続く日々も君とありたい

図書室の引き戸は他の教室のそれよりも重い。
曇りガラスが嵌め込まれた開け閉ての際ガラガラと音を立てるその引き戸は、軽い素材でできていて滑るように開く他の教室の扉よりも実際物理的に重いのだが、それに加えて笹野の気分の重さも確実に作用しているのだった。
笹野は小学校時代も中学校時代も、授業以外で図書室という空間に立ち入ったことがなかった。
理由としては、まず第一に本を読まない。長時間活字を見ていると例外なく眠くなる体質なのだ。世の中の全ての書籍が漫画化されればいいのにとすら思う。
第二に、静かな空間が嫌いである。ひそひそ声で会話しなければいけない環境なんて耐えられない。図書室の住人と来たら、笑い声を立てるだけで一斉に顔を上げてこちらを睨んでくるのだ。
如何にも真面目そうな連中が黙々と机に向かっている眺めは『自分とは違う世界』という印象が否めないし、お菓子はおろか飲み物すら飲んではいけないという手厳しいルールも忌まわしい。世間一般からすると『不良』という枠にカテゴライズされる笹野は、とにかく図書室に対して忌避感を抱いていたし、恐らく図書室の住人一同も笹野のような人種がテリトリーに踏み込んでくることを好ましくは思っていないだろう。
それなのに笹野は、高校一年生現在、月・水・金の放課後に図書室の引き戸を開ける習慣を持った。
何も急に真面目になった訳ではない。歴代の生徒たちの手垢のついた本の他に目当てのものがあるのだ。
ガラガラと音を立てながら引き戸を開けると、エアコンで適温に冷やされた空気が身体を包んだ。力加減を間違えないように慎重にそれを閉める。ガラガラ音が響くことには許されるが、閉まる際にピシャンという音を立てると図書室の住人が反応するのだ。いちいち緊張する瞬間である。
扉を閉め終えてほっとしながら正面に向き直ると、大体カウンターに座っている図書係の生徒と目が合う。最初の内は睨み返していたものだが、最近は上手く目を逸らせるようになった。ガンをつけられている訳ではなく、校則違反の自分の茶髪が反射的に目を引くのだと解ったからだ。
図書室には長方形のテーブルが等間隔に8脚並べられており、その両側にそれぞれ4脚ずつ布張りの椅子が並んでいる。その80%くらいが埋まっているのが図書室の常である。常連の生徒は定位置ができそうなものだが、意外に座る位置は毎度バラバラだ。掃除が終わる時間やホームルームの長さによって日毎の下校時刻は違うから、早く着いた順に居心地の良いポジションを取っていくのだろう。
笹野は通路をゆっくりと歩きながら視線を巡らせて、真ん中近くのテーブルの端に町田の姿を見つけた。近づいて行って背負っていたリュックを隣の席に下ろすと、一心不乱に教科書を読み込んでいた町田が顔を上げた。
「よ」
椅子を引きつつ、片手を上げて抑えた声で挨拶をする。町田はにこっと笑って、「よ」と返してきた。肉付きの薄い頬に笑い皺が寄る。
1年B組笹野晴喜、1年B組町田智誉。2人並ぶといじめっ子といじめられっ子に見えかねないアンバランスな組み合わせの2人だ。
町田は洒落っ気の無い度入りの眼鏡を掛けた解りやすい秀才くんで、笹野のように髪を染めたり制服を着崩したり授業に遅刻したりは絶対にしない。先生の言うことは素直に聞くし勉強も委員会活動も真面目にこなす。禁止されていようがされていまいが大声でお喋りする事もない。まさに図書室の住人に相応しい地味で大人しい生徒だ。
笹野は図書室と同じくらい図書室の住人が苦手だった。その手の種類の生徒は、笹野のような一種のはみ出し者に対し、無闇に怯えるか見下すかのどちらかの視線を遠巻きに向けてくることが多いように感じていた。そういう視線はいつだって気持ちが悪くて不快だった。
しかしそれは恐らく少し歪んだ被害妄想だったのだろうと、気付かせてくれたのが町田だった。
「今日は何。英語やってんの?」
「うん。今日の復習」
「俺は作文やる」
「ああ、国語の授業中に終わらなかったんだ」
「20分で原稿用紙2枚も書ける訳ねえっつの」
ひそひそ声で言葉を交わしながら、ペンケースと原稿用紙をリュックから取り出す。図書室通いを始めるまでは、筆記用具や教材なんて机に放り込んだままで持ち歩く習慣すらなかった。
えらいもので、町田と一緒に勉強をするようになってからの2ヶ月で、笹野の成績は目に見えて上がった。1学期の中間テストと期末テストの点数格差たるや、カンニング疑惑が出た程だ。図書室で笹野と町田が一緒に座っている姿を見た生徒は、町田が笹野に勉強を教えてあげているものと思っているようだが、2人はただ並んでそれぞれの勉強をしているだけである。たまに笹野が質問することもあるが、なるべく町田の邪魔はしたくなかったので、わからない部分には付箋を貼っておいて後で先生にまとめて聞くようにしていた。
町田の真剣な横顔を見ていると、自分も集中しなければという気持ちにさせられる。だから笹野は一心不乱に勉強した。町田に少しでも追いつきたいという思いもあった。

