「夏だねえ」
「きょうの最高気温、36度だって」
「わたしの体温より高いのよ」
「ほら平熱、低いから」
「子どもの頃はいつもぽかぽかしてたのに」
「あれって、子供は大人より皮膚が薄いからなんだって」
「わたしずっと、赤ちゃんは一生懸命生きてるから、みんな体温が高いんだと思ってた」
「ねえ、わたしは一生懸命、生きてるかなあ」

答えの無い問いかけは、ぽーんと飛び出ていって真っ青な空をそこだけ切り取ったみたいな真っ白な雲のなかに埋もれてしまった。きっと神様に没収されてしまったのだ。そんな残酷なことを言うんじゃあないって。真っ白の平らかな石に名前を刻まれたひとは、返事もしない。
そこは、鮮やかな緑の芝がひろがる小高い丘にあった。夏の太陽をさえぎるものは何もなく、ぽつぽつとまばらにねむる白い石がそれをまばゆく反射している。まぶしさに、目がくらむ。くらんで、細めると、ぼやけた視界の白い石たちは芝生の緑にひっそりと沈んでいった。あとは、静寂。音という音は石の白あるいは空の青に吸い込まれて帰らない。この場所は、ありとあらゆるものがゆるやかな死に向かっている気配がする。だから、あまり長くここにいてはいけないのだ。わたしはまだ、生きなければいけない。彼を残して、行かなければ。でも、

「はじめに置いていったのは、お前の方よ」

立ち上がるとめまいがした。強く、目をつむる。

あの日は、出陣直後から天気が奇妙だった。急にどこからか分厚く灰色な雲が湧いてきて叩きつけるような雨が降ったと思えば、それがなんの前触れもなくぴたりと泣きやみ、代わりに燃えるような太陽が、大地を焦がした。風は縦横無尽に走り回り、気まぐれに凪いだ。汗の滲む夏の空気から、寒気のするような冬を感じた。それらがすべて、先刻送り出した第一部隊の戦況と、申し合わせたようにぴったりと重なっていたことをわたしが知ったのは、すべてが終わったあとだった。もう何の取り返しもつかない、何ひとつ取り返すことができなくなってからだった。
さめざめと銀糸のような小雨の降るなか、第一部隊は、その隊長を欠いた姿で帰還した。
まだ練度の高くない短刀が多い部隊を、俺に任せておけと頼もしく頷いたあの白色が、鈍く燻んだ鈍らに成り果てていた。その鈍らのかけらを必死で拾い集めたのだろう、隊長だったものを呆然と差し出す五虎退のちいさなしろい手や爪は、泥で真っ黒に汚れていた。
彼は、文字通りに、折れたのか。死んだのでも消えたのでもなく、折れたのか。五虎退のそのちいさな手から彼だったものを受け取りながら、わたしはまた、彼が人の身を保ったままわたしの元へ帰らずよかったとも思っ た。とても耐えられない。
あの白が、あのうつくしい銀白が、血や砂埃にまみれ、痛みや苦しみに歪むのを見るのは。耐えられると思えない。審神者として、正しくない感情だとは分かっていたけれど。
わたしを呼ぶ声、笑う顔、繋いだ手と抱きしめた体温。あの刀について、わたししか知らないこと。わたしが彼を、愛していたこと。

ゆっくりと瞼を開け、わたしは立ち上がった。相変わらずここは、空は青く、雲は白い。怖いくらいに静かで、風ひとつない。この静かで穏やかすぎる場所に居たら、居続けたら、いつか彼の元へ逝けるのだろうかと、以前はよく考えた。そんなわたしを叱るように、彼の最期を滔々と語り聞かせたのは、あの第一部隊の面々だった。彼ら自身も涙を浮かべながら。まるで頬を引っ叩かれた思いだった。隊長を目の前で失くした彼らが、わたしと同じ思いじゃないと、どうして言えただろう。
彼の破壊を悲しみ続けなくなることは、決して彼を忘れることではないと、短刀たちはそのつたない言葉で懸命に訴えた。彼らのそのちいさな頭をひとつずつ撫で、最後に一緒に枯れるまで泣いたあと、わたしは泣き腫らしたひとみをふたつ携えて彼の部屋を綺麗さっぱりと掃除した。そこに庭から摘んできた真っ白な天竺葵を、床の間の花器にそっと生けた。それからあの花は、毎年いまだ空っぽのその部屋の前に、真っ白なくじらのように悠然と花をつける。まるで彼の後ろ姿を見るようで、夏になると決まってわたしはそこから動けなくなった。
同じ花を、彼の名が刻まれた白い平らかな石のまわりに供える。35度を超す真夏日。あちらとこちらの境界線が曖昧になる前に、もう、行かなくては。

「わたし、一生懸命生きるよ」
「一生懸命生きるって、どんな心地がするのかな」
「体温が上がって、ぽかぽかするような、そんなあったかいものだといいね」
「ね、鶴丸」

ざああっと空気が巻き上がり、先刻までちらりともなかった風が、真夏の墓地を吹き抜けた。「驚いたか?」彼の口癖が聞こえるようだ。彼の愛は此処に置いて、わたしは、生きるためにあの場所へ還る。


▼白のゼラニウム(天竺葵)の花言葉
「わたしは貴方の愛を信じない」

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