罪の味

 一緒に住んでいるマンションは、洋食屋から五駅隣にある。
 美秋は知り合った当時この近くの大学の学生で、同じマンションで独り暮らしをしていた。芯太郎はといえば店長――母方の叔父であり養父の家に世話になっていて、でも頃合いを見て出て行きたいとは思っていた。叔父はまだ独身だったが結婚を考えている相手がいるという話で、自分が荷物になると思ったからだ。
 しょっちゅう一緒にご飯を食べたり映画を観に行く仲になってから、一人暮らしは寂しいから文鳥でも飼おうかと思うんだよね、と聞いた時、芯太郎は経済的に折り合える物件を探しているところで、ちょうどいいから一緒に住ませてもらえないかと頼み込んだ。そしてその時に自分の過去の話もした。
 『どうでもいい』っていう言葉の素っ気なさと、その実内包されていた限りなくあたたかい感情に、この5年間どれだけ感謝したのだろう。
 美秋は独り暮らしの頃からきちんと自炊する人間で、芯太郎が押しかけてからも美秋が役所に就職してからも料理はもっぱら引き受けてくれたが、時々芯太郎に洋食屋のメニューをねだった。和食ばかり食べて育ったという美秋にとって洋食は『レストランで食べるもの』というイメージらしく、「レストランみたいに旗立ててよ」と言われて渋々爪楊枝にチラシの裏紙の切れ端をつけた即席旗を用意してやったら、こちらがびっくりするくらい嬉しそうに食べた。
「お前なんでそんなにやさしいの? 俺の恋人にしとくにはもったいないよなー」
 他愛もないワガママを叶えてやるたびに本気の口調で言われたが、芯太郎は同じ思いをもっと切実に抱いていた。些細なことにイライラして八つ当たりしても、美秋は絶対に同じ感情をぶつけ返しては来なかった。いつも穏やかでのんびりと構えていた。育ちの良さからくる余裕だと妬いたこともあったが、そんなどす黒い思いすら消してしまうあたたかさで包み込んでもらった。
 落ち葉を踏みながら考える。生活費は月末に完全に折半にしていて払っていない分はない。急に消えても不具合はないはずだ。高かった映画グッズは持って行くのが面倒だからくれてやろう。しばらくは店長夫婦に厄介になるしかない。元々いつこういうことになってもおかしくないとは思っていたから店の住所は教えていないし、美秋は深追いはしないだろう。感情とは別の思考回路が次々と冷静な判断を出していく。
 ずっと一緒にいようなんて約束したことはなかった。同性だけに不安定なこの関係がいつ終わるかわからないという怖れはお互いにずっとあったと思う。
 面白くもない景色を抜け、集合ポストの中身を確かめてから馴染んだアパートの階段を上る。『キンコン』というちゃちな音を立てるドアチャイムを押し込むと、すぐにドアが開かれた。
「おかえり。今日はお客さんいたんだ? 早めに並べちゃったよ」
 ふわっと笑う美秋のきれいな目は、やはり母親によく似ていた。骨が細くて華奢なのも遺伝なんだろう。
「うん、いいお客さんだった。料理冷めちゃった?」
「いや、ちょうどいいんじゃないか? 猫舌向けの温度になってると思う。ケーキありがとう」
 白い箱を受け取ってウキウキと部屋の奥に取って返す、その後ろ姿に思わず手を伸ばした。肩に手をかけて引き寄せると、美秋はよろめいて体重を預けて来た。同じシャンプーのにおいがすることが幸せだって初めて思ったのが、もうずっと昔のことみたいだ。
「うお、あぶね」
「美秋」
「うん?」
「…ありがとう」
「なんだよお前。死ぬの?」
 そうだね、俺はお前に嫌われたら死ぬと思う。離れることなんてどうってことない。一緒にいるために誰かを傷つけたり傷ついたり、ふたりの気持ちが変わっていってしまうことの方が怖い。
「ありがとう」
 ぎゅう、と強く抱きすくめると、美秋は首をよじって無理やり芯太郎を振り向こうとした。首の後ろに鼻先を押し付けるようにして表情を見られることから逃れる。
「…だめだよ、芯太郎」
「何が?」
「行くなよ。俺の前から消えようとすんな」
「そうだね」
 大切なものを全部守ることなんてできないのに、悪役になることもできなくて、きれいに別れる方法が思いつかない。どうしようもない人間を奇跡みたいに好きになってくれた俺の恋人。もうきっとこんな奇跡は起こらないけど、今までの思い出だけで生きて行ける気がする。
「大好きだよ、美秋」
 14歳の自分がやったことを美秋が赦してくれたから、そのせいで別れることになっても後悔せずにいられる。
 上品な恋人の名前を口にするたびに舌が苦味を覚えてうっすらと痺れたことを、きっと何度でも思い出すだろう。

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