今年の夏も折り返しを過ぎて、ここ最近は気温もだいぶ落ち着いてきた。けれど体感温度はやはりそういうわけにもいかなくて外に出るのも億劫なわたしは相変わらず店番に甘んじていた。さすがの両親も店のクーラー代を節約対象に入れることはしなかったので、お客の来ない店の番は自分の部屋でだらだらと過ごすよりも快適なのだ。
御向かいの喫茶店では相変わらず「氷」の文字の幟が揺れている。けれど、それももうあと少しなのだという。昔から、わたしにとってあの喫茶店からかき氷の幟が消えることは、その夏が終わるのと同じ意味だった。今年も夏が終わっていく。

とはいえどうにもいい加減手持ちぶさたなので、わたしはいつものように冷えたショーケースに頬をくっつけて涼を取ることにした。横向きの世界はここで店番をするようになってから馴染みになった光景だ。そしてその世界にこれまたここで店番をするようになってから馴染みになった二人組が映った。わずかに首を持ち上げてチラリと時計を見ると、なるほどお昼を少しばかり過ぎた時間はいつも彼が顔を見せる時分だ。

「こんにち……いらっしゃいませ」
「よおなまえちゃん」
商売の常套句より先に二人への挨拶が口をついてしまったわたしを、トムさんは可笑しそうに笑みを含んだ顔で見て片手を上げた。その後ろから平和島さんがいつもの笑顔をのぞかせる。わたしもつられて笑ってしまった。
「わりいなー今日は俺もついてきちまって」
「何言ってるんですかトムさんに会えるのも嬉しいですよ」
「へえそうか」
「そ、そうです!」
トムさんが笑みを乗せたまま半眼でこちらを見るのでわたしは半分ムキになってブンブン首を縦に振った。なおもトムさんは笑っている。まったく恐ろしいひとだ。きっと夏祭りの日のこともおおよそ知っているのだろうなと思った。その隣で平和島さんはきょとんとしている。わたしが含めた言葉の意味は彼には伝わっていないらしい。わたしはこっそりほっと息をつく。
「お二人ともお仕事の途中ですか?」
「ん?ああまあそんなとこだ。微妙に時間空いちまったから静雄がここ行こうってさ」
「ちょ、トムさん!」
「何だよほんとのことだろ?」
「わざわざありがとうございます平和島さん」
「ああ……おお」
わたしと平和島さんのやり取りにトムさんは肩を震わせて笑いを噛み殺している。それに気付いた平和島さんがそっちを見ようとするのでわたしは慌てて会話を引きずって阻止した。
「たっ、大変ですねこんな暑いのに外回りなんて」
「んそうか?ちょっと前に比べたら大分涼しくなってきたけどな」
「あ…そうでした」
無理やりに会話を繋げたものだから変な物言いになってしまった。ついさっき大分気温がさがってきたなあと思ったばかりだったのに。さっきまで笑っていたトムさんがしっかりと助け舟を出してくれた。
「いいよなあ学生は夏休みなんつうもんがあって…ってそういやなまえちゃんもうすぐ夏休み終わりか」
「あ…はい、…そうですね」
トムさんの言葉にビクリと肩を揺らしたのはわたしだけでなかった。そちらを見れば、いつもより鋭い目つきをした平和島さんがショーケースを睨んでいた。彼がショーケースを、というよりうちのケーキをそんな風に見るのは初めてだからわたしは少しひるんでしまう。今ばかりは平和島さんがあの「平和島静雄」であるような気がして。

「あの……」
「あ…、わりい」
トムさんが着信を知らせている携帯を取り出して申し訳なさげに眉を下げた。「はいはい田中ですよっと」電話に出るトムさんが店をドアを開けて出て行く。隙間から夏が香る。だけどそれも、平和島さんに初めて会った時と比べると大分薄くなってしまった。夏の匂い、夏の音、夏の空気。

