いつかの夏が手を伸ばす夜、わたしたちはやっぱりおなじ世界にいる。
ケンくんが、寝返りを打つそのついでのようにぱちりと目を覚ましたのは、深夜というには夜は更けすぎていて、夜明けというにはまだ早いような頃合いだった。わたしはベッドの傍に置いたちいさなサイドボードにむかって、頭のなかに次から次と浮かぶとりとめの無い言葉をひとつも漏らさぬように書き付けている。別段めずらしいことではなかった。四六時中文字に触れていないと気の収まらない体質のせいで、活字病とも言うべきわたしの研究意欲は大学院の研究室にとどまらず、また昼夜も問わないのだ。
彼が目を覚ました気配を感じて、けれども振り向くうちに頭からこぼれ落ちる言葉たちを落っことしてしまいそうで、そうこうしている間にいよいよ本格的に寝覚めの体勢を取り始めたケンくんがもそもそと上体を枕の上に起こすのを背中で聞いていた。
「起きたのケンくん」
「ん」
「電気まぶしかった?」
「んん」
単純極まりない音節を巧みに使い分けて返事をするケンくんは、頭の方が覚醒するまでにはもうすこしかかるようだった。今のうちにと手を早めて、こぼれ落ちる言葉をぜんぶ真っ白な紙で受け止める。
「……暑い」
ケンくんが起きしなに文句を言った。たしかに今夜は、熱帯夜とまではいかずともそれなりに寝苦しい気温だった。開け放した窓からはちらりとも風が入りこまない。空気の動きがぴたりと止まっているかのようだった。
「エアコンつけようか」
わたしは、天井の隅で夏本番を待ちわびている白い直方体を指して言った。ケンくんがちいさな子みたいに稚拙な動きでのろのろと首を横に振る。
「それほどじゃないけど」
「そう」
わたしはまた白い紙に向き直る。とはいっても、わたしの頭のなかの文字で片っ端から埋め尽くされにかかっているので、余白らしきスペースはもういくらも残っていなかった。
ケンくんはごそごそと何かやっていた。彼の寝起きの悪さには定評があるので、とばっちりを受けたくないわたしは放っておくことにする。
「…なあ」
「なんでしょう」
「リモコン、どこ」
「リモコン?テレビ見るの?」
「エアコン」
寝起きの彼の"エアコン"の発音はすばらしく可愛らしかった。緩んだ頬で振り返るとケンくんに嫌な顔をされるのはわかっているので、背中は向けたままにしておく。
「いらないんじゃなかったの」
「やっぱいる」
「うーん、その辺にない?」
「ない。どの辺」
彼にさっぱり探す気がないのがよくわかった。しかたなくサイドボードの上を片付けて、ベッドに片足ずつ突っ込みながら手を伸ばす。白い直方体の起動装置は思ったとおり、彼の手の届く場所でシーツに顔を埋めていた。
ピ・と無機質な音のあとしばらくして天井の隅から冷たい空気が送られてくる。ベッドに潜り込んだ体はすぐにシーツに熱を預けて、たしかにじわりと暑さが広がるけれどとくべつ我慢できないほどではなかった。むしろエアコンがかき回す室内はとたんにぐっと温度が下がって、わたしはタオルケットを顔のしたまで引き上げる。そのせいでケンくんの足が半分そとに出たので、もう片方のかれの足がたちまち文句を言った。
「ねえケンくん、やっぱり寒いよ」
「うん」
「消していい?」
寒いのには同意をしたくせにケンくんはまた首を横に振った。金色の髪がぱらぱらと枕の上に散る。それを撫でながら、手のひらからじわっと広がるその温かさが心地良いと思った。シーツに染み込むじぶんの体温よりは熱すぎず、白い直方体が吐き出すゆるい空気より冷たすぎず。
だから、暑がりというよりは寒がりのわたしがその心地良さをもとめて彼の体に身を寄せたのは、当然といえば当然のことだった。
「…ケンくんは策士だね」
「なんのこと」
「それに淋しがり屋」
ケンくんは返事をしなかった。それこそが彼に心当たりがあることの証拠だと思ったけれど、悪い気はしないので黙っていた。静かな空間を、エアコンの冷えた呼吸音だけが満たしていく。

なつのしじま、とケンくんがぽつりと呟いた。夏の静寂。
きらきら眩む太陽と、突き抜けるように青い空と。そういうものに誘われて誰もが浮き足立つ騒がしい夏の、そのほんの一瞬の静寂のなかでわたしはケンくんを見つけた。太陽に負けない金色と、涼やかな瞳。たちまち世界が音を吸収して、静かなしずかな夏の真ん中、わたしは彼に釘付けになった。
わたしたちが出会って、爪の先まで浸み込むような恋をはじめた夏が、今年もやってくる。
「今年の夏はなにしようか」
「暑苦しいのは嫌いなんだけど」
「知ってるよ」
「あ、そ」
「あしたゆっくり考えよう」
「もう今日だろ」
「じゃあ今日ゆっくり考えよう」
「はいはい」
「おやすみケンくん」

夏の夜が白んでゆく。こうやって手をつないで眠ったら、わたしたち、同じ夢を見れるだろうか

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