Sweet King

 期末テストが終わるといよいよ授業は少なくなり、午前中で帰れる日程が卒業式まで続く。
 運動部はそこそこ強いが偏差値は低めの地元の高校に前期で合格していた温寛は、フルで授業がある間は放課後に仲間と連れ立って野球部を覗いたりしていたが、午後が丸々自由になると家の手伝いに駆り出されるようになった。
 しかし手伝いと言っても小さな自転車屋の店番だ。ひたすらカウンターにへばりついて欠伸を噛み殺しながら、早く高校行って野球してーな…と思った。
 卒業の寂しさというのはあまりなかった。仲のいい連中とは連絡を取り合って遊ぶだろうし、新しい出会いを楽しみに思う気持ちの方が大きい。
 だから卒業式当日も、入念に行われたリハーサルの時とまったく同じ感情で臨んだ。出席番号が隣り合っているので隣に座っていた仁名も、整った横顔を歪ませることなく座っていた。泣いた顔が見てみたかった、とちょっと思った。もうこんな風に眺めることはできなくなる。そう考えると心臓が竦むようなよく解らない心地がした。
 荷物は式の前に体育館の入り口に置いてあり、卒業式は校庭を経由し在校生が作ったアーチをくぐってそのまま帰ることになっている。とはいえ当然まっすぐ帰る生徒はおらず、温寛が校門前に辿り着いた頃にはあちこちに輪ができてわいわいと盛り上がっていた。
 制服の胸に貼ったリボンを弄びつつ友人の顔を探していると、ツンツンと後ろから肩をつつかれた。
「…おー。よっす」
「よっす」
 櫛木だった。合唱の指揮をしながら大泣きしていたので頬に涙の跡がある顔のまま、「ちょっといい?」と手招かれ、校舎の陰に誘導された。訝しく思いながらついていくと、
「第二ボタン、ください」
 と、上目遣いで言われた。
 第二ボタン。
 とはすなわちあれか。あれのことか。卒業式の日にモテるやつが女子にもらわれていくあれ?
 温寛が硬直していると、櫛木は俯いて小声で続けた。
「それとも、他の人にあげる約束してる…?」
 セーラー服のスカートの前で組まれた手が緊張で震えている。櫛木は普通によく話す女子だし、可愛い方だとも思うが、男勝りな性格だから正直そういう対象として見たことがなくて――初めて、可愛いかも、と思った。
「え。いやないないそんな約束」
 それ以上直視できず、あたふたと制服のボタンに手を伸ばしたら、「それ第三…」と指摘されて顔がかあっと熱くなるのを感じた。ボタンを引きちぎるのは思ったよりも力が要った。くすんだ金色のボタンを無造作に突き出すと、櫛木は「ありがと」と大事そうに胸元で握り込んだ。
 えっと、第二ボタンって受け渡した後どうなるんだ? ください、どうぞ、という手続きを経たらそれはもうカレシカノジョなのか? 何も具体的なことは考えずに渡してしまったのだが。いやでも断るって普通しないよな?そんな大層なものでもないし。
「あの、あたし、付き合ってくれとかいう気はないから」
 温寛の思考を読んだかのように櫛木はきっぱりと言った。「…そうなんだ」拍子抜けして応じる。付き合ってくれと言われたらどう返事するつもりだったのか自分でもわからないが、なんだかほっとしてしまったのが答えな気がする。
「あ。もしかして、バレンタインの日チョコくれたのって櫛木だった?」
 はっと思いついて聞いてみたが、櫛木はきょとんとして首を横に振った。
「そんな勇気なかったよ。だってあっくん好きな人いるでしょ?」
「は? いねーよ別に」
「うっそだー。いっつも見てたじゃん」
「……誰のこと言ってんの?」
 本気でわからなくて尋ねたのだが、櫛木は意味ありげに笑うだけで明答をしてくれなかった。訳がわからないまま「じゃあ思い出ありがと」と手を振って駆け去る後ろ姿を見送り、のろのろと校門の前に戻ると、卒業生の群れは更に増えていた。何気無く視線を巡らせたところで、目立つ立ち姿を見つけてぎょっとする。
 もはや服としての機能をなしていない気がする制服を身につけた仁名がいた。学ランの袖ボタンに至るまでなくなっている上に中に着たカッターシャツのボタンまでごっそり持って行かれて、羽織るだけになっている制服の合間から白い肌が露出していた。
