エバーグリーン

光(みつる)/一颯(いぶき)
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 その冬に買ったばかりのマフラーだった。
 営業先から帰る時、次の電車まで結構時間があることに気付いて改札を抜けた先の店にふらりとコンビニ感覚で足を踏み入れたら、女性客ばかりの雑貨屋だったのだ。どきっとしたがそのままUターンして出るのも恥ずかしい気がして、入り口近くにあったマフラーを咄嗟に手に取ってレジに持って行った。いかにも外が肌寒かったから買いに入ったのだという顔をして。ただの布に見える割に案外高くて少しへこんだ。
 普段は買わないようなきれいな色の手触りのいいそれを、買ったからには使わないともったいないだろうと思って一颯と会う時に巻いて行ったら「なんか今日オシャレじゃん。彼女できた?」とニヤニヤしながら聞かれてむかついた。30にもなって彼女できたくらいでわかりやすく色気づかねえよ。そしてできねえよ。
 普段モノトーンの服ばかり着るのは、結局それが一番似合うからだ。学生の頃は洋服で遊んでみたり髪を染めたりしたこともあったが、地味な自分には結局ベーシックな装いがベストだと悟った。スーツが似合うとよく言われるからある意味サラリーマンは天職かもしれない。
 逆に一颯は、専門学校を出てトリマーになってからぐっと華やかになった。出会った中学生の頃は小さくて髪の毛がもさもさしているイメージしかなかったが、今のように金に近い薄さまで髪の色を抜いているとふわふわした天然パーマは絵画で見る天使を想起させる。元々目鼻立ちがはっきりしていて色素が薄いからぱっと見ハーフのようだ。
 肉なんてろくについていない細い身体をしている癖にてらてらした素材のコートを羽織っただけの身軽な格好で待ち合わせ場所の地下鉄出口に現れた一颯を見て、俺は黙ってその買ったばかりのマフラーを巻いてやった。明るい髪の色にエメラルドグリーンはよく似合った。一颯はきょとんと首元を見下ろしてから、「やっべ、光イケメン愛してる」と俺を見上げて笑った。
 本物のイケメンに言われる『イケメン』は半ば馬鹿にされている感じがして好きじゃない。小さく舌打ちして大股に歩き出すと、早足に半歩後ろをついてくる。俺の身長が伸びるのと同じペースで一颯の身長も伸びたから、この二人でいる時の歩調はもう15年以上変わらない。

 いわゆる幼馴染という部類に入るのだろう。一颯とは高校から学校は別れたが、付き合いはずっと継続している。細々と、という訳でも、徐々に会う間隔が広くなる、ということもなく、月に2、3回は会って飯を食べたり映画を観たりカラオケに行ったり買い物をしたりという関係が絶え間なく続いている。大学受験期や卒論に追われている時期ですら欠かさなかったから、もはやお互いルーチンワークの感覚なのかもしれない。共通の友達もいるのだがそいつらを交えて三人以上で遊ぼうと思ったことは不思議とない。
 中学で仲良くなった経緯は覚えていない。出席番号が近かった訳でもないし部活が一緒だった訳でもない。強いて共通点を言うなら、活発でヤンチャな運動部の派閥にも大人しくラノベを読んでいるようなグループとも適度に仲が良く、かといって仲間入りするでもないふわふわした層にいた同士だった。
「なー、クロワッサンたい焼きに新しい味出たの知ってる?」
 どれもこれも背の高い都会の建物群を見上げながら一颯が言う。「なにそれ」と興味を惹かれて振り向くと、心得たようにへらっと笑った。
「買おうぜ」
「でも今日フレンチトースト食うって約束だろ」
「洋菓子と和菓子は別腹でしょ」
「お前なんでそれで太らねえの? 腹立つ」
「体質だからしょうがないでしょー」
