ひとり×ひとり

 ライブ後、菊井と連れ立って劇場を出ると、途端に5、6人のファンがわっとふたりに寄って来た。若手芸人と観客の距離は近く、出待ちは毎回盛んだ。グーテーモクは同年代のコンビと比べれば固定のファンが多い方だと思う。
 戸浦がコンビを組むことは、観客には思ったよりも抵抗なく受け入れてもらえた。元々戸浦と菊井の仲の良さは知れ渡っていて、コンビを解散した菊井が新しく組むなら戸浦じゃないか、という予測はされていたらしい。それでもピンの頃熱心に来てくれていたファンがいつの間にか姿を消していたりはする。悲しくはなかった。浮ついたファンにありがちな『カッコイイ』から『面白い』という考えではなく、純粋にネタを評価してくれていたのだと知れたからだ。
「戸浦、先行ってる。いつもの店」
 サインや写真に先に対応し終えた菊井がひとこと残して去って行った。サインノートを差し出してきたファンの子が「これから菊井さんとご飯なんですか?」と無邪気に尋ねてきた。
「まあそうだねぇ」
「仲良いですねー、ふたり」
「そりゃ大切な相方だから」
「コンビ組んだら正直戸浦さんの良さってなくなっちゃう気がしてましたけど、意外にいいコンビになりましたよね」
「ありがとう」
 年下の素人から知ったような評価を受けるのには慣れた。慣れなければやっていけない。ヘラヘラと笑いしつつサインノートを返し、足元に置いておいたドラムバックを手に歩き出した。菊井は戸浦より年上でありながらこういった大人な対応が苦手で、ファンにも容赦なく冷たい言葉を返したりする。代わりに自分が愛想よくしている必要があった。
「とっつん」
 歩き出してしばらくしたところでふいに後ろから名前を呼ばれた。振り向くと同期のピン芸人だ。
「あれ、ろくちゃん。おつかれー」
「おつかれ。ライブ終わり?」
「うん。ろくちゃんは?」
「この後ライブなんだけど、カフェでネタ作っててー。ご飯食べとこうと思って出てきたとこ。一緒にどう?」
「ごめん俺、菊井と打ち合わせあって」
「あ、そうかそうか。いいね」
「別に良くはないけど」
 和気藹々とご飯っていう訳じゃないし、と思ったが、すぐに何に羨まれているのかに気付いた。『相方と打ち合わせ』というそれ自体が羨ましいのだ。ピンはネタ作りもネタ合わせも全部ひとりきりだから。その分自由でいくらでも好きにできるが、やはり寂しいと思うこともある。
 戸浦もかつてはコンビが壁に向かってぼそぼそとネタ合わせをする後姿を羨望の眼差しで観ていた。
「P−1でやるネタできた? 今年からまたルール変わったんだよな」
 歩調を遅くしつつピン芸人の大会についての話を振ると、「ぼちぼちかな」と同期は顔を曇らせた。ピン芸人が世に出るための重要な大会ではあるが、漫才の大会とコントの大会に比べてぐっと注目度が低く、そのありようについてピン芸人ならみんなモヤモヤしたものを抱えている大会だ。
「とっつんは今年は?」
「俺は出ねえよ」
「出ればいいのに。去年は準決勝まで行ったじゃん。片方でも良いとこまで進めばコンビの名前も売れるよ」
「俺が元からコンビだったなら出てたけど、元ピンとしては半端なことはしたくない。ピン芸人に対して失礼すぎるし。それよりエンペラーオブコント初出場のことを考えねえと」
「そうか」
「優勝しろよな、ろくちゃん」
「君らもね」
 ふわふわと手を振って別れてから、口の中で復唱した。君らもね。

