Sweet King

 小学校低学年の頃から地域の少年野球チームに所属し、中学では野球部に入ってバットを振ることに没頭してきた泥臭い野球少年にとっては、バレンタインなどというものは期待だけして空振りに終わる空しいイベントでしかない。
 2学期で部活を引退し、ずっとバリカンで刈っていた髪の毛を伸ばし始めはしたものの、かといって急にモテ始めるなんてことは望める筈もない。せめて無駄な期待をしないようにしようと固く誓いながら登校した14日、
「アツ、これ」
 と席につくなり某百貨店の紙袋が視界にぬっと現れた。
 しかし温寛のことをアツと呼ぶ人間はたった一人だけだ。反射的に「いいの?」と言いそうになったのを呑みこみ「お、おう仁名か」と応じて受け取った。中身を覗き込むと昨日貸した短パンだった。借りるときはお前のものは俺のものみたいな顔で借りていくくせに、洗濯をして丁寧に畳んで返してくるところが不思議だ。
 涼しい顔で席を離れていく仁名は、今年も間違いなく相当な数のチョコをかっさらっていくのだろう。3年間同じクラスだったので人気についてはよーく把握している。他学年からわざわざ女子がチョコを渡しに訪ねてくるなんて仁名くらいのものだ。想像したら朝っぱらから胸焼けしてきた。
「ねー、前から思ってたんだけどさ」
 学校指定のスクールバッグを教室の後ろのロッカーに詰め込んでいると、すぐ近くの席に座っている櫛木という女子に声を掛けられた。後ろを向いて椅子の背もたれを足で挟む大股開きの女子らしからぬ恰好だが、女子らしいおしとやかな女子なんてうちのクラスにはいない。セーラー服のスカートの中には見えてもいいように必ず短パンを装備している。
「あっくんと桜井って仲良いの? 家近いとか?」
「え? いや、別に仲良くない」
 代わりにチョコ渡してよ、という残酷極まりないお願いをされるのかと身構えたが、櫛木はその返答を聞いて「そうだよねえ」と首を傾げた。
「同小でもないもんね、あたしと桜井同小だし」
「違うよ。なんで?」
「いや、なんか物の貸し借りとかよくしてるみたいじゃん?」
 見られてるものなのか。少し驚いた。わざわざやりとりを隠すようなことはしていないが、余計な会話もしていないので接触時間はかなり短いのに。若干動揺する温寛をよそに、櫛木は「それに」と続けた。
「桜井のこと下の名前で呼んでるよね?」
「うん」
 それの何が引っかかるのか、と思いながら肯定した。どちらかというと仁名が呼ぶ『アツ』という発音しにくい呼び方の方が違和感があると思うのだが。小学校時代ずっとあっくんと呼ばれていたので中学でもそう呼ばれることが多いし、そうでなければ大体温寛か小谷と呼ばれる。おそらく君付けなんて必要ねーよという意味であっくんからくんを抜いてアツなのだろうが。
「や、桜井って下の名前で呼ばれるの嫌いだから、前から。今でも誰かがふざけて仁名ちゃんとか呼ぶとマジで怖い顔するもん」
「ちゃんづけすっからだろ」
「ちゃんつけなくてもだって。だから不思議なんだよねー、二人の関係」
 ぷっくりした唇を尖らせて櫛木が呟く。不思議なのは俺も一緒です。とは言わず、「俺の前ではいつも怖い顔してるからなー」と濁して席に戻った。斜め前の仁名はといえば何やら机の上にノートと電子辞書を広げて勉強を始めている。第一志望の私立高校に受かったと話しているのをちらりと聞いたが、中学最後の期末テストまで真剣に取り組む気らしい。真面目な秀才、というのは煙たがられる場合も多いが、そうはならないのがイケメンの利なのだと思う。
「仁名」
 試しに名前を呼んでみた。学ランの肩がぴくっと跳ね、仁名が無言で振り返る。絵に描いたようなぱっちりした目と目が合うと未だにドキッとする。例え不機嫌そうに眉根が寄せられていても。
「去年、チョコ、何個貰った?」
 呼んでみただけ、なんて言える空気ではなかったので、無理やり話題を捻り出してみた。仁名は一瞬黙って温寛を凝視してから、「………チッ」と舌打ちをして机に向き直った。
 下らないことで話しかけるな、ということらしい。
 仁名とまともな会話をしたことなんて3年間で数えるほどしかなく、雑談にいたっては皆無だが、こうして仁名の後ろ姿や横顔を見ている時間は長いな、とふと気づいた。仲の良い連中とは普通に笑顔で喋るくせに温寛に対しては基本不機嫌な態度なので、こうして盗み見ているしかない。
 いや、別に見る必要はそもそもないのだが。気付かれたら「死ね」と毒づかれるのがオチなのだし。
 下の名前で呼んでいるのは、入学式の時に隣同士だったので名前を聞いたら本人が「仁名」と一言名乗ったからだ。ニナ、という珍しい響きを最初は苗字かと思っていた。下の名前だと知ってからも本人がその名前で呼ばれるのが嫌いだとは思わなかったし、特に気にせずそのまま通してきた。
 もしかして下の名前で呼び続けているからこんなに嫌われているのか? とふとひらめいた。だとしたらひとこと言ってくれればいいものを、とは思うが、それを省いて一方的に苛立ちをぶつけてくるというのは仁名がやりそうなことだ。
「さくらい…」
 口の中で小さく呟いたら、斜め前の仁名がすごい勢いで振り向いた。朝のそれなりに賑やかな教室でまさか聞こえているとは思わなかったので「うおお」と思わず椅子ごと後じさったら後ろの机にぶつかってしまい、公立の一般入試に向けて追い込み勉強中のクラスメイトに迷惑そうな顔をされた。
「あ、わり。…桜井もごめん邪魔して、なんでもない」
「…キモいんだけど」
「は?」
 斜め下に視線を落とし(この角度だと睫毛の長さが際立つのでそこにばかり目が行く)、はっきりと吐き捨てられた。
「桜井とか呼んでんじゃねーよ」
 温寛が固まっていると、「桜井ー」とクラスメイトが仁名に話しかけた。「ん?」と普段通りの無表情に切り替えて仁名は応じ、以降振り向こうとはしなかった。
 …仁名の怒るポイントが、今だにさっぱり解らない。