 地道に朝夕ランニングに勤しんでいる俺と違い、一颯は基本家と職場の往復しかしない。出不精なので休日――俺と約束のない休日――はひたすらネットレンタルの映画を観ているらしい。骨格が細いから筋肉をつけると気持ち悪い体型になると昔嘆いていた。あれは高校生の頃か。
 目的のフレンチトースト専門店は地下にあり、階段の上まで列ができていた。とはいえ店内が狭いのでこの店はいつもこんなものだ。見る限り女子またはカップルしかいないが、お互い一切気にせず男二人連れで並ぶ。昔はもっと人目を気にしたが、好きな甘味を食らうには女子の群れの中に飛び込む外ないととっくに諦めた。連れがいるだけいい。
 しかしそういえば、昔から甘いものが好きな訳ではなかった。一颯がコンビニスイーツの新商品だの期間限定品だのに弱かったことは記憶しているが…たぶん都内に進んで出るようになった大学の頃から付き合わされ始めた気がする。
 15分ほど待って席につき、一颯はフルーツの載った季節限定メニューと紅茶を、俺は添え物がない代わりに量の多いメニューとコーヒーを頼んで、落ち着いたところで一颯がおもむろに「はいこれ、お土産」と紙袋を手渡してきた。
「さんきゅう。どうだった、式」
 尋ねながら中身を引き出す。ナッツの入ったチョコレートのようだ。
「すごくきれいだったー。ガーデンウェディングで、天気良くて。写真観る?」
 いそいそと狭いテーブルの上にタブレットを広げて画像を披露し出す。どの写真にも鮮やかな緑と、日光を反射する白いウエディングドレスとタキシードが写っていた。目に眩しい。一颯の姉だから当然は当然だが、花嫁はたいそうな美人だった。幸せの絶頂ということがその笑顔からだけで伝わってくる。
「俺泣いちゃったよ」
「両親への手紙とかで?」
「いやもう最初から最後まで」
「まじで? お前父親かよ」
「だってほんとに夢みたいにきれいだったし、姉ちゃん幸せそうだし旦那さんいい人だし」
 当日のことを思い出しているのか、目を細めて写真を見下ろす一颯を見て、一瞬「お前は予定ないのか」と聞こうかどうか迷った。
 ないだろうな、とは思っている。彼女を作るのすらめんどくさいときっぱり宣言している男だから。俺と違って引く手はあるだろうに、残念なイケメンなのだ。でもきっと、こういうタイプは前触れもなしにしれっと「結婚しましたー」と報告してくる。聞いたところで一颯は「いやいやーみっつんこそどうなんですかー」とまぜっかえすに決まっているので結局口にはしなかった。
 画像コレクションはハワイの街並みや海に移った。当然パンケーキは食ってきたらしい。ここのビーチがきれいで、だの、これが美味しくて、だの、スクロールしながら嬉々として喋る一颯に頬杖をつきながら相槌を打つ。以前グアムにダイビングに行こうってどれだけ誘っても億劫がって乗って来なかった癖に。結局俺もパスポートを取るのが面倒でやめたが。
 一颯とは数少ない友人の中で一番仲が良いが、たまに一緒にいて苛立ちが止まらなくなることがある。たぶんいくつになってもどこか無邪気なままの一颯に心のどこかで妬いているのだろう。
 フレンチトーストを食べ、近くのビックロを適当にぶらついて、利きすぎている暖房に辟易しながら外に出る。午後6時を回って辺りはすっかり真っ暗だった。冬至はとうに過ぎたとはいえまだまだ日が落ちるのは早い。
 今日はフレンチトーストを食べる以外はノープランで待ち合わせたから、このまま解散してもいいし夕飯を食べてもいい。一颯と会う時はいつもそんな感じだ。ランチだけのつもりで会っても店を出て互いに出方を探りながら歩いている内に大体ずるずると一緒にいる時間が長引き、結局酒を飲んで帰ることになったりする。電話を切るのもお互い苦手だ。ベタに「じゃあ…」「うん、じゃあ…」の応酬になって切るタイミングが解らなくなることが多い。
