他の女子生徒の口から語られる彼は、わたしに言わせれば上澄みの綺麗なところだけを掬った彼におびただしい量の煌びやかな装飾を纏わせて作ったただの見目うつくしい人形にすぎなかった。彼がその実ただひとりの人間である以上、それらは彼女たちの純粋な眼を曇らせた彼自身による功績のひとつなのだ。

「どちらかをやめれば、楽になるのに」
「…どちらか?」
「人形か人間」
礼拝堂の長椅子に座った氷室はその前に仁王立っているわたしを濡れた瞳で見上げていたけれど、やがて満々と色香を湛えたその黒い眼でふい、と視線を外すと、表面張力に耐えかねた水滴を右眼から一筋こぼして苦笑いを作った。わたしなんかの前で、そんなふうに泣くくらいなら、もう。
「人間はともかく、もう片方はべつに俺の意図じゃないよ」
「じゃあ、何でこんなところで隠れて泣いてるの」
言葉に込めたわたしの悪意を少なからずも受け取ったらしい氷室は、剥き出しの右眼を鋭く眇めて涙の跡が残る横顔でわたしを睨みつけた。わたしにとって氷室辰也という男はこういう人間で、それがわかっているからそんな顔をされても別に今さら気押されたりはしないけれど、ただ改めて認識する。氷室はきっとこれからも、幾つもの板挟みに苦しんで、けれどそのうちのただのひとつにも報われないままあの小さなコートの中でどうにか息をしてゆくのだ。賢い彼にそれが分からないはずもなく、だから氷室は毎度懲りもせずこうして礼拝堂で神に祈りを捧げる代わりに自分の涙を供えるのだろう。自らに唯一才能を与えなかった忌まわしい神へ、まるで何かの当てつけのように。
「…はは、相変わらず厳しいなあ」
「……っだから…!」
獣のような目付きをするりと仕舞い込んで、氷室がまた人形の顔で笑う。そのうつくしい顔に無性に腹が立つ。そんな風に目を腫らして、睫毛を濡らして、歯を食いしばって笑うくらいなら、もう、

バスケなんて、やめてしまえば、いいのに

「…ねえ氷室。氷室がこうなってるとき、必ずわたしがここに来れるのはどうしてだと思う」
「さあ…考えたこともなかったな」
「…分かるのよ、見えるの。笑ってる氷室がその下で泣きそうな顔してるのが」
「……」
「わたしはそういう氷室の顔が嫌いなんだ。だから氷室にそういう顔をさせるバスケも、嫌いだ」
「……」
黙ったままの氷室は、何を思ったかこちらに手を伸ばしてわたしの制服の裾を摘んだかと思うともう片方の手で強引にわたしの腰を引っ掴んで引き寄せた。踏み出す幅を測れなかった両膝が氷室の座っている堅い木の長椅子にぶつかって じん、と鈍く痺れる。鴉色のカーディガンの袖から僅かに顔を出した氷室の左右の十指がわたしの腰の後ろできつく結ばれるのが、さらに縮まった彼との距離で分かった。氷室はわたしのカーディガンの肋のあたりに顔を埋めている。うつくしい人形の振りは、もう止めたらしかった。
氷室が椅子に座って顔を下げているので、立っているわたしからは礼拝堂の後ろの入り口がよく見えた。わたしの背後にある祭壇の上部を飾るステンドグラスから夕陽が漏れ入って、薄く色づいた光が入口の木の扉を染めている。天井を見上げると、真っ直ぐに差し込む光の道の中を堂内の塵がきらきらと反射して浮かんでいた。
なんとなく、氷室がその感情を投げ捨てる場所に礼拝堂を選んだ理由が分かった気がした。わけもなく深呼吸をすると、空気を入れて膨らんだわたしの肺に反応して顔を寄せていた氷室がぴくりと身動いだ。一呼吸ののち艶やかな黒髪が再びわたしに預けられる。人間らしいその重みと温度に鼻の奥がツンと痛かった。

「ねえ氷室」
「…うん」
「わたしはバスケが嫌いだし、だからバスケのことはよくわからないけれど」
「……」
「でもだからこそ、わたしは氷室を可哀想だと思ってあげられるよ」
「…ああ」
どんなにバスケが好きでもどんなに努力をしても、才能が違うと一刀両断される弱肉強食の世界では奇跡のような天才にしかギャラリーの目がゆかないのだとしたら、氷室はきっと切り捨てられる側のプレイヤーなのだ。どんなにバスケが好きでも天才には敵わず、その努力は報われない。それでもバスケを諦められず、天才の傍に居ることをやめられない氷室を、わたしは可哀想だと思える。バスケの世界で才能の名の下に切り捨てられる彼の努力や闘争心を丸ごとぜんぶ掬い上げてそんな氷室を憐れんでやれる。このうつくしいただひとりの凡人を、愛おしいと思うことができる。
「だから氷室。わたしの前では泣きながら笑ったり、しないで」
「… …、… 」
微かに頷いた氷室が、震える小さな声でわたしの名前を呼んだ気がした。だからわたしはその身体を抱きしめる。負けじと氷室が回した腕に力を込めたので片方の膝を彼の両足の間から覗く椅子に乗せて、その頭に顔を埋めた。顔も身体もわたしにうずもれた氷室が、小さく異国の言葉を呟く。

「...god turned his back on him, long ago」
「how poor guy, he is」

そうして、何日か後にはきっとわたしはまたここで氷室を抱き締めているのだ。

130216 アンジュの青痣
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