彼女の思い付きで閉館間際の小さな水族館に掛け込んだ。館内は巨大な水槽にその全部を吸い取られてしまったように無音だった。てててっとこちらも吸い込まれるようにして走っていった彼女がその水槽の分厚い硝子に手を置いている。俺はやけに深く沈む足元を見下ろしながらその後を追いかけた。
「辰也っ辰也っ」
別にひそめる必要はないのに変に小さな声で俺を呼ぶ彼女が可笑しい。
「何、どうしたの」
「見て見て、目の無い魚」
彼女が指す先には確かに目玉の見当たらない奇妙な魚が悠々と泳いでいた。眼が無いだけなのにそのうすぼんやりとした色素の身体はとても異様だった。
「これは…ちょっと気持ち悪いな」
「そう?洞窟で過ごすから目は必要ないんだって」
小さいとはいえ水族館。色とりどりの熱帯魚や人間なんて敵いそうもないくらい大きな魚も見られる。なのにその中からあえて目玉の無い魚を選ぶ彼女はきっと少し変わっているのだ。

「目がいらないから無くなったなんてすごく合理主義」
「あいつらは何も考えていないと思うけれどね」
「でも、わたしもそうなりたいな」
硝子に手を置いたまま、彼女はぽつりとそう言った。同じようにすれば彼女の言うことが分かるだろうかとその後ろに立って彼女の手の上から硝子を撫でる。
目玉に鱗を生やした魚たちは俺たちに気付かずに硝子の向こうの水槽を洞窟と思い込んで泳いでいる。彼らに目がないのなら、ここに居る理由は何だろうか。俺の顎の下で彼女の小さな頭が少し前に傾いだ。
「もしもね辰也がわたしの隣から居なくなったら、わたしも目なんていらない」
「…」
「辰也が見えない目なんて、いらないの」
ごつん、と彼女が水槽に額を預ける音がした。そんなに強くぶつけたら、赤くなってしまうのに。水槽に置いていない方の手を目元へ伸ばして伏せているその両眼を覆う。俺よりもずっと長い睫毛が手のひらを擽った。

彼女はいつもそうやって俺に枷を嵌める。細い細い糸で俺を繋いでいようとする。そんなことしなくたって彼女を手放してやるつもりはないけれど、それで彼女が目を開けていられるのなら俺は大人しく彼女に捕えられているふりをするのだ。

あの目の無い魚はここが洞窟ではなく大きな明るい水槽だと知った時、目玉を欲するだろうか。それとも必要ないと拒むだろうか。彼女曰く合理主義の彼らは、そんな質問を与えられることすらなく故郷とおなじ水の中をただ揺蕩っている。

121013 海を拒む魚
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