何年かぶりに水谷サンを見た。人ごみの中を真っ直ぐに歩く彼女は、あの頃から少し髪が伸びて、けれど背中をしゃんと伸ばしたその歩き方も、どこか野暮ったいその格好も、そしてその隣にくっついてニコニコしている男も、何もなにも変わっていなくて、俺は少しだけ笑ってしまう。冷たい無表情は相変わらずで、けれど時折見える笑顔はあの頃よりもずっと柔らかくて。きっとしあわせなのだろうと、やけに素直にそう思えた。そして、彼女をそうさせたのは隣で笑うあいつなのだとも。二人は俺に気付かず人波に流れていく。

「ケンくんおまたせ」
「遅い」
「ごめんごめん、ここの本屋さん品揃え良くってつい」
「ん、それ貸して。持つから」
「なあにどうしたのケンくん」
「は?何が」
「やけに素直」
「…あっそ、自分で持つんだがんばって」
「うそうそ、お願いします山口サン」
「自分だって山口だろ」
「うーんそうなんだけど、まだ慣れなくて」
「ま、いーけど」
「そのうちそのうち」
のんびりと笑う彼女から大量の本を受け取って、ちらりと振り返るともう二人の姿は見当たらなかった。少し持つよ、と伸ばしてきた彼女の手を握って歩き出す。隣の体温がゆるやかに俺に伝わって、俺の温度もそうであればいいのにと思う。繋ぐ五指に力を込めた彼女が俺を見上げて笑った。混じり気のない幸せに、自然と笑顔が返ってゆく。

だから、ありがとう。あの時、少しも迷わないでくれて。少しも俺に傾かないでくれて。あんたはいつだってハルばかりで、あの時の俺にはそれはとても苦しかったけど、あの恋が少しでも俺の思い通りになっていたら、今きっと俺はこうして笑えてはいなかった。いつだって自分に素直でしかいられないあんたやあいつが、あの頃の俺はとても、羨ましかったから。

「ケンくん何か良いことあったの」
「良いこと?」
「うん、笑ってる」
「別に…何となく、幸せだと思って」
「……」
「……おい黙るなよ」
「ううん、そっか。…そっか」
「…」
「それはよかった」
「…他人事かよ」
「違うよ、わたしだけが幸せだと思ってるんじゃなくてよかった」
「…当たり前だろ」
「そうだね、そのために一緒にいるんだから」

あの日の自分が彼女に言ったように、彼女みたいな女にはやっぱりもう俺は出会えなかったけれど、今も昔も彼女があいつばかりのように、今の俺は隣で笑うこいつばかりで。それが幸せだと思うのだからやっぱり俺は、あの時彼女に恋をしてよかった。

130113 薬指の献花
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