真っ赤な戦場に日が落ちて、底無しの闇が空を侵してゆく。わたしがそれを怖がらないでいられるのは、いつだってその中には彼らが笑って居ることを知っているからだ。
変わらないと、信じていた。
変わらないと、信じている。

桜が綻びて、男ばかりでむさ苦しい敷地内がほんのり色づき始めていた。わたしがこの桜を見るのはわたしが春を迎えた回数と同じで、つまりはわたしが生まれた時からこの桜は此処にあった。そうして今年は銀時たち攘夷志士の拠点としてこの家を提供して最初の春。彼らと見る桜はこれが初めてだ。
戦士である彼らは桜が好きで、まだ咲き切っていない頃から桜の下で毎晩のようにお酒を持ち出しては花見をしていた。まだ満開ではないのに、と不思議そうに漏らしたわたしに返事を寄越したのは誰だったか。「満開まで俺たちは生きて居られるかわからないからな」桜の花のように、彼らもまた儚い。次の季節の足取りが、わたしは少し怖かった。

「おい、お前もこっち来いよ」
ぼんやりと夜に咲く桃色を見上げていたわたしを銀時が呼んだ。振り返れば、花見の最も良席である縁側にいつもの4人が陣取って笑っていた。沢山の天人を斬って沢山の血を浴びているはずなのに、月明かりと桜に照らされて笑う彼らは酷く高潔だった。
「ん、どうした?ぼけっとして」
「あ、ううんなんでもない」
「今日は月が大きいき、桜も綺麗に見えゆう」
「だいぶ咲いたなー、これでどんくらいだ?」
「ん、八分くらいかな」
「あと少しで満開か」
晋助が呟いて桜を見上げる。その左目に満開の桜が映ることはもう二度とない。それを悲しいと思うのはわたしで、そうは思わないのが晋助で、それがわたしはいちばん悲しい。じい、と包帯に隠れた晋助の左目を見ていると、視線に気づいた晋助が手招きをしてわたしを呼んだ。立ちあがって隣に座りなおしたわたしを、晋助はひょいと持ち上げて向かい合う体勢でその膝に乗せた。すこし下にある晋助の顔が、近い。
「晋助?」
「そりゃもう綺麗なんだろうな、満開のこの桜は」
「え、あ、うん…」
しどろもどろに返事をするわたしを面白がるように、晋助がくくっと笑う。息を詰めるような笑い方はいつだって晋助のそれだ。変わらないものを知って少し安堵したわたしの背に晋助の腕がまわって、自然わたしは抱き寄せられるようにして晋助との距離を詰める。
「あの、晋助…?」
「テメー高杉!どさくさに紛れて何やってんだ!その手ェ離せ!」
「高杉に触ると孕んでしまうき、気ばつけんといかんぜよ」
「孕むか!」
「そう言えばこの間も泣いた女子がひとり」
「クソ真面目な顔で話作ってんじゃねえよヅラ」
「ヅラじゃない桂だ、貴様は何度言えば分かるんだ」
「しょうがねえよヅラ、こいつは身体も脳みそもちっせーから」
「そうか、うむ、ならば仕方がないな」
「何納得してんだ、つーか今そこの天パもヅラっつったぞコラ」
「誰が天パだコラァ訴えんぞ」
「上等だコラ鏡見てから言え、クソ天パ」
「クソ天パじゃありませんー。俺のは天パは天パでもお洒落天パですう」
「天パに洒落っ気もクソもねえよ」
「あっ、テメまたクソっつったな!」
お馴染みの口喧嘩の中から、辰馬がわたしをひょいと捕まえて助けてくれる。ああなった二人を止めるのが難しいことを知っているから、わたしは辰馬の隣に座って桜を見上げる。ゆるい風に煽られて、一足先に色づいていた花弁が蕾を離れて宙を舞った。春の空気に乗って縁側までたどり着いたそれを摘んで月明かりに透かしてみる。

「満開まで、一緒に咲きたかっただろうな」
辰馬がゆっくりと笑った。どうやろうかにゃあ、と温かい彼のお国言葉がわたしの鼓膜を優しく揺らす。ん?と隣を見れば、辰馬はわたしの頭に手を伸ばして悪戯っぽく笑った。
「桜は暫時散ってしまうけんど、散った先で見えるもんもあるっちゅうことちや」
「散った先で見えるもの……」
なんとなく、辰馬が桜だけの話をしているのではないような気がした。この戦争の中で、散ってしまいそうな皆の想いや、願い。例えば、と言ってわたしの頭から離れた辰馬の長い指には薄桃色の花弁が摘まれていた。
「おまんの髪はええ匂いがしゆうらぁ、」
「……ふふ、何それ」
辰馬が解放した花弁はまた一瞬宙を舞って、ふわりと地面に着地した。この花弁は今何を見たのだろう。はじめて知る土の感触や匂いだろうか。それともさっきまで自分が咲いていたこの大きな木の全形だろうか。
「あ…」
一層強く吹いた風に、夜だからと柔く結っていたわたしの髪が靡いた。ばたばたと暴れる結い紐を辰馬の指が優しく捕まえて解く。初めて出会ったあの日より幾分伸びた髪が春の風に揺れた。その一房を指ですくって、辰馬が笑う。
「やっぱり、おまんの髪はええ匂いじゃ」