 しかしそんなモテっぷりに気を良くするでもなく、仁名の眉間には深い皺が刻まれていた。きょろきょろと誰かを探しているらしいのを立ち止まってぼけっと見ていたら、ばちんと火花が立ちそうな感じで目が合ってしまった。可愛いやつにそんなあられもない姿で睨まれると変な気分になるんですけど。とアホなことを考えていると、
「ボタン」
 と指を差された。人を指差してはいけませんなんていう観念は少なくとも温寛に対してはないようだ。
 まさかなくなった分寄越して縫い付けろって言うんじゃないだろうな…と身構える。いや確かにその格好じゃ帰りづらいだろうけど、温寛は縫う道具も技術も持っていない。
 しかし続いた仁名のセリフは、
「誰にやった?」
 だった。
「は?」
「誰に渡したっつってんだよ、第2ボタン」
「あ、え、えっと………櫛木」
 プライバシーに配慮して黙っておくべきかと思ったが、何故かすさまじく睨まれたのでぺろっと言ってしまった。ごめんなさい。
「櫛木って誰だよ」
「は? 櫛木美夏だよ。同じクラスじゃん。1年の時も」
 というか仁名と櫛木は小学校も同じだったと聞いたのだが。仁名は眉間の皺を解除することなく「知らね」と斬って捨てた。
「覚えてね。どこにいんの」
「えーっと…」なんでこんなことを仲が良くもない同級生に聞かれてるんだろう、と思いながら視線を巡らせ、校門の前で友達と記念撮影をしている姿を見つけた。「あれ。あのポニーテールの」
 櫛木の姿を認めた仁名は眉間の皺をいっそう深くすると、足早にそちらへ向かって歩き始めた。慌てて「おい」と呼びかけても振り向こうともしないので、追いかけて腕を掴んで引き止める。
「ちょ、お前櫛木になに言う気だよ」
「何ってなんだよ」
「俺が嫌いだからって周りの人にまで嫌がらせすんなよな」
 初めて仁名に文句を言った。少しきつい口調で。だっていくらなんでも自分に好意を持ってくれたばっかりに罵倒を受けるような目に遭わせたら申し訳なさすぎる。仁名は驚いたように振り向いて、それから何か……泣きそうな顔をした?
 なんで、と思うまでもなく仁名は顔を背けて温寛の腕を振り払い、その姿勢のままぼそりと言った。
「好きなのかよ、お前、あの女子のこと」
「…そういう訳じゃ、ねーけど。仁名だってあげたんだろ、ボタン」
 後輩からも人気があるから、温寛とは比べものにならない競争率だっただろう。仁名のことだから頓着せずに早いもの順で持って行かせたんだろうか、それとも好きな女子に…
 そこまで考えたところで嫌な気分になった。そういえば仁名が誰かと付き合ったという話は聞いたことがない。いかにも興味がなさそうな顔をしているので特に疑問にも思わなかったが、どうなのだろう、実際。
 仁名はおもむろにズボンのポケットに手を突っ込むと、何かを掴んでその握った拳を突き出してきた。相変わらず顔は背けたままだ。「なに」と温寛は無愛想な反応を返す。どうせ何かしらの嫌がらせだろう。
「くれって言えよ」
「は?」
「…くれって言えよ」
 繰り返した声が微かに震えていた。改めて仁名の横顔を見ると、白い耳たぶが赤く染まっている。
 覗き込みたい、という、衝動に駆られた。肩を掴んで無理やり振り向かせたい。
 自分の中で処理しかねる欲求に立ちすくむ。
「あ、あの、桜井くん」
 ふいに横からおずおずとした声が割って入った。仁名と温寛が同時に視線を向けると怯んだように肩をちぢこめる。同じ学年の、女優活動をしていて確かミュージカルに出ているとかいう女子だった。びっくりするほど顔が小さい。
 女子はちらりとこちらを窺い、それから意を決したように仁名に向き直って、
「実はお話があっ」
「うるっせぇよブス!!」
 しん、と辺り一帯が静まり返った。それがいつも低いテンションで喋る仁名の声だとは一瞬ピンと来ず、温寛は呆気に取られてその小綺麗な横顔を見つめた。激昂の声を上げたとは思えない完膚なきまでの無表情が逆に怖い。それからおそるおそる女子の表情に視線を移すと、何が起こったのか解らないという顔で立ち尽くしていた。
「こっちは大事な話してんだ、話しかけんな」
