ひとり×ひとり

 戸浦は養成所時代からずっとピン芸人だった。一緒に漫才師になろうと約束していた高校の同級生が早々にトンズラして相方を失ったことがきっかけだったが、元々落語好きで一人喋りというものにも憧れていたので、ピンでやることにさほど抵抗はなかった。初めはサンパチマイクを一本立てて漫談をしていたが、養成所での集団演技の授業で「演技力があるから」と講師に勧められて一人コントにシフトした。
 菊井は養成所で出会った相方と、もっぱらコントをするコンビを組んでいた。戸浦は最初、菊井の相方と親しくなり、次第に菊井を含めた三人でよく遊びに行くようになった。彼らコンビは二人ともお笑いに対して熱く、ストイックで、そういう芸人とはまず間違いなく戸浦は仲良くなれる。
 『コンビ』というのは難しいものだ――ということは、外から見ているだけでもよくわかった。幼馴染同士でコンビを組んだ芸人の仲がどんどん険悪になっていく。才能のある芸人が相方にも高い水準を求めすぎて追い詰めてしまい、面白かったコンビが駄目になる。片方が突出して人気が出てしまい、軋轢ができてコンビとしての仕事がやりにくくなる。そういう事例を飽きるほど見た。面白いことを考えつく人間ほど主張が強く、意見の違う人間と衝突するのは当たり前のことだった。
 ピンでやる苦労はまた、コンビの苦労とは別に山盛りあるにはあったが、人間関係をもつれさせていくコンビを目の当たりにするたび、ひとりの気楽さを噛み締めたものだ。
 その点菊井たちのコンビは、関係性は非常に良かった。ネタを書くのはツッコミの菊井で、生真面目で多くの要求をするタイプではあったが、おおらかで器用な相方とは喧嘩にまで発展することはなく、よくバランスがとれていた。2人組のコント師というもの自体に誇りと拘りを持ってもいた。
 けれど菊井の相方は、去年の春、この仕事に見限りをつけた。地元の会社に勤めることにしたのだそうだ。
 珍しいことではない。2年目を境に櫛の歯が欠けるように同期たちはぽろぽろと辞めていった。200人以上入った養成所時代の同期の中で未だ芸人活動を続けているのなんておそらく30人に満たない。
 一昔前なら芸歴を積むことは階段を上がっていくことと同義で、徐々に大きな舞台に進出していけるはずだったが、今の時代、有り体に言えば売れずにくすぶっている中堅の先輩連中が多すぎて完全に頭打ちの状態だ。若手は若手同士、最下層で出番を争うしかない。
 菊井はいつも、辞めて行く連中を『脱落者』として見ていた。情が薄い訳ではないのだが、華々しく送ってやるようなものじゃないからと送別会を開くのを嫌がった。戸浦にはそういう見方はできない。自分の夢を過去へ片付け、田舎に帰って就職することは、逃げではなくて立派な一つの選択だ。
 相方が辞めたことを受け、菊井もしばらく芸人としての活動を休止していたが、ある日唐突に「俺とコンビを組んでみてもらえないか」と打診を受けた。
「戸浦がピン芸人としてちゃんと確立されてるのはわかってる。俺は戸浦のネタがすごく好きだ。だけどお前がコンビとして才能を発揮した時どうなるのかも俺は見てみたい。ずっと興味があった」
 口説かれたと言っていい熱心さで、夜のファミレスで菊井は言った。
 固定でついてくれているファンはそれなりにはいたし、ピン芸人の大会で準決勝まで進出したこともあるし、矜持だってあったから、当然即答はできなかった。が、結果戸浦はその誘いに乗った。
 戸浦自身も見てみたかったからだ。菊井と組んで何ができるのか。どんな面白いものが作れるのか。どこまで昇り詰めることができるのかを。

