月の裏側

もう二度と来て貰えないかもしれないな…と思っていた常連客が、予約も無しに店に現れた。
その時たまたま身体が空いていた拓登は、受付の前に立ったその常連客――高梨といった――と目が合った時、一瞬、それを高梨だと認識できなかった。いつも透明感のあるナチュラルメイクをしていた彼女が、やや吊り目に見えるようにアイラインを引き、寒色系のアイカラーを塗り、ハッキリとした色の口紅を唇に載せていたからだ。
それが高梨だと認識した瞬間、まさか自分はもう指名されないだろう、と拓登は思った。しかし、会釈をしながら落としていた目線を再度上げると、高梨が躊躇いなくツカツカとこちらに近寄ってくるところだった。
「美容師さん、バッサリ切って」
カットチェアにひょいと腰掛けながら高梨は言う。正面の鏡越しに受ける視線は、キツめの化粧のせいか、それとも高梨が故意にそうしているのか、いつになく鋭かった。拓登はよく「何を考えているのか解らない」と言われる眼差しでそれを受け止めた。
「バッサリ…ですか」
「とにかく短く!前髪は眉毛が見えるくらいで」
腰の辺りまであるアッシュブラウンの髪を揃えた指で叩き、うなじが見えるくらいの長さを示してみせる。拓登は躊躇いがちにその髪を一房掬い上げた。
「いいんですか、こんなに長くて綺麗な髪。勿体無くないですか」
「いいの。失恋したら切るって決めてたの」
「そうですか…」
華やかな顔立ちをしているから、きっとベリーショートも似合うだろうが…。やっとここまで伸びた、と嬉しそうに微笑んでいた彼女の姿を知っている。髪を伸ばすというのは長い時間が要るものだ。失恋で髪を切ったりしたら後悔するのではないだろうか。
そうは思ったが、先週彼女に告白されてフッたのは他でも無い自分だったので、結局それ以上は何も言えず、黙って鋏を入れることにした。

高梨は、2年程前から拓登が担当している客である。
拓登は口数が多い方ではなく、客と『友達』といえるほど仲良くなることはそうないのだが、高梨は確かに友達だった。サバサバしていて積極的な彼女とは付き合い易く、連絡先を交換して何度もご飯に行ったり飲みに行ったりした。
但し、二人きりで遊んだことはあまり多くは無い。大抵その場には永樹が一緒にいた。
永樹は誰とでも仲良くなれる才能を持った男で、知らない人間ばかりの場にも平気で混ざり込む。拓登が誰かと遊ぶというと必ず途中で合流してくるので、拓登の友人とは漏れなく全員友人である。なんなら元々の友人である拓登よりよほどその相手と親しくなることがあるくらいだ。
拓登に言い寄ってきた女性が最終的に永樹に靡く例も少なくなかった。高梨も、大人しくてドライな拓登より、永樹と楽しそうに会話していることが多かった。
だから拓登は高梨に告白されたとき酷く戸惑ったのだ。

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