世界は何度でも生まれ変わるのだ。窮屈な毎日と、そこから抜け出す勇気もなかった中途半端なわたしたちは、あの日死にかけの街に埋もれはじめてそれを知った。

がれきの下には、何もなかった。あるはずの、あったはずの、何もかもが、この世界から消えてしまったように、わたしには見えた。あるいは、家も、部屋も、思い出やこの町の季節さえもが、そっくりがれきにすげ替えられて、そのままぽんと放り出されたみたいに。この町をこの町たらしめていたものは、すべて、息をしながら、死にゆくことにも気がつかないまま死んでいった。
「まるきり展望台だな、こりゃ」
いつの間にか、町の残骸の上に座り込んでいるわたしの隣に、諏訪が立っていた。高く積み上がったがれきのてっぺんに鷹揚に立つ諏訪は、お子様ランチの旗のようだ。撤去作業を手伝っていたのか、頬には黒くすすけた痕が残っている。
「…ねえ、諏訪」
「ん?」
「明日の小テスト、どうなるんだろう」
「…お前なあ、、そんな場合かよ」
諏訪は足元のコンクリートだったものの欠片をぽん、と蹴り、あきれたようにこっちを見た。カラカラと乾いた音を立てて、欠片は雪崩の端緒のように、がれきのお子様ランチを駆け下りていった。いまのところ後に続くものはない。
「だって、ちゃんと勉強したのに」
「お前が?めずらしい」
「でしょう」
「つーか、進級かかってるからだろ、自業自得だ」
「諏訪だって人のこと言えないのわたし知ってるもん」
「俺は理数系だけだっつーの。全科目やべえヤツと一緒にすんな」
最底辺のどんぐり勝負を辛くも勝ち抜いた諏訪は、がれきのお城のてっぺんで王様よろしくふんぞり返って見せた。お子様ランチに刺さる旗のつぎはお城の王様。ころころ変わる諏訪の配役にあわせて、がれきの山も次から次へと体裁を変化させていく。それを魔法のようだと言ったら、諏訪はきっとあきれたように笑うのだろう。片眉をあげて、あの三白眼をわずかに見開いて、まるで花火みたいにぱかん、と笑う諏訪が、わたしは嫌いではない。
「ねえ、諏訪」
「今度はなんだよ」
「いま、いちばん何したい?」
諏訪は目をしばたかせて、手の中で遊ばせていた町の名残をぽん、と放った。名残同士がぶつかって削りあい、そうしてがれきの山に沈んでいく。この積み上がるがれきの山もいつかまた、きれいなコンクリートの平らに戻るのだろうか。
世界がまばたきのうちに消えた今日をすっかり忘れて。
忘れたことも、忘れて。
「髪、染めてえな」
「髪かあ、諏訪っぽい。なにいろ?」
「茶色」
「うそだ、諏訪はぜったい金髪がいいよ」
町の向こう側でサイレンが鳴っている。白煙はいまだ絶えない。ぺちゃんこになったこの町は、たったこれだけの高台からも、そのすべてがすっかり見晴らせた。
「お前は?」
「ん?」
「お前は何したい」
「そうだなあ。…いつもどおりに、学校に行きたい。それでやっぱり小テスト、ちゃんと受けたいな」
「…変なヤツ」
「そんでちゃんと進級して、諏訪と一緒に卒業したい」
「…お前の場合、こんなことがなくたって、危ういだろ」
「うーるさい」
隣に立っている諏訪の膝のあたりを拳で突くと、いてえ、と大げさな文句が返ってきた。そのまま、しゃがんでいるわたしの背中にひょい、と腰掛けてくる。重い。
男子高校生の体重など、同い年の女子には、その半分でも耐えられるはずがないのに、諏訪はまるでおかまいなしだ。
「ちょっと諏訪、重…、、あ。あった」
「?お前さっきからなにしてんだ」
諏訪の重みで前のめりになった視線が、がれきのなかで反射するちゃちな光を微かにとらえる。砂埃とコンクリートの欠片と硝子の破片に阻まれて、伸ばした指はすぐに汚れて傷だらけになった。それでも、確かにあったのだ。そこにあるものを探すことは、あるかもしれないものを探していたさっきまでと、心持ちがまるでちがう。
果たして、わたしの指先は長らくの探し物を、ようやくともいうべきか捕まえた。硝子や石に引っ掛けてしまわないよう、ゆっくりと引き上げる。すっかり黒ずんだ細身の鎖と、その先のちいさな石が弱々しく瞬くのを見て諏訪が、あ、と間抜けな声を出した。
「お前、それ」
「うん。懐かしいでしょ」
「…ンでこんなとこに」
「ここ、わたしの部屋だもん。二階のいちばん奥の部屋。ほら、そこベッド」
指を差した先にはかろうじて木枠だけを残したベッドだったものが布団の羽毛に埋もれていた。諏訪が苦虫を噛み潰したような顔をする。このがれきの山は、屋根を引っぺがされた挙句、次から次へと湧いてくるあいつらにさんざんに踏みつけられた、わたしの家だった。
「ん、貸せ」
諏訪がわたしの肩の後ろから差し出してきた手のひらに、年季の入ったそのネックレスを乗せると、金属の擦れる薄い音がしゃなりと鳴った。
「つーか、よくこんなもん今まで持ってたな。物持ち良すぎだろ」
「もっと褒めて」
「褒めてねえよ…髪、ちょっとどけてろ」
言われたとおりに肩から下の髪をまとめて片方によけていると、諏訪の手が回ってきて鎖骨のあたりにひやりとした感触を置きざりにした。首の後ろでは、もうだいぶ古くなった金具相手に諏訪が四苦八苦している。

