ時間…」
「そうしてぇけど、…俺が居るとこの店に迷惑かけるからよ」
テーブルセットのおかげでわたしは彼を引きとめる言葉を掛けることができたのだけれど、返ってきたのは予想外の返事だった。彼の何が迷惑だと言うんだろう。
「でも、」
けれど、からんころんという扉を開ける音がわたしの言葉を遮ってしまう。お客さんだ。開いたドアの向こうからは夏の音がした。ジージジジ。元気なのは油蝉。
「あ…、いらっしゃいませ」
「…また来る」
平和島さんは、わたしの頭をぽんと撫でて入口へ背を向けた。すれ違いざまにカウンターへやってきた常連のおばさんがその後ろ姿を何故か目で追っている。わたしは撫でられた頭と、いつもより鼓動の速い胸に手をやってぼんやりとしていた。

「なまえちゃんなまえちゃん」
「あ…、はい」
「今の、平和島静雄って人じゃない?」
おばさんの口から平和島さんの名前が出てわたしははっと我に返った。
「平和島さんのこと知ってるんですか?」
「知ってるも何も、この街では有名じゃないの。喧嘩人形とか言って」
「あ、ええ、そうらしいですね」
「らしいって、なまえちゃん見たことないの?あの平和島って人が暴れてるところ」
そう言えば、わたしは彼が喧嘩人形やら池袋最強やらと呼ばれる所以を見たことはないのだ。少なくともわたしの知っている平和島さんは、とてもそんな呼称が似合うような人ではない。
「そりゃあもう怖いのよ、この間も自販機投げたりして」
「自販機?」
それは何かの見間違いじゃないだろうか。いくら長身の男の人とは言え、自販機を持ち上げて投げられるひとがいるとは思えない。
「気をつけなさいな、この店に平和島静雄が出入りしてるって噂になったらお客みんな怖がって寄りつかなくなるわよ」
「あ……」
心配そうなおばさんの表情に、わたしは彼の言葉を思い出す。俺が居るとこの店に迷惑かけるからよ。

「なまえちゃん?」
「わたし…」
お客様は神様。お客様の言うことは絶対。
やっぱりわたしは、商売に向いていないのかもしれない。

「わたしは…平和島さんが他の人にどんなふうに言われていようと、わたしの目の前の平和島さんをいつもいちばんに信じています」
わたしが知っている平和島さんは、甘い物が好きで、少しぶっきらぼうで、少年みたいなきらきらした目をしていて、とても綺麗な顔で笑う、平和島さん。
喧嘩人形でも池袋最強でもない、ただの、うちの常連さんだ。

どうにか注文のケーキを包んで渡して、それでもなお心配そうに、気をつけてねと念を押すおばさんを見送って、わたしはカウンターの陰でこっそり泣いた。
たぶん悔しいのだと思う。平和島さんのことを悪く言われたからじゃない。平和島さんがそれを良く知っていて、迷惑をかけまいとうちの店から、わたしから遠ざかっていったことが、悔しくて悲しい。
平和島さんに撫でられた頭を、自分でなぞって撫でてみる。だけどやっぱり、ちっともどきどきなんてしなかった。


その日から、平和島さんの連続来店日数の記録が途絶えた。けれど相変わらず、暑い日は続く。

110715 ソーダ水と急降下
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