is not life, is not loyalty
扉を開けると、そこはほのかな暗闇に包まれていた。
直径10メートル程度の円形の窓の無い部屋である。床は石材で、歩くとブーツの底がコツコツと音を立てる。その中心に一つ置かれた燭台、その傍らに一人の男が跪いているのが蝋燭の炎に照らされて見えた。近づくにつれて低い祈りの声が聞こえて来る。
「…神に祈りを?」
こちらを背を向けている男に無意識に冷笑を含んだ声で問い掛けると、彼は祈りをやめて振り向き、涼しげな微笑を浮かべて「ああ」と答えた。
「全く神には感謝しているんだ。我らが父は我らに素晴らしい試練を与えたもうた」
「超えがたい試練をな」
「超えてこそ試練だ」
「そうだな。超えてやろう。そうすれば神も文句は仰るまい」
正面に立って腰に差した剣を鞘ごと抜き取ると、男は恭しく頭を垂れた。
二人は幼馴染である。ほんの小さな頃から10年に亘って同じ師に習い剣を学んできた。兄弟のように親しく育ち、実の家族よりも長い時間を共にして来た、誰よりも気のおけない相手である。
しかし己に跪く相手の姿を見るのは男にとって初めてだった。
「…契りの前に言っておきたいことは?」
柄を相手側に向けてその肩の上に剣を乗せながら尋ねる。彼は微かに身じろいでから、悪戯っぽい上目遣いを寄越した。
「畏敬の念を込めた神への罵詈雑言は先程済ませた」
「それは普通呪いという」
「似たようなものだろ?」
「非国民め」
誰かに言われた口調を真似して罵ると彼は忍び笑いを漏らし、それからふっと優しげな表情になって、
「サノーシャ」
と一言呼んだ。
その後に続く言葉が無いことはわかっていた。黙って頷き、姿勢を正して立つ。
「剣を取れ」
男は柄を握って鞘から一息に剣を抜き取った。蝋燭の光を反射して刀身がきらきらと光る。その刃を迷うことなく己の左手の甲へと滑らせると、男は手を掲げて血の流れる様をこちらへ示して見せた。
「その血を我に捧ぐことを誓うか」
暗記した文句を唱える声は少し震えた。
「誓います」
左手を掲げながら、男は凛と答える。
この国、この国の民が信仰している神の御許において、同じ魂の入れ物を持つ存在、即ち同性を愛することは重大な罪だ。それは自然の摂理に背くこと、神の作りたもうた人間からの逸脱であり、死に値する裏切りである。
誰にも咎められることなく人生を共にするには、騎士の契りを結ぶほかない。主に永遠の忠誠を誓い命を捧ぐという誓いを。
しかし、騎士は二度と主人の名を呼ぶことは許されない。触れることも、笑い合うことすら。
「その忠義を我に尽くすことを誓うか」
「誓います」
「では最初の命令だ」
「何なりと」
「…早くその傷の手当てを」
「貴方は騎士に対して甘すぎます、サー。それより涙を拭われるのが先かと」
苦笑して腰を上げたその騎士は、決してその指先で頬を拭ってくれることはない。本当に望むものだけは生涯手に入らない。
近くて遠い、永遠の伴侶。
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