俺が、自殺志願者をからかうといういかにも悪趣味な遊びを始めたのは、単に暇だったからというのもあるし、生来の人間好きが興じた結果でもある。死にたい死にたいと喚く割にどいつもこいつもあるのはこの世への執着ばかりで、別にそれを侮蔑するわけじゃないけれど、ただやっぱり人間は面白いと再認識するのだ。人間ほど、言葉と行為に矛盾だらけの生き物はいないだろう。他の動物は言葉を伝達する手段を持たないし、本能を邪魔するほど発達した知能もないのだから。そう考えれば「矛盾」とはある種ハイテクノロジーな定義だと言える。この世界に於いて、死は最も多くの矛盾を孕んでいると俺は勝手に思っていて、それは俺が無神論者であることだとか強烈に死を怖れていることだとかが関係しているのかもしれないけれど、そんなことはまるでどうでもいい。ともかく、俺は大した理由もなくこの「遊び」を思いつき、片っ端から自殺志願者たちと戯れた。けれど人間というのは矢張り素晴らしいもので(或いはくだらないもので)ある程度の人数を捌いてみた結果として、彼らはおおよそ全てがまるきり同じなのだった。死にたい死にたいとしきりに喚く癖に本当に心底この世に未練がない奴なんて、ただの一人も居やしない。途中からはだいたい予想が付くようになっていたものの、こればかりは、思い通りに事が運ぶのはつまらないものだと思わざるを得なかった。



「君はあの世って信じるかい?」
もう何人に問うただろう質問を、今日も今日とて俺は人間たちに投げかける。ネットで知り合った自殺志願者たち。奈倉と名乗る俺を自分たちと同じ死にたがりだと信じてやまない彼女たちは、それぞれ実に面白いアプローチを持っているのだ。
「信じてません。死んだら全部が闇で、それで終わり。あの世なんてありません」
「私は信じてます。でも良く言う天国か地獄かってそんな明確な話じゃなくて、もっとあやふやな、混沌とした死後の世界なら、あると思う」
「君は?」
一通り彼女たちの回答を咀嚼して楽しんだ後、俺は無言を決め込んでいる残りの一人にもう一度問い直した。一人だけ逃げるなんてそんなことは許さない。自分の持ちうる語彙と表現力と知力を最大限に使って、この矛盾を解釈してみせてくれなきゃ、俺は君たちを死なせない。さしあたって俺は、人当たりのよさそうな薄っぺらい笑みを顔に貼りつけて彼女を見やった。笑顔と無言の要請は、どんな言葉よりも強制力を持つことを俺は良く知っている。
「…死んだらわかる。信じても信じなくても一緒」
彼女の答えは実に明確で簡潔なものだった。嗚呼、これだから人間は面白い!俺は迫り上がる高揚を抑えるようにゆっくりと足を組み換えて、貼り付けていたそれとは違う種類の笑顔を浮かべた。偽物ではない、心からの笑みだ。人ラブ!俺は人間が好きだ、愛してる!だってそうだろう、人間はこんなにも面白い!俺の予想の範疇を越えない奴らもいれば、こうやって軽々とそれを飛び越える奴もいる。俺は俄然彼女に興味を持った。今まで見てきた奴らとは違う。恐らく彼女は――

本当に、死ぬことしか考えていない。

今までこんなにも強烈に死だけを見つめていた奴が居ただろうか。彼女の目的こそが死なのであり、自殺はその手っ取り早い手段に過ぎず、そこから派生する死後世界など、彼女にとってはどうでもいいことであるのに違いない。真っ直ぐに、寸分もぶれることなく。
彼女は死を望んでいるのだ。ただひたすらに。
「俺はさあ、あの世なんてないと思ってるよ、神様も居なけりゃ閻魔様なんかも居やしないさ。死んだら終わり。俺という存在は一欠片も残らずに消失しちゃうんだ。怖いよねえ、存在が消えたら俺が生きてた証拠はどこに残るんだろうね。あ、皆の心の中に、とか言ったら笑うよ?誰かが俺を覚えていたとして、それは俺じゃない。そいつの人生の中の脇役としての俺だ。所詮、主観なんて本人しか持ち様がないんだ。死はそういうものを根刮ぎ奪って行くのさ。そこに同情的余地なんて、一切無い。だから俺は死ぬことが怖くてたまらない。できることなら俺という存在を未来永劫、この世に残しておきたいとすら思うね」
そこで彼女たちはようやく気が付いたようにぴくりと肩を揺らした。あの世を信じている、と言った女が目を細めながら俺を見る。
「あの、奈倉さんは…死ぬつもり、あるんですか?」
「ないよ?」
俺の即答に二人ががばりと立ち上がった。あの世については見解を異にした彼女たちも、思考行動は存外似ているらしい。いや、この場合あいつの方が幾らか可笑しいのか。俺は相変わらず無反応、無感動を決め込んでいるあいつをちらりと目の端に映した。彼女はじい、と俺を見つめてはいたがその表情には何も映ってはいなかった。ただ恐ろしく真っ直ぐな瞳で俺を貫くように見据えているだけだった。とても今から死のうとしている人間とは思えないほど、真っ直ぐに。きっと彼女はずっと、こんな瞳で死を見つめていたんだろうと、俺はぞくぞくと寒気に似た背筋の震えを感じた。