「やべ、夜になると寒いね」
 例によってふらふらと大型書店のある方面へ歩き出し、暖房に必要以上に温められた身体から熱が抜けると、一颯は肩を竦めてマフラーを巻き直した。「お前は何年この国で冬を越してんだよ」と呆れる。俺はヒートテックにステテコに腹巻までフル装備だ。ポケットに手を突っ込みにくい上着を着る時はこれに手袋も加わる。独り暮らしで風邪を引いて寝込む侘しさったらないので防寒には念を入れている。
「だって昼間は日差しあってあったかいから油断するじゃん。あー俺今度コタツ買お」
「コタツ俺も欲しいなあ」
「まじ? じゃあ一緒に住も」
「はいはい」
 一颯の足が地下鉄の入口に向いたので、あ、今日は帰るパターンか、と思った。買うと言っていたたい焼きのことを忘れていたが、まあいいか、今度会う時で。地下から地上に向かって風が吹き抜け、階段を先に降りる一颯の首元でエメラルドグリーンがひらひらと踊る。やっぱり似合ってるな。
「それやるよ」
 声をかけると、「え?」ときょとんとした顔で振り向く。マフラーを指差すと、「ああ」と視線を落とし、それから目を伏せたまま「なんかこれ女の人みたいな匂いするね」と呟いた。
「…化粧品とかの近くで売ってたからだろ」
 何故か焦って俺は言った。別に疾しいことなんてないのに。変に怒ったような口調になってしまったことで突っ込まれるかと思ったが、一颯は何も言わずにそのまま前に向き直った。
 俺の方が歩幅が大きいから、のんびり歩いている一颯にすぐに追いつく。いつも通り少しだけ追い抜かした時、コートの裾をつままれた。見下ろすとへらっと笑う。
「光、俺ら付き合おう」
 それこそ10代の頃から、「付き合おう」だの「一緒に住もうよ」だの「もう結婚しよう」だの「死んだら同じ墓入ろうぜ」というふざけた返答はお決まりになっている。それは別に一颯と俺だけに限ったことではなく、中学の頃仲の良かった連中の間で定着した適当なやりとりだったが、同級生たちは今実際に続々と結婚して家庭を持っている。俺ももう、大人になってそんなふざけ方ができなくなった。それを言うのは一颯だけだ。
 白い無機質な壁と床に囲まれた駅の地下通路で、俺は立ち止まって一颯の肩を掴んだ。
「そういうこと言うのやめれば? お前はさ」
 自分で予想していたよりずっと冷たくて低い声が出た。苛々している、自覚がある。小柄で細い一颯は唇を引き結んで俺を見上げる。会話している時ひとときも目を逸らさないこいつの躊躇いのなさが好きじゃない。
「俺が本気になったらどうすんの?」
 口にしてしまってから、自分は何を言ってるんだろうと思った。
 どうするもこうするもない、「マジになんなよ」で終わるだけだ。友人同士のふざけたやりとりを真に受ける馬鹿なんて普通いない。リアクションに困るだろう、と思って何か言葉を続けようと思った時、視界がぐらっと大きくぶれた。何が起きたか認識する前に手が反射的に左頬に触れ、その熱に、殴られたんだ、と悟る。
「ばっかじゃねーの」
 この長い付き合いの友人が怒ったのを初めて見た。怒っているはずなのに表情は殆ど泣き出しそうだった。右手は中途半端に中空で止めたまま、全身で怒っていた。
「本気じゃねーのはいっつも光だけだよ」
 震える声で言い捨てて、踵を返して走り出す。ボディーバッグが背中で跳ねるぱたぱたぱたという間抜けな音が遠ざかって行くのを呆然と聞いていた。多くはない通行人が好奇の視線を一瞬くれながら通り過ぎて行く。
 だってお前、俺なんかのこと好きになるはずないって、思うだろ。ずっと思い続けてきたんだよ。
 エメラルドグリーンは一颯の好きな色だって15年前から知っている。

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