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葉書が、届いた。
見ただけで結婚報告のそれとわかるのに、新婚二人の写真も何もない簡潔な葉書。俺もとうとう知り合いが結婚するような歳になったかと葉書を裏返すと、宛名面には、懐かしい名前が苗字を変えて几帳面な字体で記されていた。その名前を目にするのは随分久しぶりで。こんな字を書く人だっただろうかと思う。俺の記憶の先生はもっと、
“……絢音先生、”
たった一言。ただそれだけで、あの頃の記憶がまざまざと蘇って俺は少しだけ笑ってしまう。何もかも思い出せば、きっと俺はまた、少しだけ苦しくなってしまうに違いないのに。
「…今さら、何だってんだよ」
だってそれはもう、7年も前の。


「こらぁ平和島!折原!はいはいストップそこまで!ったく、やるなら学校の外でしてってば、毎回仲裁するあたしの身にもなってよね」
「仲裁って、絢音が勝手に首突っ込んでるだけじゃない」
「"先生"って呼べって言ってるでしょう折原くん」
「はいはい絢音センセー」
「よし折原、次の定期10点減点。ん、あれ平和島どうしたの?」
「……いや、何でもないです」
「ははー、ほんとに平和島は大人しいね」
「…シズちゃんにそんなこと言えるの絢音だけだと思うよ」
「折原、あんたはいい加減学習しなさい」
「はいはーい」
先生はいつも、男の教師でさえ手を出さない俺と臨也のくだらない殺し合いに首を突っ込んで、けれど俺も臨也も先生が仲裁に入ると途端に戦意を喪失してしまうのだから不思議だった。何をするわけでもなく、ただ俺と臨也の名前を呼ぶだけで。
俺を腫れ物扱いする他の教師とは違って、先生は俺を怖がることもなく当たり前のように、時には教師らしく諌めて、時には友達のように愚痴を聞かされて、俺は先生と一緒に居るのがとても、心地良かった。それは俺にとって初めての感情で。いつしか、ずっと先生の隣に居たいと、そんなことを思うようになっていた。それはきっと、

「平和島は、幸せにならなきゃ駄目だよ」
なんの脈絡かはもう忘れてしまったけれど、先生はそう言って笑った。予防線だったのかもしれないと思えるようになったのは、高校を卒業してからだ。きっと先生は俺が伝えるずっと前に俺の気持ちに気付いていたんだろう。それは、もうどうしようもなく大人で。どうしようもなく、悲しい。

「先生、俺は先生が好きだ」
だから俺がそう言った時も、先生は静かに笑っていた。
「…うん、ありがと平和島」
笑いながら、泣いていた。どうして泣くのかと問えば、
「平和島は、幸せにならなきゃ駄目だよ」
と、いつかと同じことを言ってまた泣いた。もう堪らなくて、俺は先生をそっと抱き締めた。人を抱き締めるのは初めてで、力加減がわからずに痛くないだろうか苦しくないだろうかともうそればかりの俺の背中に先生はそっと細い腕を回してきて、
「ありがとう平和島。あたしを好きになってくれて」
先生は自分の気持ちなんて少しも言わなかったけど、それでも俺は腕に胸に背中に感じる先生の温度とその涙だけで、束の間の幸せを知った。
先生と生徒じゃなかったら、俺たちはもっと上手くいったのかもしれないけど、先生と生徒じゃなかったら、俺はこんなにも先生を好きになることはなかったかもしれない。
幸せにならなきゃ駄目だよと先生は言ったけれど、先生とじゃなきゃどうしたって俺は幸せにはなれないから。
「…大好きだよ、平和島」
その"大好き"は何だかとても、悲しかった。

いつの間にか力が入ってしまっていた手の中で、葉書はくしゃりと鳴いた。
もう、ずっと昔のことなのに、どうして俺はまだあの感触が忘れられずに。思いの外小さな体を抱き締めた、細い腕が俺の背中にしがみついた、あの感触を、忘れられずに。
どうして。
どうして今更思い出させたりするんだ。

【平和島は、幸せにならなきゃ駄目だよ】
【ありがとう平和島。あたしを好きになってくれて】
【…大好きだよ、平和島】

手の中でしわくちゃになった葉書を広げて皺を伸ばす。結婚を報告する常套句の下に、宛名書きのそれとは違う、俺の記憶と同じあの頃の先生の字を見つけて、俺はようやく少しだけ笑うことができた。
あの頃よりは大人になって、忘れたふりも知らないふりも、ずっとずっと上手くなった。
だけどやっぱり俺はまだ先生には敵わない。

ありがとう、平和島。
あんたは幸せになってね。

言っただろう、俺は先生とじゃなきゃ幸せになんかなれないんだ。
それができないなら、せめて幸せそうなあんたの写真くらい載せてこいよ。これじゃあ俺は、いつまでたっても、報われない。


120404 貴女が残した世界の終わり
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