滝上宙の噂について

 金を払えばヤラせてくれるヤリマン。
 そう囁かれている生徒が、隣のクラスにいた。
 性欲も好奇心も旺盛な中高にはありがちな噂だろう。
 但し、我が校が男子高だという条件を除けばの話だ。

 男子しかいない高校内でそのような噂が立つからには金を払う側も受け取る側も男子生徒であり、ヤリマンというか正しくはヤラせてくれるヤリチンという事になるのか何なのかはよく解らなかったが、とにかくそれは『セックスさせてくれる女役の男子』を指した。
 2年2組、瀧上宙。
 宇宙の宙と書いてヒロと読む、そいつは特に女顔という訳でもなよなよしている訳でもない。華奢で体毛が薄いので中性的は中性的だが、白っぽい金髪をふわふわとワックスで逆立てている様はありふれた男子高校生の容姿だ。
 けれど彼には、確かに同年代の男連中とは違う何かがあった。
 簡単に言うなら、色気、なのだと思う。
 1組の俺は体育がいつも2組と合同なので、滝上宙の体育着姿を見ることは多かったが、白いすらりとした手足が倦怠感をまといながら動く様に、なぜかいつも惹きつけられた。
 滝上宙は自身にまつわるその噂を知っているのだろうか。
 そしてその噂は本当なのだろうか。
 無口でとっつきにくい滝上宙を遠目に見ながら、よくぼんやりと考えてしまう。
 男子校で欲求不満のあまり同性に性的な目を向ける輩は、珍しくはないがそこら中に溢れている訳でもなかった。少なくとも俺の親しくしている中にはホモはいない。それでも滝上宙の噂は耳に入ってきた。出所はわからない。実際金を払ったやつの存在も知らない。けれど、火の無いところに立つ種類の煙だとも思えない。
 男同士って実際、気持ちいいんだろうか。
 滝上宙の姿が視界に入ると、男の身体に興奮したことなんてないくせにそういうことばかり考えている。携帯でコソコソ男同士のやり方を調べてみたりもした。
 彼女はいないし、いたことがない。今後できる見込みもなかったので、欲求不満ではあったのだ。

 ある日の体育の授業で、俺がいつもペアを組む相手が欠席だったので、俺は余りものの滝上宙と組むことになった。
 基本的に滝上宙はつるんでいる相手というのがいない。そもそも誰かとおしゃべりしているのを見た事がない。すなわち俺もろくな会話をしたことがない。
 授業は今硬式テニスを教わっているところで、今回は2人1組でネットを挟んでの球の打ち合い、というか交互にサーブを打つだけの練習だった。片方がボールを飛ばし、片方が拾って、また飛ばす。
 こういうペア練習の時女子は割り合い、コントロールが利かなかったりラケットが空振りしたりというアクシデントがあってキャッキャと賑やかだが、男子は黙々と打つ。楽しむ気持ちよりも相手より上手くやろうという意地が勝つのだと思う。
 滝上宙はあまり力が無いのか単に打ち方が下手なのか(見ている限りではその両方っぽかった)、ボールがネットぎりぎりに落ちることが多かった。俺はその度にネット際まで拾いに行ってからコート外に出直して打っていたが、やがていちいち移動するのが面倒になり、ネット際から返してみることにした。
 同じコートを使って練習している生徒が何組かいるので、邪魔にならないようボールを拾ってすぐサーブの体勢をとる。球技は割と得意だ。くすんだ黄緑色の硬式ボールを垂直に放り投げ、ラケットを振る。
 ぱこっと気持ちの良い音を立てて、ボールはネットを飛び越えて行った。
 6月の終わり、梅雨を抜けてからりと晴れた空から過剰なまでに日光が降り注ぎ、誰もが心持ち目を細めたり顔をしかめて自分たちの球を追っていた。俺も目に染みるような青空に一瞬目を細め、瀧上宙に目をやると、瀧上宙の視線はボールを追わずに、ふらふらと漂っていた。
 あ、見えてない、と気付いた刹那、その頬に勢いよくボールがぶつかった。
「あ」
 俺は一瞬ぽかんとして、それから慌ててネットの脇を走り抜けて滝上宙に駆け寄った。滝上はちょっとだけ頬に手をやったが、それ以上気にする風もなく明後日の方向に転がって行ったボールを拾いに歩いていた。

「わ、悪い。保健室、」
「へいき」

 声を掛けるときっぱりとした言葉が返って来た。でも顔面に当たったじゃん。鼻血とか大丈夫か。本人が動じない分俺がオロオロする。

「じゃ、せめて顔洗いに行こうぜ」

 土で汚れているという訳ではなかったが何かしないといけない気がして腕を掴んで促すと、滝上宙は面倒くさそうな顔で視線を伏せた。が、そのままラケットを手放してすたすたと歩き出したので、俺も掴みっぱなしだったラケットを置いてついて行った。
 グラウンドの隅に設置された手洗い場まで来ると、滝上宙は蛇口をいっぱいに捻って水を勢い良く出し、おもむろにそこへ頭を突っ込んだ。俺はびっくりしてその様子を見守った。運動部の男がやるのはよく見るが、ワックスで髪をセットしているような見た目に拘っているやつがやるのは初めて見た。それなりに毛量があるから乾くのに時間がかかるんじゃないだろうか。滝上宙の金髪はふさふさのゴールデンレトリバーを連想させる。
 しばらくじっと水を浴びていてから、蛇口を締め、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて軽く水分を飛ばす。俯いたまま息を吐く、滝上宙のうなじは白かった。
 骨が細いんだろうな。人研ぎの流しの縁についた手から二の腕にかけての線がやたらに細い。俺は無意識に、同じように手をついていた。陽に温められたセメントがてのひらに熱い。

「滝上って」

 白っぽい金色の前髪の先からぽたぽたと滴る水滴を見つめながら、つい口走っていた。

「金払えば誰でもヤラせてくれるって本当?」

 滝上宙が顔を上げた。髪から垂れた水がいくつかの筋を作って顔の上をするすると流れていく。無感情な目が俺の目を見て、するりと俺の運動靴の足元まで滑って、また俺の目を見る。
 そして滝上宙は、唇を笑みに近い形にゆがめた。

「男相手に勃つやつじゃなきゃ無理」

 吐き捨てられた声は怖いくらいにひんやりしていた。
 わしゃわしゃと再び髪をかきまぜながら、滝上はくるりと踵を返し、来た時と同じ足取りでテニスコートへ戻って行った。
 俺は立ち竦んでそれを見送った。
 冷たいトーンの滝上の声が耳にこだまする。噂、否定、しなかった。じゃなきゃ無理、ってことは、であれば可、ってことで。
 一瞬、滝上が前髪の先から汗を垂らし頬を紅潮させながら組み敷かれる、その生々しい画が頭の中に浮かんでしまった。ああもう完全に、甘ったるい声で喘ぐAVの中の女とあの同学年の男子が重なっている。

「どうしよう、戻れねえ」

 ハーフパンツの股間を意識しながら、流しに手をついた姿勢で呻く。後頭部がじりじりと日に焼かれて、身体全体が熱かった。

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