レッドレター・サマー

"はるさんて夏休みあるんです?"
"夏休みはないけどお盆休みはあるよ"
"いつからいつまで?"
"今年は11から15までかな。五連休"
"みじかっ!!"
 会社員にとっては五日連続の休日なんてものすごく貴重な連休なのだと大学生の彼に伝えたら世を憂えるだろうか、と思いつつ、明かりの落とされた昼休み中のオフィスからLINEに返信する。盆休みとは呼ばれるもののつまるところは有休消化推奨期間で、家庭持ちでかつ家に居場所のない同僚などは仕事もないのに出社していたりする。社会人の夏は気怠く儚い。
 夏休み。なんて懐かしい響きだ。
"里帰りとかするんですか?"
"14、15はね あとは空いてるよ"
"じゃあ11〜12日で映画マラソンしましょうよ スターウォーズとかジュラシックパークとかのシリーズもの、徹夜してぶっ続けに観るの"
"なら前におすすめされたヒーローもののシリーズがいい"
 いつか観たいと思っているうちにどんどん作品が増えてとても手をつけられなくなり、まだ一つも観ていないから。すると飛び跳ねているネコのスタンプが返ってきた。
"いいですよ! ディスク持ってるので"
 そしてまた吹き出しが増える。
"はるさんの家でいいでしょうか??"
 思わず「あっ」と声を発すると、隣のデスクで突っ伏して昼寝している同僚がうるさそうに身じろいだ。
 そうか泊まりに来るのか。家に上げたこと自体は何度もあるが泊まりは初めてだ。そもそも親を泊めたのと酔い潰れた友人を寝かせてやったのを除けば人を泊まらせたことがない。どうお構いしたものか。
 ぐるぐると思考を巡らせながら、サムズアップのスタンプを送り返す。とりあえずジュースとお菓子を買おう。あと、ひとりだと4分の1玉でも持て余すスイカも。そんなに構えることはないだろう、相手は青井だから。


 11日の昼過ぎ、鮮やかなオレンジ色のTシャツに黒いリュックを背負った青井が元気いっぱいにやって来た。先週友達グループ十人以上の大所帯でプールに行ったと聞いていて、肌が予想通りにこんがりと焼けていた。
「いっぱい寝ましたー?」
「うん、まあ。何作品あるんだっけ?」
「ディスク出てるのは14個かな?」
「えー……見切れなくないか」
 1作品2時間という単純計算をしても28時間――さすがに起きていられる自信がない。
「たぶん全部は無理ですね。まあ観てくださいよ、初心者向け俺のおすすめ鑑賞ルート用意しましたから」
 夕飯には既にピザを注文してあったので、あとはソファに並んで座ってひたすら映画を観るだけだった。3本目の途中でピザを食べた後にはスイカも切り、青井はその後持参した缶ビールを開けた。菅谷も勧められたがアルコールが入ると眠くなってしまいそうで遠慮した。あいにく日常的に遊びや勉強で徹夜していた年齢から脱して久しい。
 ヒーロー映画はなんといってもテンポがよく、緩急があり、そしてところどころでふっと眠くなってもついていけた。『おすすめ鑑賞ルート』は全作品を時系列順に追っている訳ではないのでところどころで青井の「今のはこういうことです」「あのキャラは後でちゃんと出てきます」という説明が入り、その熱の篭った声色やもう観たことがあるはずのシーンに対して上げる笑い声や悲鳴に、ああ大好きなんだろうなーと思う。横で彼が嬉しそうにしているだけで楽しい。
 コミック原作のシリーズは子供向けだとかヒーローがどうこうというよりは構成する作品の数が多すぎるという点に抵抗があって観ていなかったが、当然世界的にヒットしているだけの理由はあって、あっという間に朝7時を過ぎて8作品を観終わる頃にはすっかりその世界に引き込まれていた。劇場で観ていたら次の作品の公開を待ちわびて待ちわびて何年も過ぎただろうから、一夜でこれだけ一気に観賞できるなんて贅沢なものだ。
「どうでした?」
 流石に眠そうな顔をしながらデッキからディスクを取り出した青井が尋ねる。ここでとりあえず眠って、起き出してから時間の許す限り残りの映画を観ようということになっていた。本当はきちんと感想やどのキャラクターが好きかという話をしたかったが眠気がずっしりと伸し掛かっていて頭が回らず、「思ったよりかなり面白かった」というシンプルな答えしか出て来なかった。青井は見終えたディスクをテーブルの上に積み、「よかったー」と笑う。
「早めに起きたらあと2、3本見れるかな」
「観たいですね」
「シャワー浴びておいで、タオル用意してあるから」
 その間に飲食物の片づけを済ませ、普段菅谷が寝ているベッドの傍らの床に客用の布団を敷く。青井はシャワーから出ると真っ赤なTシャツにスウェットのショートパンツという寝間着に着替えていた。入れ替わりで菅谷もシャワーを浴びて戻ると、年下の青年は居心地よさそうに布団の上でごろごろしながらスマホをいじっていた。剥き出しのふくらはぎに蚊に刺された痕があった。
「髪乾かしたの?」
「軽くドライヤーしたんで大丈夫でーす。ありがとうございます」
「歯磨きは?」
「あ、してない」
 流しに並んで立って歯を磨きながらあくびをすると、つられたように相手もあくびをする。外からはセミの鳴き声が聞こえる。
「はるさんて仕事で外出ることはないんですっけ」
「ないな。通勤時間帯は朝も夕方もちょうど日差しが弱い頃だからかろうじて生き抜けてる」
「ほんと人間の出歩く温度じゃないですからねー今の時期の野外」
「でもプール行ったんだろ?」
「そうですね。暑いのやなんですけどね、テンションは上がりますよね」
 寝ている間は冷房の温度はやや高めに設定し、扇風機で風を作ることにする。世間がこれから活動を始めるという時間帯に眠りにつく背徳感は久々だ。強張った身体をベッドに横たえるとほっとした。何時に目覚ましかけようか、と枕元の目覚まし時計を手に取りながら話しかけようとしたとき、青井が「はるさん」と言った。
「なに?」
 水かなにか飲みたいのかなと思いながら(好きに冷蔵庫からとっていいと伝えてはあるが)肘を立てて身体を持ち上げると、いつの間にか立ち上がっていた青井がベッドの縁に座った。手が手の上に重なって、その熱さに狼狽える。髪の毛がほんのり湿ったままの青井が、何か言いたげな目をして見下ろしてくる。
 ――そう、なんとなく直視せずにいたが、たぶん俺たちは付き合っているはずで、これは初めてのお泊まりだ。電気は消してあるが、カーテンを越しに陽光が差し込んでいる。
「キスしていい?」
 随分と沈黙していた後に尋ねてくる。「うん」と答えた。唇に唇が触れ、感触を覚える間もなくすぐに離れる。そのまま青井はぱっとベッドから降り、毛布の中に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
 そう返しはしたが、たぶん眠れない。聞こえないようにゆっくりと息を吸い込んで、同じ速度で吐き出した。徹夜をしてあんなにくたくただったのに、ほんの短い間に完全に目が覚めてしまった。夏だ、と漠然と思った。

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