ローレンの夜列車 - 花売りのパレード - 焦がれるシリウス

広めの館内2階の奥の奥。わりと整理の行き届いているこの図書館の中で、司書さんに忘れられてしまったかのような埃っぽい区画がひとつ。静かな館内でも際立って音の無いこの場所には、無言でありながら饒舌で雄弁な文字たちが溢れんばかりに詰まっている。

「あ、いた」
感情の乗らない声と一緒に、萎びた白や茶ばかりのその空間に眩しい金色が迷い込んだ。書架の間から顔を出したケンくんが二コリともせずわたしを呼ぶ。視界がチカチカするみたいだ。文字ばかりのわたしの世界には、彼はいつだって眩しすぎる。
「ケンくん。めずらしいね」
「探してたんだよ、じゃなきゃこんなとこ来ないし」
ケンくんが顔の前でパタパタと手を振った。埃っぽいと文句を言いたげな顔だ。迷子症の彼がこの膨大な本に埋もれているわたしを見つけるのはさぞ手間のかかったことだろうに、それを毛ほども気取らせようとしないのは相変わらず。
「ありがとうケンくん」
「は?まだ何も言ってないだろ」
「いいのいいの。それで、どうしたの?」
手に持っていた本を棚に戻しながら聞くとケンくんは反対側の本棚にもたれて欠伸をしていた。彼が最近寝る間も惜しんで勉強に打ち込んでいるのは知っている。何か実習が近いのだとも言っていた。
「今日帰り遅くなるから。もしかしたら泊りになるかもしんない」
「そっか。うん、わかった先寝てるね」
「……」
「ケンくん?」
「あのさあ」
上から降ってくる声に、ああこれはまずい、と顔を上げた時にはけれどももう既に遅くて、ケンくんは眉間にすっと皺を刻んで腕を組んだきり何も言わない。完全にご機嫌が斜めになっていた。
棚に戻しかけていたもう一冊を諦めて、振り返ってケンくんと向かい合う。埃っぽい書架の片隅はまた無音になった。わたしはただ、じっと待つ。
「…何でそんなあっさりしてんの」
「ケンくん」
「…ちょっとは疑ったりしないわけ」
「え、何を」
「じゃなきゃ文句のひとつくらい言ったりとか」
「あのちょっと待ってケンくん」
途端にケンくんの口が緩くなったので、手のひらを彼の顔の前まで持っていってストップを掛ける。眉の端を上げたケンくんがぱしりとわたしのその手首を取った。金色の髪をふたつみっつ振って、再び彼の口は重たくなる。わたしはケンくんの台詞を頭の中でぐるぐる回しながら、彼の頭の後ろの本たちに刻まれている題名を左から順繰りに目で追っていた。題名から内容の読み取れるもの、そうでないもの。本は表紙を開いてみなければ分からない。目当ての本はたくさんの題名のそのどこかに埋れている。
「ねえケンくん、わたし最近ケンくんが学部の勉強忙しいの知ってるよ」
「…」
「だから今日遅くなるのも大学でその準備があるからだと思ったんだけど」
「…そうだけど」
「うん。ならいいじゃない」
ね、と少し笑ってみるとケンくんは掴んだままのわたしの手首をぷらぷらと揺らして素直じゃない返事をした。もうひとつ頷いてケンくんの金髪を見上げる。きゅ、と とんがった唇がすこし空いてまた閉じてを二度三度繰り返して、さいごに細い息をひとつ吸った。
「….浮気されても知らねえからな、そんなんじゃ」
「ええ、それは嫌だなあ」
「だから、俺で良かったなってこと」
ばち、と自分の瞬きの音が聞こえたような気すらした。だってあの、あのケンくんがそんなこと。
「…なかなか言いますね山口サン」
「なんだそれ」
うろたえて可笑しな口調になったわたしをケンくんが苦笑しながら見下ろす。きらきら、金色が眩しい。その眩しさにわたしはとうに両眼をやられてしまって、心配しなくたってもうわたしには彼しか見えない。わたしの淡い光はケンくんの目を留めておけるのか、心配なのは、いつだってわたしの方なのに。
「本当、敵わないなあ」
「は?」
「だってケンくんいつも、…あ、あった」
打って変わって怪訝な顔をするケンくんの髪を視界にそよがせていると、その金色の端っこで、依然わたしのせかいを埋め尽くす萎びた文字がふわりと鈍く光った。
「え、なに」
「ケンくんケンくん。その本、とって」
「…おい、俺と話しながら本探してたのかよ」
「え?う、ううんちゃんと聞いてた、聞いてたよ」
「……」
「もしもーし、山口くんー」
「あっそ、じゃ、自分でどうぞ」
鼻の先で笑ったケンくんが掴んだままだったわたしの手首と、ついでに腰のあたりをぐっと引っ張ってわたしは彼の腕の中に収まった。ケンくんの頭の後ろにある本との距離が近くなる。その間にいるケンくんとの距離はもっと近い。はい、と首を傾けたケンくんが はやく、と目で促すのでわたしは自分の背よりも高い位置にある本へ手を伸ばす。前にのめる顔の横をケンくんの匂いと温度がふわりと掠めていった。

「やっぱ今日、遅くなっても帰るから」
「…うん、待ってる」
「いいよ寝てて」
「待ってる」
「そーゆーとこ頑固だよな」
「ケンくんに似たんです」
「あーはいはい」
「ケンくん」
「ん」
「好きよ」
「……ほんと、さあ」
「うん?」
「敵わないのはどっちだよ」
「…さあ、どっちだろう」

130110 焦がれるシリウス
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