魔王と勇者

おうさま「それでは ゆうしゃよ かならず まおうをたおしてくれ きたい しているぞ!」





 夜、空の色が限りなく闇の色に近くなる時が一番、散歩には向いている。
 さながら夜型の猛禽類のように、音を立てずに地上600メートル程の高さで滑空する。人里は活発な昼間に見るよりも明かりを灯す時間帯になった方が数がわかりやすい。頭上に広がる夜空にはまばらに星が瞬いているが、人間の明かりは身を寄せ合うように密集し、惨めに闇に怯えているように見える。
 また人家が減った。
 ぐるりと王国の上空を旋回し、マントの裾を翻して空を滑る。息をひそめ眠りに就く人間とは逆に、黒々と広がる森の中では昼間よりも生き生きと獣たちが動き回っていることだろう。王国の城から遠く離れ、険しい谷を越えた先に、尖塔の先を雲間に突き刺すもう一つの城がある。

 現在寝ぐらにしている建造物はかつて栄えた王家の城だった。しかし旧王国の三代目の王は無能で、やがて国は貧しくなっていき、国民の反乱を恐れた王は城の門を閉ざして家族と共に国外に亡命した――と伝えられている。その後この地には新たな国が興ったが、旧王家は魔法使いの血筋でもあり、彼らが施していた魔法によって城の門戸はどうしても開くことができず、王城は他所で構えることとなった。
 華美なモノを好む主だったのか、城の壁や柱には随所に精緻な彫刻が施され、天井に描かれた絵画には宝石が埋め込まれている。天井なぞ生活していてそうそう見る事はないだろうと思うのだが。
 扉の開け放たれたバルコニーに降り立ち、衣の裾を靡かせながら室内に入る。無駄に長い絨毯の先に鎮座する玉座に、見知らぬ顔が堂々と腰を下ろしていた。
「じいさんが魔王?」
 玉座の両脇の燭台に灯った炎に照らされて見える顔はまだ十代後半の少年のようだ。大剣を床に立てて柄に両手を重ね、その上に顎を預けるという気だるげなポーズである。重たげな剣先には血の染みが広がっていた。門番がやられたのだろう。
「そう呼ぶ人間もいるが、そんなおこがましい身分を名乗るつもりはない」
 答えながら玉座の前を素通りして扉を開け、廊下へ出ると、少年は平然と後をついてきた。剣を引きずって歩くので大理石の床と擦れてゴリゴリと耳触りな音を立てる。きっと線を引いたような傷ができてしまっているだろう――廃城がいくら朽ちようと構いはしないが。大広間へ入り、指を慣らしてシャンデリアに火を灯し、長机の両脇に並べられた椅子の一つに腰を下ろすと、少年は剣を床に投げ出して真正面の椅子に座った。
「客を迎えるのは久しぶりだよ、折角だから歓談でもしよう。コーヒーか紅茶か?」
「シャンパンがいい」
「贅沢なガキだ」
 空中からシャンパングラスとクラッカーの載った皿を取り出してずいと押しやると、少年はそれを一息に飲み干して、特に味についての感想を表情に出す事もなく「ところで」と口を開いた。毒が入っている可能性を考えないのだろうか。本来面を合わせるなり殺し合って然るべき二人だと思うのだが。
「教えて欲しいんだけど、あんたはどんな悪い事をしたの?」
「悪い事? 覚えがないな」
「だってみーんなあんたを憎んで死んで欲しがってるぜ? 諸悪の根源なんだって」
「初耳だ」
「俺みたいな『勇者』が会いに来たのも初めてじゃない筈だけど?」
 首を傾げて少年は言う。
「…『勇者』は来たが、お前みたいなのは見たことがないよ」
 苦笑で応え、チーズを挟んだクラッカーをつまむ。少年もつられたように手を伸ばした。
「若いだろ? 優秀なんだ」
「若いのもそうだが態度がクソ生意気だ」
「国王に追われるような悪人に払う敬意は持ち合わせてないからね、まあ何をしたのか知らないけど」
「強いて言うなら特定の生き物に力をつけさせ、間接的に人間をたくさん殺してる」
 だが元々この地で暮らしていた生き物たちだ。人間が身を寄せ合って暮らすのと同じように、野や森、山や谷に己の住処を定めて暮らしていた。
 領域を侵したのは人間だ。旧国王の時代、この地は人間とその他の生物が上手に共存していた。だが権力を望む一部の家臣の陰謀によって旧国王は暗殺され、家族は命からがら国から逃れ出た。新王家は貿易の範囲を拡大したが、未開発だった野山に踏み込むようになったことで、魔物と呼ばれる生き物たちが人間を襲うようになった。