 吐き捨てるように言った仁名が温寛の腕を掴んだ。そのままぐいぐい引っ張られ、周りの注目をしっかりと集めながら校門に向かって歩き始める。なんで中学生活最後の日にこんな変な目立ち方をする羽目に…。そもそも大事な話なんかしてなかっただろ。
「っおい、仁名、あれはひどすぎるって…謝った方がいいよ。お前そんなキャラだった?」
 引っ立てられて校門をくぐり駅の方向に連れて行かれながら(ちなみに温寛の家があるのとは逆方向だ)、小声で話しかける。周りには保護者や友達と連れ立って帰る途中の同学年の生徒が結構いる。これ以上悪目立ちしたくなかった。
「キャラとかじゃねーだろ。俺はずっとこうだよ。女どもが勝手に見た目で騒ぐだけ」
「…つっても、ブスはねーって。しかもあいつうちの学年で一番かわい」
 い、と言い終わる前に立ち止まって胸倉を掴まれた。とはいえ一回り小さくて華奢な仁名にそれをされてもちっとも怖くはないのだが、仁名は最上級に不機嫌な顔をして睨み上げてきた。やれやれと思いながらまともに見下ろしたらはだけた制服から乳首が見えて咄嗟に目を逸らした。いや男なんだから見ても問題はないけど。
「ああいうのが好きなのかよ」
「だから別にそういうのじゃなくて…ひどいだろって言ってんの。ていうか絶対あれ、お前に告ろうとしてたじゃん」
 贅沢な話だ、と思う。選び放題だからってあんな風に無下にするなんて考えられない。だが、告白を受け入れる仁名を想像するとそれはそれで癪だった。当事者でもない温寛に文句を言う権利はないが。
「俺は…」
 仁名が何か言い淀んで俯いた。力の抜けた手が温寛の襟元から離れてぱたりと落ち、その拍子に手のひらの中に握り込んでいたらしいものが地面に転がった。タイル敷きの歩道の上をころころと丸い軌道を描いて転がるものを咄嗟に温寛が屈んで拾いあげようとしたが、
「これ」
 と驚いて顔を上げると、仁名は素早く拾い上げてポケットにしまいこんだ。そのまま何を言うでもなく低く舌打ちして、今度は温寛の腕を掴むことなく猛然と歩き出す。迷った末その後を追った。歩幅に差があるので温寛は割と普段通りの歩調だ。仁名が肩にかけたスクールバッグが歩くたびに苛立ちを示すようにぱっかんぱっかん跳ねていた。
 しばらくしたら野球部で集まって夜ご飯を食べる約束をしているのだが、間に合うだろうか。ここまで来ると最後まで付き合わない訳にはいかない。
 駅前の商店街を抜け、駅を通り過ぎ、歩行者が殆どいない閑散とした道を突き進み始めた頃に、目的があってどこかへ行こうとしている訳じゃないんだなと気付いた。だだっぴろい駐車場の前まで来たところで「仁名」と呼んだが、振り向こうとしないので足を止めた。数歩歩いてから仁名も歩みを止めて振り返ったので、それを見計らって途中で脱いでおいた学ランを放った。
「それ着ときなよ。寒いでしょ」
「…でけーんだよアツの」
「ガマンしろよ…」
「体操着だってでけーし。セーターだってでけーし、体育館履きだってでけーし」
 なんで厚意で貸してやった物の文句を言われなくてはならないのか。学ランを握りしめてブツブツ文句を言っている仁名に近寄って「いいからそれ脱いでこっち着ろよ」とボタンのない学ランを引っ張ると、大人しく脱いで当然のように温寛に預けてきた。仕方なく畳んで腕に掛けておく。俯いてボタンを留める仁名の顔を背を屈めて覗き込むと、あからさまに顔を背けられた。
「見んな」
 構わず手を伸ばした。弟妹にするのと同じように、親指で頬を拭う。ニキビなんかとは無縁と見える白い肌はさらさらとした指ざわりだった。
「いつから泣いてたんだよ」
「うるせーな。てめーのせいだろうが。一回くたばれ」
「俺のせいかよ。なんなの、説明しろって色々」
「…ボタン…」
 たった一つ、金の丸が欠けた学ランの空白を、仁名の細い指が探る。ボタンの一つ一つが大きいので存在感のある空白だった。
「俺が欲しかったのに、なんで女子なんかにやるんだよ…」
 今まで通り横暴なセリフだった。温寛にとっては知ったことではない話で、仁名の訳の解らないわがままにすぎない。