「あー意味わかんねー!」
 二段ベッドの下段に背中から飛び込むとぎしっと軋みながら大きく揺れた。子供部屋には二段ベッドが二つ詰め込まれているので、自分のスペースといえばこのベッドの上と、受験生だからと買い与えられてリビングに置いてある学習机の前くらいしかない。幸い下の段を使っているので親に見られたくない類の本とDVDは古い教科書に紛れさせてベッドの下に突っ込んでいる。
 仁名に嫌われているのは知っている。痛感しているといってもいい。だがここに来て改めて疑問だ。具体的に俺の何が気に食わねーんだよ。
 弟妹はリビングで夕方のアニメに夢中なので、一人きりの部屋で悶々と考えていると、ノックも一声もなくいきなりドアが開いた。「ちょ、母ちゃんノックしろって…」年頃の息子なんだぞやましいことしてる可能性だってあるんだぞ。
「あーごめんごめん。体操着、これ洗ってあるんでしょ? 放り出してないでちゃんといつものとこにしまっときなさいよね」
「あー、うん、友達に貸したやつ」
 頓着した風のない母親から百貨店の紙袋を受け取る。リビングの椅子の上に放り出したきりだった。というか友達…友達なのだろうか自分達は。
 教科書や野球道具をしまってあるカラーボックスの上段にしまおうと、紙袋に手を突っ込んで体操着を取り出した時、床に何かが転がり落ちた。紙袋の底に何か入っていたようだ。何気無く拾い上げて、硬直した。
 手のひらサイズの正方形の箱。茶色にピンクと白の小さいハートでドットが印刷された包装紙に、斜めにかかった金色のリボン。
 叫び出したい気持ちを堪えて、「落ち着け落ち着け」と自分に言い聞かせながら体操着をしまう。「落ち着け落ち着け」何か壮大な勘違いかもしれないし。
 ベッドの上に戻り、念のため布団をひっかぶってから箱を手に取る。おそるおそるリボンをほどいて、くるくるひっくり返して包装紙の切れ目を探し、テープが上手く剥がせなかったのでびりびり破いて開けた。現れたのは果たして、ちんまりと四つ並んだチョコレートだった。金色の丸が二つと、ピンクのハートが二つ。心拍数が一気に跳ね上がる。
 待てよ、いつだ? 仁名から紙袋を受け取って机の横にかけて置いてから机を離れたのは…移動教室が二回あったからどっちかの時に入れたのか。紙袋を改めて覗いて見たがカードの類は入っていなかった。誰だ? 匿名でチョコを贈ってくれた女子は誰だ!?
 悶々の内容はすっかりチョコレートのことに取って代わり、妹が「あっくんごはんー」と呼びに来るまでベッドの上でごろんごろんしていたが、リビングに入った瞬間はたと思い当たった。
 これ、仁名宛のチョコなんじゃね?
 仁名が体操着を返すまでの間に誰かがそっと紙袋にチョコを忍ばせ、仁名は気づかないままそれを温寛に渡した。…ありえる。ありえすぎる。
 そう思ったら一気にガッカリした。もしかしたら本当に温寛にくれたものなのかもしれないが、匿名である以上確かめようがない。仁名の物なのかもしれないと思うと手を付けるのも憚られ、妹二人と親から渡されたチョコレートを黙々と食べて眠った。
 お菓子一つでなんでこんなに一喜一憂しなきゃいけないんだ。バレンタインなんて嫌いだ。
 翌日の仁名は何やら普段よりいっそう機嫌が悪そうに温寛に険悪な視線を刺してきたので、仁名宛かもしれないチョコが手元にあることは黙っておいた。どっちにしろ山ほど貰ってるやつに渡しても大して感謝するでもあるまい。

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