「おい辰馬!お前もこの馬鹿に天パの苦しみ教えてやろうぜ!」
「るせえなあ、テメーらで傷の舐め合いでもしてろ」
「んだと高杉!大体テメーはなあ、」

「おまんらまっこと……。…ちっくと行ってくるにゃあ」
辰馬がわたしの頭をくるりと撫でて立ち上がった。おまんらええ加減にせえ、と珍しく二人を諌める辰馬を目で追うと、入れ代わりに二人の仲裁を諦めたらしい小太郎がわたしの隣に腰かける。普段はあまり口にしないお酒を煽る小太郎はいつもより機嫌が良いようだった。

「どうしたの小太郎」
「ん?何がだ」
ご機嫌だから、と答えると小太郎は可笑しそうに笑った。わたしより少し長い髪が揺れる。花見の席で不機嫌な奴も居るまい、と答えて小太郎はまた御猪口を傾けた。何だかはぐらかされたような気がして、わたしはふうんと適当な返事しかできなかった。
「もうすぐ満開だね」
「そうだな」
「満開になったらみんなで見ようね」
「…そうだな」
わたしが意地悪な約束を取り付けると、小太郎は小さく頷いてわたしの髪に目を遣った。辰馬に解かれた髪は時折風に乗ってわたしの頬を擽っている。傍に落ちていたわたしの結い紐を手にとって、小太郎がわたしの背後にまわった。
「小太郎?」
「結ってやろう」
「うん…」
女のひとみたいに細くて綺麗な小太郎の指がわたしの髪を丁寧に梳いてひとつに結っていく。時折耳に当たるその感触が心地よくてわたしはそっと目を瞑った。
「見られると良いな、満開の桜」
小太郎がぽつりと呟いた。わたしの髪を結い終わった頃だ。うん、と返事をして小太郎を振り返れば、穏やかな表情と目が合った。
そろそろ寝るぞ、と残りの3人を促す後ろ姿を見遣りながら、わたしは丁寧に結われた髪をそっと撫でた。ひとり縁側に残って更けてゆく夜をぼんやりと見上げればそこに咲く薄桃色。

「こんな時に花見ができるなんて思わなかったな」
振り向けばくしゃくしゃの銀髪が目に入った。その口元は薄く笑んでいる。皮肉でも自虐でもない。嬉しそうに、少しだけ悲しそうに、柱にもたれ掛かって立っている彼は腕組みをして桜を見上げている。
「…寝たんじゃなかったの?」
「高杉の馬鹿のせいであんま見れなかったからな、桜」
「銀時」
「ん?」
言おうか言うまいか、少し、迷った。口を噤んで視線を彷徨わせるわたしに銀時は、それはそれは優しい声で頭を撫でて、
「言ってみ」
誘われてわたしの唇が紡ぎ出す。彼らを苦しめてしまうかもしれない、たったひとつのわたしの、願い。散ってしまいそうな想いや願いにも、その先があるのだとしたら。

「わたしは…またみんなで一緒に桜を、見たい。晋助と辰馬と小太郎と、銀時と…満開の桜が、見たいよ」

戦いに、斬り合いに、命を賭ける彼らにそれをやめてとわたしは言う。生きていてほしいと、死なないでくれと、それは自分勝手なわたしの願い。なのに。

「わかった」
「銀と、き」
「俺らはお前に惚れてんだ。お前の願いだったら、俺は、俺らは何が何でも叶えてやる。お前が死ぬなってんなら……俺らは生きる」
「……っ」
飾らない直情的な言葉が、わたしの中に流れ込む。胸の淵に留まったあたたかな温度はそのまま滔々と流れる涙に変わり。わたしを抱きしめる銀時の腕に、身を委ねた。

「てめえだけ格好つけてんじゃねえよ銀時」
「ずるいぜよー」
「まずはその手を離せ」
「…テメーら空気読めよコノヤロー」

ひらひらと。また一片桜が散って、だけどもうわたしはそれを怖いとは思わない。約束の指切りなどしなくても。満開の日にはきっとわたしたちは揃って桜を見上げていると、そう思えた。



「……」
ひらりと散った薄桃色の花弁がわたしの鼻先を掠めてわたしははっと我に返る。頭上には記憶の中と同じ八分咲き。けれど少し成長した枝ぶりは、あの日からの時間の経過だ。
「今年ももうすぐ、満開だよ」
わたしはひとりその日を待つ。辛くはない。
だって。自分勝手なわたしの願いを、彼らは命を賭けて叶えてくれたのだから。
この大きな空の下、4人は紛れもなく、生きている。

120705 羊水を纏う小指におやすみ
 
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