わるいあそび

 自動ドアの開く音に、木原が反射的に「いらっしゃいませー」と言いながら顔を上げると、作業服の男性四人組がぞろぞろと店内に入って来たところだった。
 最近よく見掛ける薄いブルーグレーの作業服。胸元に『金原電気』という社名が刺繍されている。近くに現場があるらしく、飲み物や弁当、プラス煙草をよく買って行く男たちだ。
 時刻は正午に差しかかろうとしているので昼食の調達だろう。大通り沿いで駅からは少し距離のあるこのコンビニは、朝夕は多少混むが昼時は割合閑散としているので、四人組の来訪で店内は一気に賑わったように感じられる。カップラーメンの棚やおにぎりの棚にぞろぞろと散るのをちらりと眺めてから、木原は手元に視線を落とし、割引クーポンの裏側に日付のスタンプを押す作業に戻ろうとしたが、
「お兄さんさあ」
 突然間近から囁き声を掛けられてぎょっとした。レジ前を通過して奥の棚へ向かったと思っていた男の一人が、レジ台に肘をつき木原の顔を下から覗き込むようにして話し掛けて来ていた。
 年齢は見たところ30代前半か、こざっぱりとした短髪で、目鼻や口の大きい濃い印象の顔の男だ。何度か来店している筈だが今まで会話をしたことはない。
「アイハラハルカに似てるって言われない?」
 仲間に聞かれたくないのか、声を潜めて男は続けた。木原はぽかんとした顔をしてから微かに眉根を寄せた。
「誰すか、それ」
「知らない?あ、ソレ、そういう顔すると似てるわ」
「……はあ」
 半眼になりつつあからさまに気の無い返答をすると、最後にへらりと締まりの無い笑顔を残し、男はレジ前を離れて行った。
 アイハラ、ハルカ…。アイドルの名前だろうか。木原はテレビを見ないのでタレントには明るくない。スッキリと整った細面の木原はイケメンだなんだと容姿を褒められることは多いが、その名前を持ち出された経験はなかったので、今回に関しては褒められているのかも定かではない。
「佐藤さん、アイハラハルカって知ってる?」
 隣のレジに立つ女子高生バイトにこっそり尋ねてみたが、ジャニーズと若手俳優好きの彼女も首を傾げた。ということは特に人気のある芸能人ではないのか。木原もさして興味がある訳でもなかったので、その話題はそれきりになった。短髪の男は会計時には佐藤の方のレジに並んだので、バイトが終わるまで思い出す事もなかった。

