木洩れ陽のようなあやうさで、辰也はそこに立っているのだと思う。
28×15メートルの、狭く広い世界。才能と努力は切り離されて、勝者だけが立っていることを許される。辰也はもうずっとその場所で、ほそくほそく途切れそうに息をしていた。

ねえ、散歩にいこうか。
まあるい茶色の相棒を小脇に抱えて辰也がそんな風な提案をしたのは、まだ太陽が頭のてっぺんでじりじりとアスファルトを焦がしている時間だった。お昼のニュースでお天気お姉さんが「今日は全国的に真夏日となるでしょう」と眉を下げて困ったように微笑んでいたばかりだ。「熱中症には十分お気をつけください」お姉さんの有り難いご忠告でお昼のニュースは終わっていた。わたしと辰也は並んでお昼ごはんを食べながらそれを見ていたのだ。それがほんのついさっき。
「辰也ニュース見てたでしょう」
「うん?見てたよ」
「今日は真夏日だって」
「そう言ってたね」
辰也は冷蔵庫から出した麦茶をグラスに注ぎながら返事をした。飲み干したグラスを顔の横まで持ちあげて、飲む?と首を傾げるので思わず頷いてしまう。やわく微笑んで麦茶を注ぐ辰也は、その間もずっとまあるい球体を手放さなかった。彼の相棒、彼の呪い、彼の夢。もう何千回も辰也の手のひらと地面とを行ったり来たりを繰り返して、表面の擦り切れたバスケットボール。
「せめて陽が沈んでからにしない」
「あそこのコート、さいきん照明の具合が悪いんだ」
やっぱりバスケする気だったんじゃない、という台詞を麦茶といっしょに喉に流し込んでグラスについた水滴を指でなぞる。こまかい粒は大きな雫になって、わたしの指を濡らした。
「もう、しょうがないなあ」
「ありがとう」
にっこりと辰也が笑う。わたしは彼の笑顔に弱い。それもめっぽう弱い。辰也に微笑まれたら、炎天下の散歩だってたまにはいいかと思えてしまうのだから始末に負えないのだ。
「ねえ辰也、帽子かして」
「どうぞ」
シューズラックの上に引っ掛けられている辰也のキャップを目深にかぶって、後ろのベルトをきつく締める。それを見て、爪先をトントンやりながら靴を履いていた辰也が溜息をついた。
「ねえ、新しい帽子を買う気はない?」
「うん?どうして」
「麦わら帽子なんか似合うと思うけど」
「答えになってないよ」
「だってそれ、男物だよ」
「辰也のなんだから当たり前でしょう」
隣を見上げると、辰也は大げさに肩をすくめてみせた。帽子のつばに隠れて彼の顔は見えないけれど、きっと眉を下げて困ったように笑っているのだろう。
「手をつないで歩いたら、顔が見えないよ。…男物のキャップ以外」
「…相変わらず、辰也の言うことは恥ずかしい」
「そうかな」
あっけらと言って辰也が手を差し出した。その手をとって、さあ炎天下のお散歩といこうじゃないか。




夏の午後のストリートコートは、熱の塊のような陽射しを遮るものが何もなくて、すべてがまぶしい。まぶしくて、目がくらむ。わたしと辰也と、それから辰也とじゃれているまあるいボールがつくる、ちいさな影だけが暗かった。頭の上は突き抜ける青空。向こうの方で雲がぽつんと千切れている。まばたきをするとさっきまで目に映っていたちいさな影が青い空の背景に点滅した。
「…かげおくり」
小学校の国語の教科書に載っていたお話にでてきた遊びだ。影を見つめて10秒、空を見上げれば青い背景に影の黒が送られる。
辰也はシュートの体勢に入るところだった。バスケに詳しくないわたしにも、そのフォームが息を飲むほどにうつくしいことがわかる。軽く曲げられた膝がゆっくり伸びるのと同時にしなやかな腕がぐっと持ち上がり、いちばん高く飛んだところでボールがやわらかく放られる。コートの中でいちばんうつくしいその瞬間をわたしは文字通り目に焼き付けた。
まばたきをしないで夏の空を見上げる。焼き付いた辰也が消えないように、急いだせいで勢いがついた頭から大きめの帽子が転げ落ちた。けれども、あ、と思う暇もなく、わたしは眩しいばかりの空に釘付けになっていた。目がくらむ。辰也の影が、うつくしいかたちのまま青い空に映っていた。日よけの帽子がなくなって、直射日光に焼かれる額に汗がにじむ。こまかい粒は大きな雫になって頬を横切り首の方へ流れていった。麦茶のはいったグラスが恋しい。
送り影はじわりじわりと薄くなってゆく。それは、バスケに愛されず、それでもバスケを手放せない辰也のあやうさそのもののように見えた。

まばたきをしても影が見えなくなり、空がただの青い空に戻る。目を凝らす視界が急に薄暗くなった。前を向けばキャップの鍔の向こうに辰也の足が見える。
「さっきからなにしてるの」
「かげおくり」
「カゲオクリ?」
辰也が拙い発音で繰り返す。小学校の教科書にあったでしょう、と言いかけてわたしがあの物語を読んでいたころ、彼は海の向こうだったことを思い出した。
やり方(と言っても影を見つめて空を見上げるだけなのだけれど)を説明すると、辰也は嬉しそうな顔をして、一緒にやろうと笑う。
わたしは彼の笑顔に弱い。めっぽう弱い。仕方ないなあ、と言いながら結局は辰也の言うとおりにしてしまう。そして、そうすることがとても心地良いと思うのだから、なおさら救いようがなかった。

ふたりでストリートのバスケットコートに並んで立って、じりじりと肌を焦がす太陽に背を向けて。せーの・で見上げた空には、手をつないで立つふたりと辰也が抱えるバスケットボール、それから視界の端に映り込んだ、ネットのないリングだけのゴール。曖昧な輪郭はゆらゆらと揺れて、じんわりと消えていく。

小さな子どものようなあそびに目が眩む。青い空に伸びる影はすこしだけ淋しくて、なによりとても懐かしかった。わたしも辰也も熱に浮かされるようにはしゃいで、この夏の日は子どもに還る

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