冷えるけれど少し出ておいでよ、と笑顔のマルコに腕を引かれて行ったのは庭に備えられた小さな厩舎で。

「ギャンビット!!」

「そう、懐かしいだろ、これからは僕が借り受けることになったんだ」

ギャンビット、駒を犠牲にする代償に展開や陣形を優位に進める為の初めの一手、そんなチェスの戦術に由来する名を冠した、少し身体の大きな尾花栗毛の牡馬。
調査兵団を希望していた彼女が与えた名前。記憶の中のナマエは今よりずっと幼い顔で照れながらも、それは嬉しそうに語っていたのが懐かしい。
気が強く訓練兵時代にはよく手を焼く姿を度々目にはしたが、まさにその名に恥じない、危険や困難を恐れない堂々とした一頭だった。

ナマエには内緒の話だけど、借り受けることになったというのは本当は嘘。
実を言うと、憲兵という職業柄、兵団全体の管理だか何だかで名簿やら物資の書類整理と、言わば雑用だけど、そんな仕事を上官から言い渡された時に偶然見付けたその名前に目を引かれた。
別に誰に迷惑が掛かる訳でも無いからと、つい少しの出来心で一頭の馬の所属兵団を書き変えておいてみたのだ。
あんまり信じてなかったけれど、これは幸運な運命だと思ってしまったのだ。

「ねぇ…そういえば、ギャンビットはマルコのよく知る誰かさんに似ていると思わない?あ、見た目のことじゃないよ、確かに毛色とかはちょっと似ているけど、優しいのに中々近寄らせてくれない雰囲気とかさ」

「そうだね、じゃあ、僕からはその誰かさんにはそう伝えておくよ」

「絶対それ、怒るじゃないの!」

「僕の次の休暇にでも、噂の彼も誘ってどこか遠乗りにでも行こう」

ギャンビットが軽く嘶き吐かれた息は白く上がり、ナマエは冷えた鼻を少し赤くしていた。
小さなカンテラの柔らかい灯りに照らされ、返事代わりに笑っったことによって、彼女のくしゃりと歪んだ目元に出来る影が何とも暖かくて、そしてどうしようもなく愛おしい。



(その頃合にはもう少し、暖かくなれば良いと思った。)