 11時から20時までの勤務を終え、勤め先のコンビニから徒歩5分のアパートへ帰り着いて、真っ暗な室内に入って玄関のドアを閉めた瞬間はいつも、一日の疲れが身体中からどっと噴き出す感覚に陥る。
 木原は業務中も決して愛想の良い方ではないが、それでもなけなしの社交性を振り絞って接客にあたっている。その間の自分は、自分からすれば偽者だ。真っ暗な中に暫く佇んでいると、バイト中にかぶっていた皮が内側から噴き出す疲れと共に溶け落ちていくようで、そこでようやくリセットされる。
 昼間のやりとりをふっと思い出したのは、部屋着のスウェットに着替えてノートPCを開けた時だ。
 適当にネットサーフィンしながら退勤際に温めてきたコンビニ弁当をつつくのが木原の高校卒業以来2年ちょっとの夕食風景だった。畳の上にあぐらをかき、割り箸を口に咥えて片手で割りつつ、もう片方の手でマウスを操作してインターネットのウインドウを立ち上げる。ちょうどいいタイミングで思い出したので、本当に似ているのか調べてみようと思い立った。
 あいはら はるか、とひらがなでテキストボックスに打ち込み検索ボタンを押下すると、すぐさま開いた検索結果のページには、最上部に『愛原羽瑠華 では?』というご丁寧な変換候補が表示されていた。ゴテゴテした文字の並びだなと木原は苦笑した。名前の作られたような綺麗な響きからしてアイドルかなとは思っていたが、どうやらアイハラハルカは女性らしい。木原は見た目が女っぽいと言われる事もよくあるから、まあ驚く事ではない。
 検索結果のページの最上部に幾つか画像のサムネイルが表示されていた。やけに肌色率の高いそれらの画像を、ああグラビアアイドルなのかな、と思いながら何気なくクリックして拡大してみた瞬間、ウッと息が詰まった。
 それはDVDのパッケージだった。濡れた愛らしい瞳が伏目がちにこちらを見つめ、半開きになったぽってりとした唇やむっちりした胸の谷間が、何やら白濁した液体で濡れているのが見てとれる。
 加えて品の無いフォントででかでかと添えられた、『美乳妹姦2』というタイトル。
 有り体に言うとAVだった。
 …確かに、客観的に見て顔立ちは似ている。特に目の形は自分で見てもそっくりだと思った。もしかしたら木原が化粧したらこんな顔になるのかもしれない。
 しかしそれにしても、
「どういう神経してんだあのオッサン…」
 木原はモニタの前でうなだれた。昼日中の公共の場で親しくも無い男相手にAV女優に似てる発言。何より何気なく話題を振ってしまった佐藤さんに申し訳ない。女子高生にAV嬢の名前を挙げて「知ってる?」はないもんだ。自分のようにふと思い出して後から検索していたりしなければいいが。
 そのまま黙ってウインドウを閉じ、溜息混じりに弁当を口に運ぶ。
 木原春弥は健全たる21歳だが、AVには興味がない。厳密に言うと、男女モノには興味が持てない。家族や親しい友達にもカムアウトはしていないし、隠していることに据わりの悪さを感じて高校卒業と同時にとっとと家は出てしまった。興味本位と金欲しさにいわゆるウリの仕事もした事があるが、今は飽きてコンビニバイトでしのいでいる。
 体格は華奢だし中性的な顔と白い肌に生んで貰ったので、男子中・高時代はなかなかにモテた。今でもゲイ用の出会い系サイトでキレイ系を求めている人種を探せば一晩の相手はすぐに見つかる。処理のためにその手の映像にお世話になっていたのは中学生までだ。もしかしたらアイハラなんとやらはAV界では有名な女優なのかもしれないが、木原が知る筈もなかった。
 変な客だったな…と思うと同時、でもタイプの顔だったな…とも思う。捲り上げた作業着の袖から覗く腕の筋肉の付き方も含め好みだ。今のコンビニでバイトし始めて1年以上経つが、初めてのヒットだった。
「ま、頭が軽そうなのはちょっとな」
 一人ごちて白身魚のフライを口に放り込む。
 特定の相手を作るつもりのない木原にとって、色恋はゲームでしかない。落とせるか落とせないか。退屈な日常をマシにする為のささやかなギャンブルだ。

 翌日の昼時、やはり男はやって来た。
 その時はちょうど木原は棚の雑誌を整頓していたところで、その横へわざわざやって来て、
「やっぱりアイハラハルカに似てるよ」
 と昨日と同じことを宣った。木原は内心で深々と溜息を吐く。
「…それ、セクハラですよ」
「え、男から男でも成立するの、セクハラって」
 顔も上げずに低い声で応じた木原の機嫌を気にする風もなく男は間抜けな口調で言った。セクハラに当てはまらないとしてもそもそも執拗に言う必要のある事なのかそれは。気づいたことを口に出さずにはいられないコドモなのか。
 棚の前を離れカウンターの中に戻ろうとした時、男が身体の前に手を突き出してきた。驚いて視線を向けると、指先に紙片をつまみ持っている。名刺だった。
「今日の夜にでも連絡して」
「は? 何で俺があなたに連絡することがあるんですか」
「ご飯奢るよ」
 木原は目を細めた。
「…何、女に餓えてんの?」
 異性に相手にされなすぎて、中性的で贔屓の女優に似てるコンビニ店員にムラッと来ちゃってアプローチしてる訳ですか。
 女優の名前を覚えている程度に男女モノAVを愛好しているということはヘテロの可能性が高い。それが木原を誘うというのはよく言って気の迷いだとしか思えない。
「うーん、まあ、飢えてるっちゃ飢えてるし」
 男は曖昧に答えて名刺を勝手に木原の制服の胸ポケットの中に落とし、踵を返して離れて行った。舌打ちが漏れそうになるのをかろうじてバイト中だからと堪える。さっきタメ口が口をついたのはご愛嬌だ。
 それにしてもあからさまに馬鹿にしたのにものともしなかったな。客から連絡先を渡されることなら何回かあったが(同性を含め)、こんなに無遠慮な相手は初めてだった。

1/2

[ ][→#]
[mokuji]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -