stomaco al lupo

 申し訳ないけど行きたい所ができたから新幹線はパスして夜行バスで帰る――と電話で告げると、母は『なあに、女の子でも引っかけたの?』と面白がるような声で尋ねてきた。不登校に関しては頓着しなかった母だが、「あんた17にもなって彼女の一人もいないの?」と心配されることはままあった。
「…違うよ」
 下世話な、と思いつつ気持ち的には当たらずとも遠からずだったので、若干声が動揺した。
『まあ明日の学校に間に合うんならいいわよ。リオンがワガママ言うなんて珍しいしね。In bocca al lupo(がんばって)!』
『…Ciao.』
 スルーして電話を切った。イタリア男には懲りたらしいが、イタリア語とイタリア料理は未だ愛しているという。今となっては離婚に関しても「うちの家系って代々男運が悪いのよねえ」とあっけらかんと言ってのける。
 待ち合わせの時間まで、また漫画喫茶に入ると金がなくなりそうなので、一応雷門から仲見世通りをのんびり歩いて立ち並ぶ人形焼やあげまんじゅうの店を冷やかした後、浅草寺のベンチに座って携帯で漫画を読んだ。同年代は受験勉強に追い込みがかかっている時期だが、エスカレーター式の梨音の高校はのんびりとしたものだ。部活に入っていないので引退とも縁がない。
 夢中になって漫画(電子書籍版ONE PIECE。ゾロがかっこいい)を読み耽っていたら、画面に着信の表示が出た。ちょうどスクロールしようとした瞬間だったので即座に電話を取ってしまい、慌てて「もしもし」と耳に押し当てる。
『もしもし、今どこ』
「浅草寺です」
『じゃあ雷門で落ち合うか』
 電話越しに声を聞くのは初めてで、ドキドキした。だるそうな喋り方が耳に心地いい。
 記念撮影をする観光客の絶えない雷門の前で待ち合わせをして、歩きで店に連れて行ってもらった。どぜう、というのれんのかかった日本風の店構え。歴史を感じるどっしりした建物を前に、梨音は怯みながら瓦屋根を見上げた。
 昨日世話になった以上代金は自分が持つべきだと思ってついてきたのだが、どじょうってもしかして結構お高いのか。というかパーカーにジーパンで大丈夫だったのか。
 梨音の動揺を察したか、Tシャツにハーフパンツという更に軽装の希男は肩をごつんとこづいてきた。
「金はいいよ、幼馴染が持ってくれっから。普段安く酒配達してっし」
「え、でも、少なくとも僕の分は払わないと」
「いーんだよ。あいつデキちゃった婚で所帯持ってんだけど、かみさんに話せねえような遊びもいっぱいしてっからな。強請るネタには事欠かねえんだわ」
 キシシシと悪どく笑う。それはますますもって甘えてはまずい気がしたが、強硬に払うと言うのもどうかと思い口をつぐんだ。とりあえず食べ終えてから考えよう。
 引き戸を開けるとたすきがけをした着物(ユカタ、だろうか。見分け方がわからない)の女性が迎えてくれ、二人用の個室に通された。「予約ん時に定食頼んどいたからすぐ来るわ」とあぐらをかきながら希男が言う。
「先に酒飲むか。旅行だったら地酒飲まねえと」
「僕、まだ成人してません」
「イタリアでは何歳から酒飲めんの」
「…16ですが」
「じゃあいいじゃん。飲めよ」
 めちゃくちゃな理論だなと思ったが、正直母に付き合ってワインを飲む事くらいならあったので、希男が頼んで運ばれてきた冷酒を注いでもらって口に運んだ。途端吹き出しそうになった。濃厚で甘いアルコールの匂い。SAKE!という感じだ。
「う…日本酒ってこんな味なんですね」
「旨えだろ? まあ本当の旨さなんかわかんねえだろうけど」
 慣れた手つきで猪口の中身を空ける希男の表情は平然としている。酒屋だけあって日本酒の似合う人だなとしばし見惚れて、もう一口おそるおそる飲み下した。胃がポカポカしてきたが、慣れるものなんだろうか。美味しく感じられるようになりたい。
 料理はお通しから始まって柳川鍋やどじょう汁などどじょう三昧の豪華な定食だったが、希男がやたらと酒を勧めるので梨音はそれどころではなかった。段々嗅覚が鈍ってきてするする飲めてしまう。
 そろそろまずい、と思って「ちょっとトイレに…」と立ち上がろうとしたところで足がふらついた。思ったより回っている。視界がふわんと暖色に滲む。
「危ねえ」
 希男の腕に支えられ――たのだと思うが、引き寄せられたかのように身体がそちらへ倒れ込んでいた。肩にしなだれかかるような形になり、間近で視線がぶつかった。肉食獣みたいな鋭い眼。視界を狭める縁が鬱陶しくなって自分で眼鏡をむしりとった。
 この人に何かを隠す必要はないんだ、という催眠めいた思い。
 ふらふらと吸い寄せられるように顔を近づける。希男が口を開いた。
「何、キスしてえの?」
「…………」
 直截的に聞かれると猛烈に恥ずかしかった。動きを止めて黙り込んでいると、希男が意地の悪い顔でニヤリと笑う。
「顔真っ赤」
 武骨で大きな手が頬を撫で、その熱さにぞくりと身体が震える。「何にも知らねえ外人のガキたらしこんでるみてえ」とひとりごちる声。ねぶるような眼差し。
「俺がチンピラボコッてる時からヒーロー見るような目でうっとり見ちゃってさ。きれいな目えして。かーわいいの」
 言葉から悪意は感じられなかったが、親愛の情も感じ取れなかった。そのあけすけさにすら鼓動を高鳴らせる自分はどうしようもない。もしかして自分は、ヒーローなんかじゃなくて、捕食動物に目をつけられたのだろうか。
 母に電話で言われた言葉が耳の中で甦った。
 In bocca al lupo!
 直訳すると、狼の口に飛び込め、だ。そう鼓舞されたら本当はこう返すのがおきまりになっている。
 Crepi il lupo!(狼なんてくたばれ!)
 でも、今、この人を突き飛ばしたとしても、後悔する。ライオンか狼かはわからないが、もう既に――呑み込まれてしまっている。出会った瞬間から。
「リオン、イタリア語で、キスして、は?」
「………”Baciami”?」
「ベーネ」
 肯定の言葉と共に呼気が重なった。どこで覚えた言葉なのか、手練手管だとしても嬉しくて、うっすら汗の臭いのするシャツにしがみつく。昨日みたいにぐしゃぐしゃと頭を撫でられて、かわいい、と囁かれたらもう堪らなかった。
 In stomaco al lupo.(狼の胃の中へ。)







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診断メーカーのお題「喧嘩強いさりげなく鬼畜攻めとハーフの年下眼鏡受けで受けが攻めに一目惚れする」。
イタリアのあれこれに関しては間違いがあったらすみませぬ…久々に伊語辞書引くの楽しかったです。

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