生活とお前

目を覚まして最初に感じたのは、人のにおい、だった。
一人暮らしの馴染んだ我が家に混じる他人の体臭。いや、よく嗅ぐと煙草の臭いだ。細くかおるその匂いが、違和感を持って嗅覚を刺激した。
うっすらと目を開けると、陽光が寝起きの眼に突き刺さる。何度か強めの瞬きを繰り返してから薄目で視線を投げると、一年365日中大抵閉め切られているベランダに続くガラス戸のカーテンが開け放たれているのが見えた。
呻きながら身体を起こした瞬間、腰に疼痛が広がった。歯を食いしばって身体を持ち上げ、脚を床に投げ出して背面に体重を預ける。どうりで寝苦しいと思ったらソファで眠っていたようだ。少し離れた所に延べられた布団に目を遣るが、昨夜一緒に部屋へ入って来た筈の人間の姿は見えない。
雑然とした部屋に差す日の光の中を、きらきらと細かな埃が舞うのが見える。埃の割に綺麗だなあとそれをぼんやりと眺めていてから、ふとベランダに視線を流したが、そこにも人の姿は認められなかった。
「…はるきー?」
ソファの背もたれから重い身体を引き剥がすことができないまま、特に声を張るでもなく呼んでみた。洋服やCDや雑誌などを置いているロフトが頭上にあり、あとはソファのあるこの部屋と、扉で仕切られた向こう側に申し訳ばかりのキッチンとユニットバスと玄関があるだけの狭い家のことだ。家の中のどこかにいれば声は届いただろうが、あいにく返事はなかった。
「何も言わずに帰るかねえ…」
独りごちながら気力を振り絞ってソファの上を離れる。ロウテーブルの上に放り出されていた腕時計を見ると、時刻は正午に近かった。昨日バイトの飲み会で二次会まで行って解散して、家に着いたのは何時だったっけ…。少し寝過ぎたようで頭がどんよりと重い。
室内に籠った濁った空気と薄く残る煙草の臭いを外へ逃そうと、ベランダに面したガラス戸を引き開けた瞬間、足下に蹲るものに気付いてぎょっとした。ペンキの剥げた柵にしがみついて額を擦りつけるようにして、斉藤がしゃがみこんでいた。ベランダのガラス戸は下半分がすりガラスになっていたので気がつかなかったようだ。
「いたのかよ」
声をかけると首だけ振り向いた斉藤の口には煙草があった。室内に残っていたというよりガラス戸の隙間から室内に忍び入っていたもののようだ。
「腹減った」
眠そうな目をした斉藤は開口一番そう言った。何故か素肌に吉田のパーカーを羽織って吉田のスウェットを穿いた姿だ。貸した覚えはないので勝手に漁って着たらしい。
「飯食いに行かねえ?」
煙草の火をベランダの床で捩じり消しながら斉藤が言う。吉田はサッシにもたれ掛かりつつ呻いた。
「うーん。腰痛い」
「俺も痛えけどさー。この家食べる物あんの?」
「んー……インスタントラーメンと納豆しかないや。あとさきいか」
「米は?」
「あのー…チンするやつならある」
「ふたりぶん?」
「多分」
「じゃあ納豆ご飯でいっかー」
柵を頼りにどっこいしょと億劫そうに立ち上がり、斉藤が吉田の横をすり抜けて室内に入って行く。なんとなく首を捻ってそれを見送り、ベランダに顔を向け直すと、物干し竿にぶら下がったピンチハンガーに斉藤のシャツとジーンズと、吉田のサルエルパンツが並んで干してある。ふと自分の下半身を見下ろすとパンツ一丁だった。むしろなんで下着だけは穿いてんだ。
…昨日、服汚すような事何かしたっけ。部屋に連れ込んで早々布団に押し倒したのは覚えてるけど、服はちゃんと…脱がせた記憶がある。
「お前ん家本当に何もねーな」
責めるような声に振り向くと、斉藤は冷蔵庫の横の棚を漁っていた。そこにはインスタント食品しか置いていない。基本的に食料を蓄えておく習慣がないのだ。冷蔵庫に納豆が入っているだけ珍しいくらいだ(因みに賞味期限は保証できない)。
「だってあんまり帰ってこねーし」
「醤油もないんじゃ話にならない。コンビニ行ってくる。近くにローソンストア100あったろ」
何やらスイッチが入ったらしい斉藤は、颯爽とパーカーのファスナーを首元まで引き上げると、床に投げ出してあった自分の鞄から財布だけ掴み出して玄関に向かった。
「あ、俺行くよ」
心なしかよろよろした歩き方を見て慌てて声をかけたが、「いい、いい」と斉藤はそのまま裸足にスニーカーをつっかけて出て行った。吉田は後を追おうか少し迷ってから、結局髪の毛をかき混ぜながらトイレに向かった。その間にタオルを替えておこう。一応客人だからな。

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