「れーいちゃん」
「……」
「先輩を無視するとはいい度胸だね怜ちゃん」
「…その呼び方やめてくださいって言ってるじゃないですか」
怜ちゃんは親指と中指と薬指で真っ赤なめがねを押し上げながらため息をついた。その仕草だけ見ているとちょっと大人びた真面目な男の子そのものみたいだけれど、彼は良くも悪くも中身が見た目を裏切っているので何のことはない。というより、中身が伴おうとした結果行きすぎて空回りしている感じ。
かなり面倒くさい子だけれど、その面倒くささがなかなか楽しくて、何度嫌な顔をされようと、わたしは怜ちゃん・と呼びかけるのをやめないのだ。

「…大体、何の用ですか」
「べつに用はないよ」
「そうですか、ではさようなら」
「待て待て待て」
「……何なんですか一体」
怜ちゃんはめんどくさそうな顔でため息を隠そうともしない。というより、本当に心底めんどくさいと思っているのだろう。それでも、呼びかければ手に持ったちいさな本から顔をあげてくれる怜ちゃんが、わたしは結構気に入っている。
「あ、そうだ、これ。じゃーん」
大げさな効果音をつけてわたしがスカートのポケットから引っ張り出したものを見て、怜ちゃんはちょっとだけ眉をあげた。何かに似ていると思ったら、初めて見るものに興味と警戒が混ぜこぜになった猫パンチを恐る恐る繰り出す、近所のちいさくて真っ白な野良猫だ。図体のでかい真琴によく懐いているくせに、わたしには媚びのひとつも売らない。にゃーん・とめんどくさそうに猫らしく鳴いて、気取ったふうに歩いていくのだ。怜ちゃんはあの猫に似ている。

「…なんですかそれは」
「何って、イワトビちゃん」
「僕の知っているイワトビちゃんは眼鏡などかけていませんが」
「怜ちゃんの知らない間に視力が落ちたんだね、可哀想に」
「…そんなわけがないでしょう」
怜ちゃんがすこし俯いてめがねを押し上げる。わたしお手製のイワトビちゃんと同じ、赤いめがね。赤い絵の具をつけた筆でイワトビちゃんの目のまわりをぐるっと囲むと、隣でもくもくと木の塊に彫刻刀を当てていた遙が変な顔をしていた。
「イワトビちゃんフューチャリング怜ちゃん。どう?」
「そんな美しさからかけ離れたガラクタと僕を一緒にしないでください!」
だいたい僕のこの眼鏡は機能性とデザイン性の両方を兼ね備えたうんぬん・と怜ちゃんがうるさい。ついには眼鏡をはずして、ここのフレームの太さとこの曲線がうんたらかんたらと力説を始めたので、赤眼鏡のイワトビちゃんをその胸のあたりに投げつけてやった。
「ああ!僕のイワトビちゃんが!」
「へー気に入ったんだ怜ちゃん」
「ち、ちがいます!先輩が僕に似せたとか言うから!」
「わかったわかった、そんなに気に入ったんならそれあげるから」
もともと怜ちゃんに渡すことを思いついて作ったのだ・なんて言えるわたしではない。それが彼に会うための口実だなんて、もっと言えるわけがない。
「…べつに用なんか無いって言ってたくせに」
「なにか言った?」
「いえ。先輩って面倒くさいですよね」
「あはは、怜ちゃんに言われたくないなあ」

互いに向けてついたため息が二人分重なって、わたしたちはそっと笑った。わたしと怜ちゃんがまだ、「ふたり」じゃなかった頃の話。

130718 オーシャンブルーのにせもの
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