「し、信じらんない!…あたしたちを騙してたんですか?!」
「わたし、帰ります!」
「え、何で?」
とぼけた様な俺の返事に二人は顔を真っ赤に激昂させて、
「何で、?!」
「あんた、いい加減に、…っ?」
俺の眼前を、女二人がゆっくりと崩れ落ちて行く。俺はそれを黙って見ているだけだ。
――笑顔で。
けれどもう一人、彼女たちを黙って見ている奴がいた。ちらりと見遣った彼女のワンドリンクは一口も飲まれないまま、グラスに水滴を作っていた。床に伏した二人がどうにか顔を持ち上げて俺を睨めつける。4つの瞳は俺に対する憎悪に燃えていた。
「いいね、その目。俺を憎んでいるうちは、君たちは死なない。すごいな俺、君たちの命の恩人じゃん」
「あ、んた…さいっ、てい…!」
二人が完全に意識を失ったのを見届けて、俺は真正面に座る女を見た。さあ、お楽しみと行こうじゃないか。
「さてと。君は何でこんな集まりに参加しようと思ったんだい?本当に死にたいなら一人で首を吊るなり手首を掻っ切るなりして死ねばいい。その方がよっぽど合理的で何より手っ取り早いじゃないか」
「その人たち、どうするの?」
彼女は俺の問いなどまるで無視して、目だけで床に伏したままの女たちを指した。その仕草は、俺の声が聞こえていないんじゃないかと思うほどあまりに自然すぎた。仕方なく再び貼りつけた笑顔で答えてやることにする。自分のペースを乱されるのは好きじゃないけれど、延々とだんまりを決め込まれるよりはマシだ。
「いつもならそこら辺まで運んでもらうんだけどさ、今日はスーツケース持ってきてないし、放っておけばそのうち目覚ますだろうし。勿論その時俺は此処に居ないけどね。刺されでもしたら嫌だしさ」
「貴方に会いに来たの」
「…は?」
まるで会話が噛み合わない。矢張り、彼女はどこか狂っている。
「どうして此処に来たのかって云う話」
退屈そうに首を傾げながら彼女が言う。生きている時間すべてが、死ぬまでの退屈しのぎでしかないとでも云う様に。いや、恐らくきっとその通りなのだろう。死を見つめ始めたその時から、対極にある彼女の生への執着はことごとく潰えたに違いない。ならばますます疑問に思う。それほどまでに焦がれた死の機会を、こんな薄っぺらい場で実現することは、彼女にとってどんな意味があると言うのか。
「それは光栄だなあ。でもどうして?」
また脈絡の無い返事がかえってくるのかと身構えたが、彼女は部屋の隅を見つめていた視線を俺に向けてその小さな口を開いた。そうして紡がれた言葉は、至極真っ当で、そしてあまりに狂っていた。
「貴方の書きこみを見た時、この人は死ぬ気などないとすぐに分かった。そしてきっと、此処に集まる人たちが彼女たちの口で言うとおり本当に死ぬわけなんかないと考えていると思った。そう思った時、わたしが感じたのは強い不快感と高揚感だった。口先だけの自殺志願者が本当に死ぬわけがないと高を括っている奴の前で死んでやる。これほど面白いことはないわ!わたしが目の前で死んだ時の貴方の顔を見られないのは残念だけれど、とにかくわたしは貴方の前で死ぬために此処に来た。だって幾ら長生きしたって死ねるのは一回きりなんだもの。面白くなきゃ損じゃない!貴方もそう思うでしょう?」
そうして俺を正面から真っ直ぐに見据えた彼女は恍惚と頬を緩ませて、
「ねえ、折原臨也…さん?」
今日此処で一度も名乗っていない俺のその名前を、彼女は確かに呼んだ。

不自然な静けさを笑った彼女がその胸にナイフを突き立てる

101222 嘲笑う被害者
silencio様に提出。
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