アッチェレランド ヴォルティ・スビト

 思いっきり振り切った竹箒の柄は見事に白球を捕らえた。ボールを視線で追って色の濃い青空を仰ぎ、「ホーッムラン!」と野球部の友人が叫ぶ。体育の授業で片付け忘れられたものなのだろう、土に汚れたソフトボールは無人の校庭に着地してころころと転がって行った。試合終了を知らせるように掃除時間終了のチャイムが鳴った。
「今からでも野球部入ったらあ?」
 ちりとりを拾い上げて駆け寄って来ながら言われて、美野里は苦笑を漏らした。
「入れるもんなら入るわ」
「入れるべ? 美野里足速いし」
「残念ながら俺がスイングすんのはバットじゃないんだなー。ちょっとこれ一緒に片付けといて」
「おー。部活?」
「うん。ばいばい」
 竹箒を押し付け、外履きを上履きに履き替えて出入り口から校舎内に戻る。昇降口に放り出していたスクールバッグを拾い上げて、一段飛ばしで階段を駆け上がる。
 夏の日は長くて、放課後になっても校庭には日差しが降り注いでいた。暑くて億劫なのだが一旦身体を動かし出すと汗をかくのが気持ち良くて、中学の頃は夏の野球部の練習が好きだった。今でも運動部の練習に混ざりたいなと思うことはある。部活の時間帯、廊下に突っ立っていたり、教室で窓際に座っている時に目に入る練習風景は、きつそうではあるが確実に達成感を与えてくれていることを知っている。
 それでも、今日も階段を駆け上がって向かうのは、吹奏楽部の部室だ。

 音楽準備室を開けると、野萩がマウスピースを咥えているところだった。
「こんちはー」
「こんにちは」
 挨拶を交わしながら棚に向かって黒いレザー張りのハードケースを取り出す。音楽準備室にはまだ野萩しかいなかった。床にケースを置いて蓋を開けると、内部の溝に沿って金色の楽器が収まっている。少々年季の入ったそれはこの高校で代々受け継がれているものだ。正直見飽きた。上からマウスピース、ネック、本体、と分かれた部位のマウスピースだけを取り出しながら、びーびーと音を立ててマウスピースを吹いている野萩を振り仰ぐ。
「先輩、先輩はどうして野球部とかテニス部とかバドミントン部とかせめて卓球部とかじゃないんですか」
「それはロミオとジュリエット的な問い掛け?」
 きょとんとして野萩は言った。銀フレームの眼鏡はいかにも真面目な文化系だし、色が白くて細い野萩は、たぶん高校入学時に運動部なんて検討すらしなかっただろう。
「違います。最悪でも軽音楽部とかがよかったと思いませんか?」
「意味がわかんないよ。うちの高校軽音部なんかないし。俺はサックスが好きだし…あ、割れてる」
 ケースからネックを取り出したところで気づいたらしく、マウスピースの先端の割れたリードを取り換え始めた。
 リードね、リード。こんな人差し指の第二関節くらいまでの大きさしかない薄っぺらな木の板が1枚100円以上して、しかも同じ箱の中で当たり外れがあるというのだからバカバカしい。それでもって歯でちょっと先端を割ってしまっただけで新しい物に交換しなければならない。しかし文句はぐっと喉の奥に押し込める。野萩が木の板を口に含んで湿らせる仕種を、ついついじっと見てしまった。
「美野里はどうして運動部じゃないの」
 楽器を組み立てながら野萩が言う。ネジを緩めて、締めて、コルクを穴に捻じ込んで、首にストラップをかけて、という一連の動作を、マウスピースを咥えながら眺める。毎日繰り返す面倒な細々とした作業は、野萩がやっていると優雅で儀式めいたものに見える。お茶を点てる点前のような。楽器に限らず、道具を扱う手つきに慈愛が滲んでいる人というのは、ああ好きなんだなと言葉にするより如実に解る。
「いかにも運動ができそうなのに」
「自慢じゃないですけど超運動できますよ俺」
 といって特に何の競技に秀でているという訳ではなく、なんとなくどれもこなせる、という浅く広いタイプだが。
「でしょ。美野里みたいなタイプは珍しいよね。女子はまた別だけど、男子は運動部に入りたくないから消去法で吹奏楽部選ぶ人多いじゃん」
 吹奏楽部は男子が少ない。比率でいうと3:1といったところだ。数少ない男子勢は確かに野萩のような大人しそうな文科系か、さもなければ音楽オタク。女子も含めて部員総数50名強の中に校則を破って髪を染めている生徒なんて一人もいない。正直言って美野里からしたら吹奏楽部員はノリが合わない。
「なんで運動部じゃないんだろうって自分でも思います」
「不思議だね。じゃあどんな気持ちで入部届け出したの」
「入部届け出した時は、そうするしかないって思ったんですよね」
「よくわからないけど運命的じゃない」
 笑った野萩の身体の前に、テナーサックスが完成した。長さ80センチちょっとあるそれは身長160センチ強の小柄な野萩が持つと殊更ずっしりと重たそうで大きく見える。こうして抱えて立っていると何かの兵器のようだ。実際この楽器に撃ち落とされたやつがいる。
「運命的だったんです」
 自分の楽器を組み立てながら頷く。
 運命的だと思ったんです、あの時は。

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