そもそものきっかけは、中間テスト後の席替えで隣同士になったことだった。
授業中の小テストは、よく隣同士で用紙を交換して採点をし合う。笹野は小テストの時間は睡眠時間と捉えていたので毎回ほぼ空欄で提出していたが、一応隣人の採点だけは責任を持ってやっていた。
それで、毎回毎回満点に近い点数をとる町田に、「お前相当勉強してんだな」と何の気なしに話しかけたら、「あー、週に3回図書室で勉強してる」と返ってきた。それまで笹野は町田と話したことがなかったし、ろくに顔も覚えていなかったのだが、ひょろっとして大人しそうな見た目からなんとなくツンとした印象を受けていたので、その時覗かせた屈託の無い笑顔が意外だった。
それで笹野はなんとなく会話をしてみる気になり、図書室が苦手だという話をしたのだ。そして、図書室の住人が苦手だということと、その理由も。町田からすれば『お前らみたいなヤツが嫌いだ』と言われたようなものだったと思うが(振り返ってみると不思議だが笹野は町田を『図書室の住人』にカテゴライズしてはいなかったので、気にせず話してしまったのだ)、町田は目をぱちくりさせて、
「そんな訳ないじゃん」
と笑った。
「怯えたり見下したりなんてしてないよ。ただ目立つからなんとなく見ちゃうだけで。だって別に、笹野は普通の人だし」
笹野が空欄のまま提出した小テストに赤ペンで丁寧に正答を書き込み、町田は用紙を返してくれた。
「図書室、いいところだよ。笹野も来なよ」
その誘いが、上辺だけではなく本心からの言葉に聞こえた。
だからその日の放課後、校舎の中を少し迷った末、入学時に案内されて以来近寄ることすらなかった図書室に辿り着いた。
引き戸を閉める際に、勢い余ってビシャンという大きな音を立ててしまった時、一斉に上がった顔の中に町田はいた。笹野と目が合うと、にこにこしながら手招きをしてくれた。
その日から笹野は図書室に通っている。未だに図書室はどこか居心地が悪くて好きにはなれないが、図書室で過ごす時間は、好きだった。
図書室での勉強は、大体16時少し前から18時まで。少し手を止めて休憩する間に、笹野と町田は色んな話をした。
町田にはまだ小さな弟がいて、なかなか家では集中して勉強できないこと。火曜と木曜は食事当番なので早く帰らなくてはいけないこと。大学では法律を勉強してみたいということ。中学の頃まではゲームが大好きで勉強なんてろくにしていなかったこと。
笹野の方は何を話したらいいのか良く解らず、好きなバンドの話やテレビの話をした。特段面白い内容でもないのに、町田は笹野の話を聞いてよく笑う。
町田は音楽を聴く習慣がなかったらしいが、笹野の話を聞いてCDを貸して欲しいと言った。けれど再生機器が無いというので、笹野は今度買い換える時にミュージックプレイヤーごとあげる約束をした。
笹野から見ると、町田はびっくりする程純粋で、まっすぐだった。テレビを全く見ずに育ったらしく、世間知らずな面があった。おばあちゃん子だったというからそのせいかもしれない。
町田と自分の好きな物を共有したいと思う一方で、このまま何にも毒されていないまっさらな目で世界を見ていて欲しいとも、笹野は思っていた。何にも染まっていないような町田の在り方を、とてもとても大切に思った。

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