 ネタを飛ばした件で軽く衝突した3日後、コーナーライブの仕事が入っていた。劇場で顔を合わせても当然「この間はごめん」などと謝り合うはずはなく、普通に「おー」「おつかれ」と素っ気なく言葉を交わす。友人同士の喧嘩ではない分仲直りなどという概念もなく、コンビってこうやって仲が悪くなっていくんだなとしみじみ実感してしまう。これが彼女との痴話喧嘩だったなら戸浦は自分が悪くないと思っていても平気で謝れるのだが、仕事のやり方に関して意見を曲げたらおしまいだ。
 菊井とは同期の中でもとりわけ仲が良く、オフの日に遊んだりお互いの家に泊まったりという割と密接な付き合いをしていて、遠慮なく意見をぶつけられるしお互いの悪いところも知り尽くしているつもりだった。それでも仕事のパートナーとなると途端に今までの関係ではいられなくなった。芸人という立場になると互いに絶対に譲れない部分があるからだ。仲良しでいられないのはある程度は仕方のないことなのだと思う。
 当初ネタはふたりで作ろうという約束をしていたが、戸浦はピンネタしか書いたことがなかったので主導権はおのずと菊井が握り、戸浦はアイデアを出したりできあがった台本に意見を述べる役割に回った。それについての不満はない。菊井の書くネタは面白いからだ。
 その感覚はどんなコンビにもなくてはならない。相方は面白い、こいつとでないとできないことがある、という確信。逆にそれさえあればどんなに不仲でもやっていけるものだという。
 コンビネタには正直未だ若干の苦手意識があるので、作家が用意したゲームをこなしていく今日のようなライブは遥かに気が楽だ。キャラを演じていないトークやコーナーを『平場』と表現するが、戸浦はどちらかというとネタよりも平場に強いタイプだった。アドリブ力と瞬発力と折れない心――最後が一番手に入れにくく重宝されたりする。
 対する菊井は、完成度の高いネタを書く一方でめっぽう平場に弱い。元来の大人しい性格が前面に出てしまうようだ。
 足りない部分を補い合えるのはコンビの良さだ。プライドが高く神経質で内向的な菊井。考えるより先に行動する派で感覚を大事にする社交的な戸浦。
 得意分野苦手分野にかかわらず、『ふたりいる』というのはもっと単純な部分ですごく楽なことだった。例えば小道具の作成・保管がふたりで手分けできる。片方がトチってライブの入り時間に遅刻しても片方はリハに出ることができる。舞台上でネタを飛ばして頭が真っ白になってもフォローを入れてくれる。トークなら片方が喋っている間に片方が考えることができる。何より舞台上にひとりで立つのと隣に誰かがいるのとでは、気持ちが全く違う。
 水面の見えない泥沼で、ひとりで全部をしょってもがくことの苦しさを知っている。
「あ、明後日のネタライブ何やる?」
 楽屋のコンセントに携帯の充電器を差しつつ、傍らでそわそわと舞台を映すモニターを眺めていた菊井に声をかけた。
「あー、それだけど、こないだおろしたコンビニのコントちょっと直そうと思ってる」
「そういえばテンポ悪いとこ削るっつってたっけ、忘れてた」
「…それとは別なんだけど、今日ライブ終わり時間ある? ちょっと話したいことがある」
「ああ、そお。俺も話したいことあったからちょうどいいや」
 そこで会話を切り上げて、男子トイレに向かった。用を足して外へ出た時、見知った先輩と行き会った。
「おっ、久々やな、戸浦」
「あ! おはようございます」
 今日のMCを担当する、5年上の先輩だ。博識さが買われて最近バラエティーにちょくちょく呼ばれるようになり、若手御用達の劇場ではめったに見掛けなくなってしまったが、1年ほど前まではたまにご飯に連れて行ってもらったりしていた。しばらく見ない間にいいスーツ作ったんだなー…とちらっと思う。
「なんやコンビ組んだらしいなー」
「あ、そうなんです、グーテーモクっていいます。すみませんご報告が遅れて」
「別に報告はええけど、お前のネタのファンやったのにー。今度おれの為だけに家来てピンネタやってや」
「わかりました、2時間空けといてください」
「単独ライブやれとは言うてへんわ」
 からからと笑ってから「まあ頑張れよ」と肩を叩いてくれる。「ありがとうございます」と頭を下げると同時に、見ててください、と内心で呟いた。まずは夏の大きなコントの大会が勝負だ。ピン芸人には出場資格のない、コント師たちの戦い。
「相方は元キクイトリバラの菊井っていうやつです。相方共々よろしくおねがいします」
 言ってからもう一度頭を下げると、先輩は「ああ、ほやほやのコンビって感じやな」とどことなく嬉しそうに笑った。

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