それは、わたしたちが10歳になる年の夏祭りだった。神社の境内から商店街の方へ伸びた長いながい屋台や露店の列。どれもこれもが非日常的にきらきらと見えるなかで、ひと際わたしの目を釘付けにしたのが、このネックレスだった。けれど、お祭りのためにとくべつにもらったお小遣いは、わたあめと水ヨーヨーにほとんど消えてしまっていて、反対の手に握りしめた数枚の100円玉の、硬くて冷たい感触が、とてもかなしくて、だいすきなお祭りのきらきらが、一気に色褪せていくように見えた。そのとき、隣から伸びてきたのが、同じように100円玉を何枚か握りしめた洸太郎の手だった。自分だって、射的も輪投げも、もっともっとしたかっただろうに。それでも洸太郎は何も言わずにわたしのきらきらを取り戻してくれたのだ。

「ねえ、洸太郎」
「…おまえにそう呼ばれんの、ひさしぶりだわ」
「やっぱり金髪がいいよ」
「は?…ああ、髪染める話な」
「諏訪にはきらきらが似合ってる」
「わけわかんねえよ」

金具と奮闘していた諏訪の手が、ふたたび前へ回ってきて、金メッキの鎖をわたしの肌ごとその指に絡める。くすぐったくてわずかに身をよじると、それすら許さないと言うような諏訪のもう片方の手にすこし強い力で肩のあたりを捕まえられた。砂埃に入りまじって、懐かしい、諏訪の纏う透明な空気の匂いがする。
あの日100円玉をいっしょうけんめいに握りしめていたのと同じ手が、あの日と同じネックレスと、すこし大人になったわたしの今はつぶれかけの心に触れると、諏訪の魔法にかけられたがれきの山は忽ち生まれ変わり、今ふたたび呼吸を始めた。その浅い息づかいを、わたしと諏訪はあの日に戻るとも前に進むとも決めかねたまま、ただ黙って聞いている。

「なあ、お前さ」
「うん?」
「ボーダーって、知ってるか」

どんなに色褪せた世界でも、息をすることを忘れなければ、その呼吸が世界にふたたび色をつける。その呼吸を、きっとひとは希望と呼ぶのだ。
沈みかける西の空に、悠然とそびえ立つ希望の境界が、見える。

- 息をしたまま死ね (諏訪洸太郎)


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