いちにいが喧嘩をしています、と半べそをかきながらとてとて走ってきたのは五虎退だった。頭の上の虎が落っこちそうで、わたしはその子が五虎退のくるくるの猫っ毛に必死にしがみついているのをハラハラと眺めていたから、彼のその不可思議な言葉を理解するのにすこし時間を要した。
「一期が喧嘩?」
「はい…だからあの、主さまを呼んでこいって、薬研兄さんが」
「ちょっと待って待って、喧嘩って誰と?」
「あ、えっと…長谷部さんです…」
ここのところ、一期一振が近侍を、長谷部が遠征部隊の隊長と固定されていたのを、今日になって出陣先に検非違使部隊をみとめたため、熟練度の高い刀で一番隊を組み直した。結果、部隊長に一期一振、副部隊長に長谷部が収まることになった。一期と長谷部がいざこざを起こすのはこれが初めてだったから、原因といえばその編成にあるとしか考えられない。真面目一辺倒のふたりだから、おおよそ今日の出陣の成果について意見が食い違いでもしたのだろう。
はやくはやくと急かす五虎退に手を引かれ連れて行かれた先では、むっつりと眉間にしわを寄せた長谷部とめずらしく険しい顔つきの一期が彼ららしく一応の理性を保った声で何事か言い合っていたが、両名ともわたしの姿をみとめるや、気まずそうに押し黙ったままぷい、と顔をそらした。殴り合いの喧嘩でなくてよかったと杞憂に安堵のため息をつくと、長谷部がビクリと肩を揺らしてわたしをみる。一期の方は、固い表情のまま軽く会釈をすると、わたしの隣をすり抜け部屋を出て行った。追いかけようとする粟田口の短刀たちを薬研といっしょに捕まえる。弟たちがいれば、一期は兄として振る舞わざるを得ない。今それを強いるのはあまりに忍びなかった。
部屋に残っていた長谷部に問いただせば、おおよそわたしの予想のとおりだった。はじめての編成で隊員たちが衝突するのはよくあることだ。それが一期と長谷部という組合わせで起きようとは、わたしもあまり想像していなかったが。
長谷部は神妙な顔で、売り言葉に買い言葉で、言い合いに火がついたのだと反省の弁を述べた。長谷部にしてみれば、あの一期一振から反論が返ってこようなどとは露にも思わなかったのだろう。わたしはすっかりしょげてしまった長谷部をなだめると、怯えたままの短刀たちのお八つの準備を言いつけた。長谷部は暇を許すと余計なことまで考える節があるから、命令のひとつでも与えたほうが健全なのだ。

短刀たちを連れた長谷部が部屋を出て行って、ひとりになったわたしは、さて、と一期が行ったほうへ足をやる。喧嘩両成敗というからには、両者の言い分を聞いてやらなければ不平等というものだ。
一期は戦場着のまま、本丸の北側にある離れへ続く縁側に座っていた。呼びかけると、少し丸まっていた背筋がしゃんと伸びる。けれどうつむいた顔はこちらを見ない。
「主…あの、すみませんが今は一人にしていただけませんか」
「どうして」
「きっと私は今、ひどい顔をしております。貴女には見られたくないのです」
穏やかな口調を装っているものの、一期がまだ苛立ちを収めていないのがわかる。あの長谷部の方がよほど割り切りが良い。わたしはすこし意外に思いながら首を横に振る。
「それはできない」
「なぜ…!」
「喧嘩両成敗。長谷部にはひとつ用事を言いつけたし、一期の言うことだけを聞くのは不公平でしょう」
「…」
一期が悔しげに唇を噛む。わたしはそのうしろへ回り込んで、一期の背中に自分の背を預けるように座った。一期が緊張で身体を硬くするのがわかる。
正直なところ、喧嘩両成敗というのはただの口実だった。長谷部に用事を言いつけたのも半分は長谷部のためであったし、わたしが一期の言う通りにしてやらなかったのは、彼のことを知りたかったからだ。少なくとも、一期があんな顔をするなんて、わたしは知らなかった。
「長谷部殿の言うことも分からんではないのです。しかし近侍は私なのですから、すこしは自重していただきたい」
「長谷部には遠征部隊で部隊長を長くやってもらっていたからね。副部隊長というのに慣れていなかったのだと思うよ。わたしの配慮が足りなかったね」
「いえ、主は悪くありません」
顔を合わせていないからか、互いの背中の熱が伝うにつれて、一期はおもむろに饒舌になっていった。わたしはそれを、あまり口を挟むまいと黙って聞いてやる。
ほどなくして大きなため息をひとつついた一期は、ぴんと張っていた背筋をすこし緩めて、重をかけているわたしの背中に自らもすこし体重を預けるようにした。初対面の頃と比べて親しくはなれど、一期には主人と刀剣としての一線をとくに濃く引かれていると思っていたので、主従を離れたその仕草にわたしはすこしおどろく。
体格差でわたしの首より高いところにある一期の肩に反らせた頭を乗せて、首筋からその表情をのぞきこんでも、一期はもう顔を反らしたりはしなかった。
「一期って、意外と顔に出るのね」
「それは言わんでください…」
「あれ、凹んでる?」
「…すこし。弟たちの前で行儀の悪いところを見せてしまいましたし、長谷部殿にも言い過ぎました」
一期らしい気遣いの仕方だなと思った。手本を見せるべき弟たちと、敬意を払うべき同僚たち。そこにもきちんと線を引いて心を砕いている。
「それから」
一期はそこで、自分の肩から飛び出しているわたしの頭をぽん、と撫でた。真っ白な手袋の向こうから一期の手のかたちだとか体温だとかがひといきに伝わってきて、わたしは思わず息を飲む。
「貴女にも、格好の悪いところを見せてしまった」
「…おどろいた、一期も格好を気にするだなんて」
頭を撫でられた一期の手のひらの感触が消えず、早鐘のように打つ心臓の音を、軽口をたたいてごまかした。一期もわたしの言外にあの眼帯の伊達男の姿を描いたのか、口元をおさえてうつくしく笑う。わたしはふつふつと湧く自分の臓腑を鎮めようと、ふたたび一期の意外に広い背中に肩を預けた。つながったところから、わたしの心臓の音が一期に伝わってしまいそうで上手く息ができなかった。
背中の向こうで一期一振が、ぴんと伸ばした背筋でその髪と同じあかるい空色の彼方を穏やかな呼吸で見つめている。やわらかな空気がわたしと彼を包んで、このまま二人を隠してしまえればいいのに、と途方も無いことを願った。

二人分のお八つを盆に乗せた長谷部が、その角を曲がって姿を見せるまであとわずか。彼の姿をみとめた一期一振が、一瞬だけ眉間にしわを寄せるのをわたしはなぜかとても幸せな気持ちで眺めるのだ。


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