ローレンの夜列車 - 花売りのパレード

目の前に騎士が居た。と言っても別に比喩的な、騎士と書いて白馬の王子様と読む類のではなくて、鎧甲冑に帯剣をした中世の重装騎兵のような格好の。動くたびガシャンガシャンと喧しい音を立てる鉄の塊から時折覗いて見える髪はその重厚な装いに似合わず艶やかな金髪にも見えたし、単にそれはわたしがそうであって欲しいと思ったせいなだけかもしれなかった。
いつもの癖で埒も無くだらだらした思考を巡らせていると不意に騎士がこちらに向き直った。その頭は鎧兜で隠されているのになぜだか目が合った気がする。反射的に口を開こうとしたとき、どこからか鋭い冷気がさああっと流れてきてわたしは思わず身をすくめた。そうして騎士様は白く靄のかかる世界のなかを――

「…ケンくん寒い、なんで開いてるのそこ」
「起き抜けの台詞がそれかよ」
「だって寒くて起きたから」
冬の一歩手前のような気の早い空気がベランダの窓から吹き込んでいる。思わず肩を揺すると、掛かっていたブランケットがずるりと滑り落ちた。これも彼の仕業なのだろう。
「いい加減机で寝る癖直せば」
「んーちゃんとベッドに行くつもりだったよ」
尚もお小言を言いたげなケンくんはマグカップ片手にベランダの窓を閉めている。リビングのローテーブルに突っ伏して寝ていたせいで変な風に固まってしまった身体をバリバリ鳴らして、ようやくわたしは自分がさっきまで枕にしていた本のタイトルをなぞる余裕を持った。チョーサーのカンタベリー物語。
「…どうりで」
「何が?」
ケンくんがマグカップを持ったままやってきてわたしの背もたれに甘んじているソファに座った。そうだ、せめてソファで寝るべきだった。何だってこんな狭苦しいところに挟まってあんな夢を見ていたんだか。ケンくんは両の足で少し低い位置にいるわたしを挟み込むように座ってこちらの手元を覗き込んでいる。頭の斜め上の方でコーヒーの香りがまだ肌寒い朝の空気をふわりと染めるのがわかった。
「ん?あれケンくん学校は」
「今日は午後から」
「そっか今日木曜日か」
頭を振ると、ケンくんの手が後ろから伸びてきてローテーブルへマグカップを置いてゆこうとしたので、中継地点で受け取ってそのまま口へ運んだ。ケンくんは特にノーコメントでわたしの頭の上で本を広げ始めている。わたしたちが例えばお揃いのマグカップを特に欲しいと思ったりしないのはきっとこんな風に好みが似ているせいなのだ。
さてケンくんが勉強読書を始めてしまったので暇を持て余すわたしは夢占いなどに興じることにする。同門とはいえ深層心理学は専門外だけれどこの際仕方が無い。体育座りをしたわたしの足に触れそうな距離にあるケンくんの裸足の指先を、半分無意識に撫でながらわたしは分厚い本を開いた。ケンくんが溜息をついたような気がしたけれど、きっといつものことだろう。

カンタベリー物語はその名の通り物語集である。医者や大工、免罪符売りに宿屋の主人、目まぐるしく変わる話し手とその物語のなかで、はじめの語り部として物語の口火を切るのが騎士だった。二人の騎士が牢獄から美しい娘に恋をする話。シェイクスピアの戯曲にもなった悲喜劇ともロマンス劇とも言われる悲しくも美しい物語だ。

「…あのさあ」
語り部が二番手の粉屋に移ったところでケンくんがわたしを呼んだ。首をひねって後ろを向くと彼はもう本を読んではいなくて、小難しそうな顔をした医学書は読んだ頁を開いてソファの脇に伏せられていた。本が悪くなるから駄目だといつも言っているのにケンくんは聞きやしない。
「オフの日くらい文字見るのやめれば」
「だって、落ち付く」
「…活字病」
「なんとでも」
ううーんと伸びをした手の指がケンくんに捕まった。後ろ向きのままソファに肘をついてケンくんの低い体温を撫でながら、なおもわたしは考えていた。あの騎士があれからどうしたのか、誰かを救いにゆくのか、それとも何かを討ちにゆくのか。一度考え始めるとそればかりなのはわたしの悪い癖なのだ。

金髪の騎士に引きずられる思考を引っ張り上げたのはこちらも金髪の。けれども残念ながらこちらの王子はいま大層機嫌が悪かった。
「ごめんケンくん拗ねないでよ」
されどその理由が分からないほど彼を知らないわけでもないので、わたしは本を閉じて首に回ってくる腕をそっと撫でる。今日のケンくんの服は袖が長くて指先がちょこんと出ているだけだったので、第二関節まで引っ張り出して自分の指を十本絡み付けた。
「そーゆーとこ、ムカつくんだけど」
「えーひどい」
「何でいつも俺が言えないこと簡単に言えんの」
ケンくんの呟きが耳元で散らばって、それからすぐ首筋に唇の熱を押しつけられる。わたしと絡まったままの手の甲がコンコン、と分厚い本の背を不機嫌な様子で叩いた。思わずクスリと笑うと不機嫌オーラを増幅させた王子がぐい、とわたしの上半身を引っ張って、反転した世界に彼だけが映る。その目は嫌に熱を帯びていた。
「…ねえケンくん、学校」
「今日休み」
「嘘言わないで」
「負けたままってのは性に合わねーの」
憎まれ口を叩きながら下りてくる唇を受け止めて顔にかかる金糸ごと口付け返すと、どうやらそれは彼の自尊心を大いに逆撫でしたらしく、途端に獰猛な目つきと笑みで喉元に噛みつかれた。裸足の指先が器用にわたしの腰を引き寄せる。膝の上の物語集が、鈍い音で床に転がった。
「ケンくんは、騎士には程遠い」
「本の読み過ぎじゃねえの」
そうしてお喋りはお終いだとばかりにとびきり深く唇を犯されて、文字ばかりのわたしの世界が目も眩むほどの金色に染められてゆく。そうしてこのまま何も見えなくなってしまえばいいと思うほどに、わたしはその瞬間がいっとう好きなのだ。

121023 花売りのパレード
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