 組む前からふたり御用達の、雑然とした雰囲気のカフェバーに入り、先にコーヒーを頼んで待っていた菊井の前に座りがてらファンの子に差し入れでもらった煙草の封を開けた。自分の前に置いてあった灰皿を菊井が無言で押しやってくる。
「ああ、悪い」
 煙草に火をつける間、菊井はじっと戸浦を見ていた。
「…なに?」
「そのライター、ファンからもらったやつだろ」
「だからなに?」
「あまり特定のファンと長く喋ったりプレゼントを身に着けるのは――」
「はいはい。もっと人気が出た時に偏りが出るからダメだっつうのは聞いた。でも相方に指図されることじゃねえと思うわそれ」
「………わかってる」
 わかってるなら言うなよ、と思うが、唇を噛む菊井を見ると直接そう言うのは躊躇われた。こういう風に自分が引くことも以前はしなかった。
「それより何なんだよ話って」
 どうやら何か重要な話を切り出そうとしているようだと察して水を向けると、菊井は口を開きかけてから再度閉じ、躊躇うように視線を左右に揺らしながら俯いた。
「…この間のネタの出来、どう思った?」
「なんだよ、まだ飛ばしたこと怒ってんの」
「違う。その話しかしてなくて聞きそびれてたから、感想」
「良かったと思う。ウケてたし。やっとコンビとしての方向性が定まって来た気がするよな」
 間髪入れずに返すと、菊井は俯いたまま小さく数度頷いた。こうして見ているとつくづく形のいい鼻筋だ。――もう少し器用に振る舞えればイケメンとして人気が出るだろうに、この相方は自己プロデュースが下手だ。
「菊井は?」
「え?」
「どう思った、昨日の出来」
「…俺は…」
 よくわからない、とつぶやいた。
「客観的に見れないんだ、最近。良かったと思うけど、そう思いたいだけかもって気がしてて…」
 今日は珍しくよく口ごもる。戸浦は紫煙を細く噴き出した。菊井は前のコンビを引きずってるんだな、と思った。
 良いコンビだった。シュールで技巧派のコントをし、ふたりのバランスが良く、客の人気もあったが特に芸人仲間や劇場作家からの支持が多いコンビだった。才能がある、将来絶対に売れるコンビなのに、もったいない――と誰もが口々に言ったが、その『将来』がいつ来るのかは誰にも予測できなかった。才能と努力だけで売れる訳ではない、時代の流れや運が多分に影響する業界だ。菊井の元相方も、菊井も、悔しかっただろう。
「あ、戸浦くんいらっしゃーい」
 お冷やを持って現れた店員が親しげに声を掛けてきた。店を贔屓にし出して長いのですっかり打ち解けた店員に「ようリカちゃん」と応じて生ビールを注文する。暗い空気を察してあえてなのだろう、「ちょっとー喧嘩じゃないでしょうねふたりともー」と陽気に笑って店の奥に引っ込んで行った。
「俺と組んだこと後悔してる?」
 小さな灰皿に灰を落としつつ真っ向から尋ねる。
「…してる」
 菊井は呻くように答えた。
「ずっとただのファンでいればよかった。ピン芸人・戸浦勇午の、会場全部を自分の世界に巻き込んじゃうようなあの強烈な力を、好きでいればよかった」
「さみーこと言うなよ」
 吐き捨てるように言う。同期同士でファンだとか、養成所時代や一、二年目には絶対に誰も口にしなかった。ライバルへの本気の褒め言葉なんて。いつの間にか剥き出しの闘争心は仲間意識に変わり、蹴落としてやろうと思っていた相手がこの世界を辞めていくことを心から惜しむようになった。
 努力が報われるとは限らないこの世界で、いつまでもギラギラと夢を追いかけ続けることは難しいから、みんなどんどん丸く小さくなっていく。人間関係だって変わって行く。長く続ければ続けるだけ。
「かっこつけたこと言って誘ったけどさ…俺は俺のワガママでお前と組みたかっただけだったんだ。戸浦と戸浦の才能を自分のものにしたいっていうエゴがあったんだと思う。でもコンビを組んだことで、俺は戸浦の良さを損なってるし、遠慮させてるし、負担になってる。俺が相方じゃ、お前の才能を生かしきれないと思う」
 菊井は覚悟を決めた表情でこちらを見据えた。
「解散しよう、戸浦」
 思わず天井を仰いだ。
 こういう気持ちなんだ、解散を宣告されるのって。目の前がみるみる黒く塗りつぶされていく。きっと菊井も元相方に告げられた台詞。
「俺にお前の1年間をくれてありがとう。申し訳なかった」
 語尾がくぐもると共にゴツンと音がしたので視線を戻すと、菊井は深く頭を下げ、額をテーブルに当てていた。溜息を吐いてから身を乗り出し、肩に手をかける。一拍置いて顔を上げた菊井の目の縁は濡れていた。顔を突き出して間近で覗き込みながら、
「…やだよ」
 と低い声で告げると、菊井は何度か瞬きをし、「は」と声を漏らした。
「俺は嫌だね、解散なんて。言っとくけど俺は菊井に俺の時間をやった覚えなんかない。菊井に付き合ってコンビやってきた訳でもないし、試しにやってみようなんていう甘っちょろい考えで仕事はしてない」
 肩をぐっと掴んで言い募る。
「俺はな、コンビ組むのは結婚と一緒だって思ってんだよ。バツイチの菊井はどうか知らないけど俺は一生添い遂げる覚悟を決めてんの」
「ば、ついちはないだろ…」
「俺はグーテーモクが好きで、ふたりでやるって大変だけどすごく楽しいって思ってる。ふたりで責任持ててふたりで何か作れるって、分散されるから楽とかいう意味じゃなくてすげえ気持ちいいんだよ。今菊井が後悔しててもな、絶対俺と組んで良かったって思わせてやる。俺は今日はエンペラーオブコントで何のネタするかの打ち合わせのつもりで来たんだからな。優勝するつもりでやれ」
 ぽうっとした顔で口上を聞いていた菊井は、最後にびしっと人差し指を突きつけると我に返ったように「ゆびさすな」と手を押しのけた。それから眉尻を下げて情けない笑顔で笑う。
「俺やっぱり戸浦が、」
「……なに」
「…なんでもない」
「な〜んだよ、俺も愛してるよ」
「そんなこと言ってないよ」
 菊井は眼鏡をずらして細い指で目尻を拭った。
「あーっ戸浦くんなに泣かせてんの!?」
 絶妙のタイミングで明るい店員の声が割り込んできた(確実にタイミングを探っていてくれたのだろう、申し訳ない)。「失恋だってよ、なんかキッツイ酒持って来てやって」と適当なことを言えば、「菊井くん良かったねえ、うちで一番高いお酒奢ってくれるってー」とキャッキャと笑う。
「ツケにしといてくれよ、近々1000万円入る予定だから」
「なんで賞金全部一人で持ってくつもりでいるんだよ」
「あ。そうか、ふたりいるから山分けしなきゃいけねえのか」
「お前今更…」
 そうだよな、ふたりいるから、衝突もするし擦れ違いもする。好き嫌いだって一致しない。他人同士が同じペースで歩くことは難しい。でも二人三脚で歩き始めたからには、相方が立ち上がれなくなったって引きずってでも歩いてやる。
 俺たちはコンビだから。








グーテーモク 東京養成所14期生
ボケ(立ち位置下手)戸浦勇午
ツッコミ(立ち位置上手)菊井洋
ふたりの名前にウマとヒツジが入っているのでコンビ名が偶蹄目

3/3

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