 でも、可愛い、と思った。猛烈に思った。櫛木に対して感じたようなきゅんっとくる甘やかな感じではなくて、がつんと揺さぶられるような衝撃だった。涙の膜の張った目で睨まれて、誰かを抱き締めたいと初めて思った。
 そうか。確かにずっと見ていた。振り回されて、でも嫌じゃなくて、可愛いと思って。それはそういうことなのか。
「仁名、それ、持ってるの第二ボタンなんでしょ?」
 競争率が半端じゃなかっただろう、桜井仁名の第二ボタン。何を思ってとっておいたのかなんて、今更聞くほどには鈍くない。クラスメイトの名前をろくすっぽ覚えていないようなやつがわざわざオリジナルの愛称で呼んでくる時点で、嫌われている訳じゃない事に気付くべきだったのだ。
 いつから何をきっかけにとか、そういうのは別に解らなくていい。三年間の全部にすとんと納得して、最初から巻き戻して見て行きたい気持ちになった。
「くれよ。俺に」
「なんで偉そうなんだよ」
「………ください」
「その前に言うことは」
 ふてくされたように顎を持ち上げ、目を細めて凶悪な表情を作ってみせる。だからそんな顔してても可愛いんだって…こういう風に思ってたこと、仁名には筒抜けだったんだろう。だから勝手に期待して、こんな風に泣いたりして。悲しいから泣いたとかではなくてプライドを傷つけられたのだろうが、そういう傲慢さがまた、
「可愛い」
 素直な気持ちを吐露したら、「そうじゃねーだろばか」と近づけていた頭を殴られた。
「いって…なに? 何言えばいいの?」
「まずは礼!」
「礼って…」貸しは確実に温寛の方が多いのだが。今だって温寛のものであるぶかぶかの学ランを当たり前のように着ている癖に。真面目に考えてみても感謝するような事が一つたりとも思いつかない。「…何に?」
「チョコ。お前、何も言ってこなかったじゃねーか」
 何の事だと考えて、直後に思い当たった。
「あぁっ!? あれ仁名だったの!?」
「あたりめーだろ!? お前に渡した紙袋に入れといたじゃん!」
「いや、ええ? それは想定外だろ普通に考えて」
「チッ………」
 舌打ちされても困る。今気付いたが仁名は言葉にしないとわからない事をチッの二音で省略することが多すぎる。
 仕方なくありがとうございましたと殊勝に頭を下げたら、無言で頷かれた。尊大な態度はどこまでも変わらないらしい。腕に掛けた学ランが我ながら執事が恭しく持つタオルのようだ。対する相手はおぼっちゃまというより王様だが。
「それで…えっと、」
 こんな言葉を当てはめていいのか、まだぴんと来ていなかったが、どうも求められているようなので言ってみた。
「好きです?」
 ゴオッと音を立てて脇をトラックが走り抜けて行った。卒業式の後に何やってるんだろうこんなところでと恥ずかしくなって、なるべく深く俯きながらちらちら反応を窺う。
 仁名はたっぷり10秒くらい無言だった。つるつるした肌の少年が目の前で微動だにしないとなんだか無機物みたいに見えてくる。まさかこの期に及んで無視するつもりかと不安になり始めた頃、ほとんど唇を動かさないごくごく小さな小声で、
「俺もそうです」
 と言った。
 何だかずるい返しだな、と思ったが、押し付けるようにして渡されたボタンを見たらどうでもよくなった。見ている間に耳がみるみる真っ赤になっていったし。
 家に帰ったらチョコを食べよう。机の引き出しの奥に押し込めっぱなしになっていた筈だ。仁名がどんなことを考えてどんな顔でデパートのバレンタイン売り場に立っていたのか、想像しただけでちょっと笑えた。にっこり微笑んでなんてくれなくても、王様は温寛の中で甘やかだ。






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お題:『短絡思考の初々しい攻めと傲慢で狭量な鬼畜受けで卒業式に告白しあう』
鬼畜成分が足りませんでしたな。

3/3

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[mokuji]



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