 しかし人間は知恵をつけ、発達した武器や防具を使って集団で魔物を狩る。魔物の牙や皮や臓腑は魔力を持っているから、それを使ってまた対魔物用の武器や防具が作られる。魔物は駆逐される一方となった。それを哀れに思って手を貸しただけのことだ。今や魔物は自由に闊歩し、現王国民を脅かしている。
「ふうん、そう。俺もいっぱい殺したよ。魔物って呼ばれてる生き物たち」
 再び満たしてやったシャンパングラスをちびちびと舐めつつ、少年は面白がるような口調で呟いた。
「惨い殺し方もいっぱいした。生きたまま焼いたりとか。でも人から感謝されるんだよな、俺は」
「それがお前らの正義だからな。殺しは楽しいか?」
「まあね。じいさんは独り暮らし?」
「獣を除けば」
「こんな城に堂々と独りで住んでたら魔王って呼ばれるのも当然だ」
「昔は家族も一緒によそで息を殺して暮らしていたが、みんなご立派な勇者様が退治してくれたんで唯一の末裔として祖先の遺産を引き取りに戻ったんだ。魔物狩りを装って旧王家の血筋を根絶やしにするのが現王国民の幸せに繋がるらしいな。俺が死ねば目標達成だよ、喜べ」
 腐った王家に直接復讐するつもりはなかった。このまま魔物の脅威に晒され続ければこの国は先細る。やがては絶えるかもしれない。そうして自分達が過去になしたことを悔いればいい。全て朽ちてしまえばいい。
「可哀想に」
 唐突に少年が立ち上がった。うろんな視線を向けると、つかつかとテーブルを回り込んですぐ横に立つ。宝石のような緑色の目が、きらきらと無機質に光を反射していた。魔物の甲殻で作られているらしい鎧の裾から伸びた細い手が伸びてきて、無遠慮に肩を掴む。
「俺も独りなんだ、家族はまあ、いるけどね。父さんは勇者だった。俺が生まれてちょっと経った頃に魔王討伐の道中で死んだよ。勇者の血を引く俺が跡を継ぐもんだってみんなが当たり前のように思ってた。赤ん坊の頃からずっと大切に大切に育てられてさあ、でもある日魔王を殺しに行けだって。逃げようとしたら母さんに通報されて捕まって国の兵士にボコボコにされたよ。恐かったなあ」
 回想する少年の口調はしかし、うっとりと恍惚を帯びていた。そっと頬に触れてきた掌は若い張りがあり、しんと冷たい。アルコールが回って錯乱している訳ではないらしい。
「みんな感謝はしても俺に必要以上に近寄りはしないよ。勇者の血筋って優秀なんだ、殺し屋の遺伝子が受け継がれてる。旅の途中で死ねるかもしれないと思ってたけど五体満足のままここまで来ちゃった。魔王を殺さずにのこのこ故郷に戻ったりしたら大勢の兵士に追われて殺されるんだろうけどね。ねえ、旧王家って噂では優秀な魔法使いらしいね? まあさっきから目の当たりにしてるから噂でもないよね」
 その通り、魔法が使えるゆえにこの距離なら自分は少年を一瞬で殺せるのだが、そんなことはどうでもいいようだ。
「ずっと考えてたんだ、勇者と魔王が組んだらどうなるだろう、どんなことができるんだろうって。それだけを楽しみに生きてきた。…ねえ、世界を征服したくない? 王国が憎いだろ? 理想の新世界を作って半分こしよう」
 それは魔王の台詞だろうと突っ込んでやりたかった。悪魔の誘惑。
「俺とお前を一緒にするな。可哀想なのはお前の方だ」
 皺だらけの頬を包む手首を掴んで呟く。あどけない彼の手からは色濃い血の臭いがした。
 世界征服になんて興味はない。余生は自分のエゴを貫き通してこの城でひっそりと死ぬつもりだったのに、夢見る少年の保護者などするつもりはない。
 そう、確かに思うのに、振り払うことができない。
「…迷うことなんてないのに、優しいんだね」
 ふと目を眇めて、少年は笑った。頬を包んでいた手が離れて行く。素肌にすうっとした感触を覚え、冷たいと思った掌にもきちんと体温があったことを知った。
「まあ作戦はゆっくり練るとしよう。泊まっていいだろ?」
「…どうぞ、部屋なら腐る程余ってる。ベッドはないが」
「ずっと野宿だったんだ、そんな上等なモノで寝たらかえって肩が凝るぜ」
 無造作に剣を拾い上げ、少年はとことこと妙に可愛らしい足取りで大広間を出て行った。ああ、どのタイミングで殺そうかと思っていたのにな、と姿が消えてから思い出し、しかし追う気も起きなかったので大人しくシャンデリアの火を消した。部屋は一瞬で真っ暗闇に包まれる。瞼を閉じても全く同じ光景が視界に映る。
 夜の散歩、眼下に見下ろす町に、明かりが一つもない夜。それはきっと絶望的で、この上なく美しい眺めだろう。

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