「静雄ー」
「あ、はい」
電話はすぐに終わったようでトムさんはドアに体を挟んで平和島さんに声を掛けた。平和島さんがそちらへ向かおうとするのを片手を上げて制して
「このあと無しになったって社長からだ。俺は一旦事務所戻るけどお前は直帰でいいぞ」
「はい、お疲れさまでした」
「なまえちゃんもまたな、ケーキ買えなくて悪い」
「いいえ、またお待ちしてますね」

さて、どうしようか。平和島さんは夏休みの話が出てからどこかおかしいままだ。平和島さんも夏が終わるのが淋しいのかもしれない。夏。ぐるりと店の外を見まわすと丁度いいものを見つけた。
「平和島さん平和島さん」
「ん?」
「かき氷、食べませんか」



店の外に出ると夏の匂いがわたしを包んだ。ただ何か物足りないような気がして、けれどそれが何かは分からずチラリと平和島さんを見ると、彼は近くの木を見上げて何かを探すような仕草をしていた。わたしも同じことをしてみて、ふと気付く。
「蝉……」
「ああ、いなくなってるな」
「いつの間に…全然、気が付きませんでした」
「うるさいだけだと思ってたが鳴かなくなったらなったで淋しいもんだな」
「本当に。夏も終わりなんですね」
「…そうだな」

お向かいの喫茶店までは十数歩もない。氷の幟を横目で見てからカランコロンと昔馴染みのその店に平和島さんと連れ立って入った。
この喫茶店はオーナー夫婦が二人だけで経営している。窓際の席に座りみぞれのかき氷をふたつ注文すると、ウエイトレスの奥さんは嬉しそうに目を細めて笑った。

「うまいな」
「ですねえ」
かき氷にする氷が余ってしまっているからと山盛りに削られたかき氷の大きさに驚きながらも、柄の長いスプーンでそれを崩して行く作業は夏じみていてとても涼しい。冷たい甘さが口の中から胃の方へすとんと落ちて行くのを感じながら、わたしは氷をしゃきしゃきと口の中で溶かしている対面の平和島さんをチラと見た。ここのおすすめはみぞれの氷だからと言って、わたしたちは二人とも真っ白な氷を前にしている。
「昔、わたしはかき氷といえばいちごばかりで、でも兄に薦められてここのみぞれを食べたら美味しくて。それからはみぞればかりになりました」
昔からわたしはそうだった。これが良いと分かればこればかりで、あちらが良いと知れたらあちらばかりになる。よく言えば柔軟で悪く言えば流されやすいのだ。
「でもここのみぞれは美味いからそれも分かる」
「かき氷だけじゃありませんよ」
「ん?」
「人もです」
「…人?」
平和島さんは氷を掬う手を止めてこちらを見た。
「良い人だとわかったらそればかりです」

例えば、平和島さんだとか。
わたしが言うと平和島さんはくすぐったそうに笑って氷に目を落とした。
「でも、お前のようなやつがいてくれるから俺みたいな人間が救われるんだ」
「そうでしょうか…」
「そうだ。現に俺は、お前に何度も救われた」
「…それを言うならわたしもです」
「……俺は誰も救えない」
「そんなこと絶対にありません」
思わず強い口調になってしまった。だけど平和島さんには知っていてほしい。貴方に救われてこのあとの人生ががらりと変わってしまうような夏を過ごした人間が、ここに一人いること。もう時間がないのだ。夏の終わりは、確実にすぐ側までやって来ている。

蝉たちが鳴かなくなり、氷の幟がはためくのはあと少し。午後になれば積乱雲は平たくまばらな秋の雲になり、肌を焦がす日差しの束は柔らかな温度になって肌を撫でる。

本当に、あと少しなのだ。

平和島さんを見つめるわたしの目に別れの色が宿っていることを、彼は知っているのだろうか。
平和島さんの目をいくら見つめても答えはわからなかった。


「わたし、平和島さんが好きです」

やにわに口をついたわたしの言葉を蝉たちの声が掻き消してくれることはない。

110919 ラストスパート
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